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057 鼻の曲がる都パリ

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前書き:
王瀝
http://baike.baidu.com/view/3105839.htm





セザンヌで馬車の修理をした際、俺は車輪の応急処置に使っていた金具を回収している。
その一部始終を見ていたルイーズが「けち臭いわね」と言った。

こいつの言葉遣いにはブレがある。
公爵令嬢ルイーズとしての地はこちらのようにも思えた。

「こう見えてもこいつは貴重なんだ。迂闊に出回らせたくない」

「へぇ。そうは見えないけど……」

手にしたボルトやナット、ワッシャをしげしげと見詰めつつルイーズが感想を口に上らせる。
工業化が進展していない暗黒のヨーロッパ中世ではこんなものなんだろう。
あの悪名高い魔女狩りもあった時代だし。

……と、思いかけて気が付いた。

「そうか、魔女狩りか!」

「何? どういうこと?」

びくっと肩を震わせたルイーズが心配そうに聞いてくる。

「何でもない。今の所はな。だが、これは使えるかもしれん……」

そんなことを一人考えているとお市があきれたように俺を見る。何故だ?

「また悪いことを考えているな……」

「そうなの? アンジェリカ?」

「ええ、そうです。ルイーズお姉さま。
 こんな顔でいる時はロクなことを考えている時ではありませんわ」

二人揃って酷い言いようだ。


そしてパリである。

「愛馬よ、これがパリの灯だ!」

「はぁ? 真っ昼間からなに言ってるのよ」

馬上から両手を広げて叫ぶ俺をまるで莫迦者を見るような眼でルイーズが蔑む。
どういう訳だか通行人も呆れていた。
解せぬ。

「何と言われても、生まれて初めてパリに来たら、最初に言う言葉がこれだろうに。
 そうそう、あともう一つあるぞ?
 それは……『パリは萌えているか?』だ!」

「はぁ……、本当に何を言っているのか分からないわ」

「大丈夫です。ルイーズお姉さま。私にもわかりません」

「貴女もそうなのね? アンジェリカ」

「はい。ルイーズお姉さま」

両手を恋人繋ぎでひしっと握り合ったお市をルイーズが俺をじっとりと眺める。
が、それはそうとして、このパリのローマ時代の古名はルテティアといい、ラテン語で泥、沼沢地という意味があった。
その後に付いたパリという名はルテティアの別名、ルテティア・パリシオルム(ガリア人パリシィ族の沼沢地)の短縮形である。
ローマと並んで、歴史の古さだけはある。そんな土地だ。

「付いてきなさい。案内するわ」

ルイーズがそう言って先頭に立つ。

「なんというか……本物の中世ヨーロッパだな」

余りのことに俺は愕然とした。
町中で悪臭がするのだ。
これはひどい。
三百年前後の歴史しかない新興都市のベルリンやケーニヒスベルクとは到底比較にならない。
千年以上に及ぶ都市の腐敗と悪臭が集積されるとこうなるのか。
中世ヨーロッパ風異世界だったラビア王国にはこんな異臭都市は存在しなかった。
魔法を技術レベルに算入すれば、中世ヨーロッパ風ファンタジー世界の文明程度は近世ヨーロッパ、ことによると現代ヨーロッパと同程度の文明レベルかもしれない。
ローマ帝国とはまさに、世界史の辺境たるヨーロッパにおいて文明の庇護者であったわけだ。
ところが、その文明の産屋はフン族とゲルマン人の玉突き事故によって叩き壊される。

「帝政ローマを叩いてみれば文明退化の音がする……か」

何を言っているんだという顔でルイーズが俺を見た。


「よく来られた……。ラ・ドーフィネ号は無事に向こうに着いたのだな」

満面の笑みで俺達を出迎えたユグノーの闘将、ガスパール・ド・コリニー提督がそう問いかける。
「はい。船は無事目的地に辿り着きました」

「それは重畳。して結果は?」

満足げにうなづくコリニー提督にルイーズは俺達を紹介する。

「これなるジャポンの者達との同盟を結ぶことができました」

「日ノ本は駿河の国の今川家よりの使者、安倍あべの太郎たろう殿とその従者のアンジェリカにございます」

「ほう。東の果てにも我らと同じ者が居るとはの……」

コリニー提督は金髪碧眼で姫騎士姿のお市を見て驚いたようだ。

「この大陸の東の果てにあるシナー(フランス語で支那、いわゆる中国の意)はローマで共和政治が始まった頃にはヨーロッパ人の土地でしたからな」

「なんだと!?」

これにはルイーズだけでなく、コリニー提督やお市までが吃驚仰天して口をあんぐりと開けたまま固まっている。
確かに驚くのも無理はないが、これは科学的事実。
日本の首都に在る国立大学と中国の大学が共同で、朝鮮半島の対岸、山東半島の臨淄(りんし)において古代墓地の遺骨調査を行った結果判明したことだ。
臨淄は太公望で有名な呂尚が周王によって封じられた国、斉の首都になった地だが、この地の墓地跡から発掘した遺骨のⅮNAを調べた結果による。
過去に遡れば遡るほど、遺骨のデオキシリボ核酸の状態が西に移動していき、最後には現代ヨーロッパ人と同一のものになるという結果が得られた。

「なので元々シナーの土地はヨーロッパ人の同胞が国を建てて暮らしていたようです。
 ですがそれから八百年ほどが経って漢が滅び、三国志の時代の戦乱による大規模大量死でシナーの総人口は激減。
 その後、南方や北方から雪崩れ込んできたモンゴリアンによってシナーの土地は乗っ取られて今に至っています」

俺の説明に言葉もないのが一同が黙す。
だが、何かに気付いたお市がはっと顔を上げて俺を問い詰めた。

「まて。そうなると孔子は紅毛人ということになるぞ!?」

「まぁ、そうなるな。
 それどころか漢字を生み出したのもその当時シナーに文明を築いていたヨーロッパ系白人だったと考えられる」

「まさか……そんな」

信じられないという顔でお市が俺を見る。

「物証だけにとどまらず、当時の文献にも秦の始皇帝は青い目だったとか呉の孫権も碧眼だったという記述もあるしな」

「それは物の譬えではないのか?」

「物的証拠込みで考えるとそれはないだろう。
 抑々(そもそも)昔からシナーには碧眼の人間がたまに生まれることがある。
 瞳の中の一部が碧や青だったりするのはさらに多いんだ」

「……信じられん。そもそもあの砂だらけの荒野をどうやって移動したというのだ?」

茫漠たる中央アジアの砂漠地帯を思い出してお市が考え込んだ。

「言っただろう? 一万年前のあの辺りは巨大な内陸海があったって。
 今じゃ砂に覆われてしまったエジプト、サハラやレバノンのあたりも昔は大森林地帯だったのさ。
 そうであるならば今よりも移動は簡単だったんだろ?」

「えっ?! ほんとなの!?」

エルサレムで聖墳墓騎士団に入っていたことのあるルイーズが悲鳴のような絶叫を上げる。

「ルイーズにしてもアンジェリカにしても物事を短いスパンで考え過ぎだ。
 ローマ以降の今現在の歴史なんてここ最近の出来事でしかない。
 そこにとらわれ過ぎると大枠での流れがわからなくなる。
 所詮、人間なんてのは地球の表面にへばりついているだけの寄宿人に過ぎないんだぜ。
 クレタ文明の担い手はアフリカ起源の黒人だったという話もあるというのにな」

「まぁ、人類悠久の歴史は横に置いておいてだな……」

ひとしきり続いた沈黙を破ったのはコリニー提督だった。
提督の一言でルイーズとアンジェリカの二人が我に返る。

「そうでしたな。私の横に居る従者のアンジェリカは日ノ本より遥か北にあるプレスタージョンの王国の女騎士で貴族の姫様。
 この長い耳はそういう民族的特徴だから気にしないでいただきたく」

「……アンジェリカだ。よろしくお願いいたしまする」

紹介されたお市が仏頂面で会釈をする。
これを受けて提督は鷹揚たる様子で応えた。

「うむ。よう参られた。ゆっくりとされるがよい。
 ルイーズ、それで事の次第はどうなっている?」

コリニー提督の問いにルイーズが現状を報告する。

「は。ラ・ドーフィネ号は無事、ジャポンに辿り着きました。
 現在は駿河の今川家とこれなる安倍あべの太郎たろう殿と結び、あちらでの交易を行っております」

そこでルイーズが俺の方を向いた。
彼女の視線を受けて、俺が交代する。

「つきましては、さらなるユグノー船の派遣をお願いしたい。
 足りぬ船に関しては、ポルトガル船をこちらでアボルダージして充足させますので」

「これに関しては太郎殿とアンジェリカ殿の助力が大きな要素となりました」

そう言ってルイーズが南シナ海での戦闘をコリニー提督に披露した。

「……ううむ。そのようなことがあったとは」

「はい。お二方の御蔭で九死に一生を得ることができました」

ルイーズの報告を受けてしばらくの間、コリニーは考え込んでいたが、
ややあってから、おもむろにこちらに正対する。

「太郎殿にアンジェリカ殿、申し訳ないが暫くの間、当屋敷に賓客として滞在していただけないだろうか?
 お二方にとっても悪い話ではないと思うが」

ガスパール・ド・コリニーは思わせぶりにそう言うとウィンクしてきた。




後書き:


どういうわけか「臨淄」のwikiの現在の版では消えていますが――

2000年に東京大学の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝らは、約2500年前、2000年前の臨淄遺跡から出土した人骨、及び現代の臨淄住民から得た遺伝子(ミトコンドリアDNA)の比較研究の結果を発表した。
それによると、約2500年前の春秋戦国時代の臨淄住民の遺伝子は現代ヨーロッパ人の遺伝子と、約2000年前の前漢末の臨淄住民の遺伝子は現代の中央アジアの人々の遺伝子と非常に近く、現代の臨淄住民の遺伝子は、現代東アジア人の遺伝子と変わらないものであった。
これによって、古代の「中国」の住民を構成した人間集団が現代の中国人集団とは異なる集団を含んだ多様な構成を示したのではないかという仮説が浮上してきている。

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