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046 北元~トルファン~ヤルタ
しおりを挟む巨大な世界島。ユーラシア大陸中央部の気候は両極端だ。
クソ暑いかクソ寒いしかない。
トルファンを目の前にしてその思いを再確認する。
タリム盆地に位置しているだけに、九月も入りかけだというのに残暑が残暑になってはいない。
「知ってるか? ここは一万年前には海だったんだぜ」
俺がこう言うとお市とルイーズは信じられないという顔をした。
だがこれは事実だったりする。
一万年前の氷河期明けの時期、ヒマラヤや天山山脈から溶け出した氷河がこのタリム盆地に流れ込んで一つの巨大な内海が形成されていた。
今ではその名残など何一つ感じられない土漠地帯だが、往時においては大陸中央部の気候を穏やかにするバッファーとして作用していたらしい。
時の流れの中で乾燥が進み、タリム海の名残はロプノールくらいしか残されていない土地を牛で爆走する。
トルファンはそんな時の流れに取り残された都市だった。
――そういえば追跡専用のパトカーを署から持ち出した警察官が世紀末を旅する映画があったな。
都市の城門をくぐった時の印象はそれだった。
崩壊した文明の中にあって、V8が鎮座していたらここは世紀末かと思うことだろう。
そんな雰囲気のある都市というのが俺の印象。
ここでルイーズが幾つかの商品を買って俺に渡してくる。
「はい。これ」
「なんだ。俺にくれるのか?」
「違うわよ。商品よ! 商品!!
フランスに持ち帰ったら売れそうなものがあったら買っておくでしょ!」
ルイーズは俺のアイテムボックスを当てにしているらしい。
「いいが、運搬料は貰うぞ?」
「うっ……。仕方ないわね。それでいくらなの?」
市場の隅で俺とルイーズで価格交渉をする。
ルイーズは最後まで粘ったが、俺の提示した価格から多少値引いた値で納得させた。
「それでも儲かるからいいわ」
そう言ってルイーズは笑う。
アイテムボックス様様である。
「もうかりまっか?」
「ぼちぼちだな」
旅の途中で道連れができた。
とある隊商と道中が一緒になり、いつの間にか世間話をする間柄になったイスラム商人のサダム・ハッサンとの会話である。
言語スキルの影響か否か、関西弁の商人みたいになっているが、ハッサンがアラブ人なのは間違いない。
「スペインポルトガルが海路でインドに直接行くようになってから、商いは良くありませんわ」
「オスマンが高い関税をかけたのが裏目に出たな」
「全くその通りですわ」
仕方がないといった風で、サダムが苦笑する。
「このままいけばいずれイスラム世界は衰退してヨーロッパ諸国の草刈り場になるだろう」
「そんなまさか? ……ほんまでっか!?」
俺が笑っていないのを見て、サダムが真顔になった。
「ああ、そのまさかだ」
「ですが、なんでまた……」
困惑してハッサンが問う。
俺は噛んで含めるように言い聞かせた。
「考えてみたらいい。オスマンが完全に支配しているのはトルコ、エジプトからペルシャまでの陸路だけだ」
「それはそうですなぁ……」
「しかし、スペインポルトガルは海路を使って自由に往来している。
丸い地球だ。ぐるっと逆回りしても目的地にはたどり着けるだろう。
オスマンが支配しているのはたった一本の線だけだ。
今のままでは勝てるわけがない」
「……そんな!」
世界地図を脳裏に描いたサダムは悲鳴を上げた。
そこでハッと気づく。
「今のままではということは、何か手立てでもありますやろか?」
すがるような眼でサダムが問いかける。
「無いことは無い。ベネチアに与えている交易特権を新教諸国にも与えるというのが一つだな」
「それはつまり、新教国と旧教国の対立を煽るっていうことでっしゃろかいな?」
「そうだ。例えば国内の旧教勢力と戦っている、フランスのユグノーに領内通過の特権を与えたりな」
「それは使えますなぁ」
顎に手を当てて考えながらサダムが呟く。
「他にはスエズ地峡を開削して船が通れる運河を造るとかだな」
「運河を!」
サダムが驚いているが仕方ない。これが成功すれば物流の流れが一変するからだ。
「それは確かに間違いなくそうですわ」
「運河の通行料を徴収しても喜望峰回りよりも期間と経費が節約できるとなれば、ある程度高額でもこちらを通る船は多くなるだろう」
言われてみればそうだと感心するサダムとはアラル海南方の都市ヒヴァで別れた。
なんでも急用ができて急ぐという。
そんな彼らと別れた俺達はカスピ海北岸、今は亡きハザール王国の跡地を抜けてクリミア半島にたどり着き、そこで年を越した。
「……実に味気ない年越しだ」
野宿の最中、蕎麦掻きを口に入れてお市が呟いた。
「まったく、クリスマスも何もないわね」
鳥肉を齧りながらルイーズが同意する。
俺達はロクに風呂にも入れない急ぎ旅で不満が溜まっていた。
「仕方ないだろ」
「でも……」
ルイーズが言い募る。
仕方なく俺は妥協案を出した。
「クリミア半島には温泉がある。ここで旅の垢を落とすといい」
ヤルタ近郊の温泉地ガスプラで湯に浸かっていても、耳に入ってくるのは北方のロシア・ツァーリ国の暴君の話ばかりだ。
こいつの名はイヴァン四世、後世における又の名はイヴァン雷帝という。
流れてくる風聞から察するに、頭は良いが自制の利かない残虐な人物としか思えない。
股肱の臣二人を猜疑心から失脚させて幽閉した話などは聞いていて呆れたほどだ。
「そのような者が君主として立つとはなんということだ」
ルイーズがあきれ果てたといった様子でこぼす。
「ルーシ(ロシア)はそういうところなんだよ。
暴虐であればあるほど強い指導者だと見做される精神土壌があるからそういう君主が支持されるんだ」
現在、ロシアはリトアニア・ポーランド共和国を相手にリヴォニア戦争の最中にある。
この戦争はロシアから仕掛けた戦争だ。
「だが……しかし」
「こんなことは言いたくはないが、手足が四本あったからといって、中身まで同じとは限らないってことだ」
「くっ……」
唯一絶対神の普遍なる神の教えを信じる者にとって、俺の考えは受け容れがたいらしく、ルイーズは釈然としていない。
これが21世紀なら、窓と林檎の違いを考えろと言えば一発で理解されるんだろう。
とにかく、ルイーズからの反論は無かった。
が、その代わりにリヴォニア戦争の現場を見に行くことを約束させられた。
彼女としてはイヴァン雷帝とやらの人物を観察したいらしい。
そんなわけでバルト海方面へ寄り道することになった。
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