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026 今川家の販路拡大戦略
しおりを挟む「うわぁあああっ!!」
お市の絶叫で目が覚めた。
何だと思って横を見れば、布団から起き上がったお市が叫び声を上げて瞠目している。
最近では俺と同室で寝起きすることにためらいの無くなったお市だが、どうやらお市自身も自分の絶叫で目が覚めたようだ。
「あ、兄上を元に戻せぇっ!!」
錯乱したお市が俺に掴みかかる。
「お前のせいだ! お前が兄上をっ!!」
「一体何を言っている、アンジェリカ。
変なキノコでも拾い食いして夢でも見ているのか?」
「夢? ……夢? ……そうか、夢か」
ほうっとした顔でお市が手を俺の襟元から離して言った。
「夢、……か。
しかしそうであるならば、幼い娘になった兄上もなかなかに愛らしいものではあるな。
一度でいいから兄上の艶姿をとくとこの目で見てみたいものよ……」
何か変なことをお市が呟いて「ふひひ」と笑う。
はっきり言って意味がわからん。
「……しかしアンジェリカよ。いいのか?」
「ん? 何がだ?」
「俺と同じ部屋で寝起きをしているが、そこの所、どうなんだ?」
俺の問いにお市は何が言いたいのか分からないという表情で応える。
「私をこの様な体にしてくれたお前は私の仇だ。
仇である以上は男でも女でもない。
犬猫の雄や雌を見てお前は男だとか女だとか思うか?
雄だろうが雌だろうが猫は猫で犬は犬。仇は仇でしかない。
それと男だの女だのいうことと何の関りがあるのだ?」
真顔で言い切ったお市が怪訝そうな顔で俺を見た。
「……はぁ。まぁいい」
表情一つ変えずに俺の目の前で下着姿となったお市が黙々と着替えていく。
それを横目にしながら俺も夜着を脱いだ。
露わとなった俺の体をお市は武芸者の目で舐めるように見ている。
そこには羞恥の表情とかは一切ない。
いつも通り、付いて離れず俺の後から来る。
背後から投げかけられるお市の視線には肉食系女子の名に恥じぬ鋭いものがあった。
「太郎。食べ終わったら俺の部屋に来てくれ」
向かい合わせで俺とお市が朝餉を喰っていると、食堂に氏真が現れてそう告げた。
朝定食をカウンターで受け取った氏真が戻ってきて俺の隣に座り、箸に手を伸ばす。
その光景はまるでどこかの県庁の職員食堂みたいだ。
とはいえ、こういう食事風景を提案したのは俺なんだが、そもそもの始まりはこうだ。
「氏真、城に職員食堂を作ろう」
「なんだそれは?」と疑問を浮かべた氏真に俺は概要を話す。
「今の今川家には結束が必要だ。
そしてその為には食べる者に上下の隔てがあってはならない。
上はお前から下は足軽の一人に至るまで、同じ物を食べて結束を深めよう」
この意見に頷いた氏真のお声がかりで城の中に職員食堂が設けられた。
まぁ、この施策はそんなに大きくない城だから出来たともいえる。
裏の意図としては、今川家首脳陣に対する毒殺封じというのもあるにはあるが、「食事の質に上下の差が無い」というのは強い軍隊の条件であると言うし。
そんなわけで毒を入れてもすぐにバレるシステムに変えたせいで辞めた料理人もちらほらと。
最も、そんな特殊部隊上がりのコックがどうなったかなんて俺は知らん。
んで、朝食を共とした俺と氏真は一緒に当主執務室に入った。
入るなり氏真が俺に書状を手渡してくる。
「太郎、京から西国へ向かうついでに飛鳥井家に挨拶に行ってくれないか?」
「飛鳥井家っていうと……」
「ああ、蹴鞠の家元の飛鳥井家だ。
今回、サッカーを広めるにあたっては飛鳥井家に話を通しておく方が良いからな」
「なぁる……」
俺は氏真の返答に驚いていた。
こんなそつのないヤツだったっけか?
「太郎、お前、そつが無いと思っただろう?」
氏真が苦笑して続ける。
「飛鳥井家はこの日本における蹴鞠の家元だからな。
この、家元である、というのは思った以上に大きいものなんだ。
我らの官位が帝からの賜りものであるということが、我らが帝の臣であることの証であるのと同じくらいにはな」
そう言って氏真は微笑した。
「我ら武家が侍と呼ばれるのは帝にさぶらう者であるゆえ。
お前が言う、南蛮のナイトと申す者が、昼夜(night)の別なく君に仕えるゆえにナイト(knight)と呼ばれるが如しよ」
「……なるほど。そういうことか」
「それに本朝蹴鞠の家元たる飛鳥井家の声望も役に立つ。
お前の言っていた天下杯だが、帝賜杯の天皇杯として最上のものにしたい。
それにはやはり根回しが要るからな」
そんなわけで飛鳥井家への進物を携えて京へ向かうことになった。
無論、この飛鳥井家への進物には乾燥済みの今川メンマの俵も入っている。
多分、飛鳥井家を通じて今川メンマの販路拡大も狙っていると思う。
禁裏御用ともなれば政治的にもかなり大きい。
諸国の富裕層はこぞって買い求めてくれるだろう。
そして昼には今川家御用の商人、友野二郎兵衛が氏真との会食に城を訪れる予定だ。
「何やら今日は珍しいものを食べさせていただけるとか」
平伏した友野二郎兵衛が氏真に挨拶を述べる。
「うむ。これはおそらく本朝初であろう。
そういうものだ。食べて貰うのは」
「そうでございますか。それはまた楽しみでございます」
そんなやりとりをしているここは茶室。
混雑した職員食堂で落ち着いた会食なんぞ出来るわけがないからな。
「これへ」
氏真が手を叩くと膳がにじり口より差し出される。
それを受け取って氏真自らが配膳していった。
友野二郎兵衛は恐縮していたが、茶席では客と主の関係しかないからな。
「ほう、これは……」
丼の蓋を取って友野二郎兵衛は驚いていた。
箸を手にして手繰り寄せた麺を穴が開くほどに凝視する。
「一見すると麦切り(うどん)のようですが色が違いますな……」
「そうだ。それは蕎麦よ」
氏真が楽し気に笑うのを見て、友野二郎兵衛なるほどと唸った。
「麦の代わりに蕎麦で蕎麦切りですか……」
言い終える間もなく蕎麦をすする。
「どうだ、蕎麦がきとは違った味であろう?」
「ええ、こう、細帯のようにすると風味がまるで違いますな。
それにこの上に乗った短冊状の……竹の子ですか?
これもまた格別の風合いがあって蕎麦切りに合いまする。
特に胡椒の香りと混ざると格段に……」
食レポにふける友野二郎兵衛を満足げに見遣って氏真が頷き返した。
本来の歴史では蕎麦切りはもうちょっと後で発明される流れらしいから、別に無茶な知識チートってわけでもない。
特に胡椒に至っては日本伝来は唐辛子よりもずっと前だしな。
「その竹の子料理は今川メンマと名付けた。
それでどうであろう、友野二郎兵衛。
この蕎麦切りと今川メンマを諸国に広めてくれないだろうか?」
この申し出に友野二郎兵衛は是非にと賛意を表す。
今川家領の再建は着実に進んでいた。
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