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第1話 首つり人形
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とある中世時代。食料と水や領土を争う時代だった。 弱者の遺体は無数に積み重なられ、地層のように、積み重なって一つの山になりそうだった。
或る木には、無数の亡骸が首を吊られて処刑されていた。烏や、なにか小動物が遺骸の眼球や、肉を啄んていた。
醜悪だが世界の真理だ。
どんなに美しい人でも、死体になったら腐るし、鳥や、蠅や蛆虫などのいい養分になって、大地へ還るのだ。
そんな時代。 ある凡庸な魂はありふれた貴族令嬢として生まれ、その地で信仰する神を敬い、家父長制度である父の命令通り、道具として、父の家の繁栄に貢献するため政略結婚した。
厳しい教育の元、貴族としての嗜みや教養はあったが、脆弱な心はすり減り、なるべく夫には逆らわぬよう大人しく
人形のように従った。容姿はそれなりに整っていたが、如何せん魅力がなかった。
人形のような妻に、夫はどこか不満を持ち、苛立ちがあった。
夫は内側に炎のような情熱的な魂を持っていた。夫は本当は生気をもった華やかな美しい人が好きだ。
妻は、それを知っていたが、嫉妬はわかなかった。生きるだけで精一杯だったのだ。
夫の愛を得られないと嘆く女もいたが、何故そうまでして他人に期待するんだろうと思っていた。
妻は己を知っていたし、夫の不満もわかっていたがどうしようもない。妻は誰にも期待しなかった。
唯、淡々と生きるだけだ。己の貴婦人としての職務を果たすだけだ。
ある日、貴婦人として、恵まれた存在に出会った。 美しい金色の流れるような髪。 聡明で博識な彼女は、非常に魅力的で男での会話も対等にできるほど、才能に恵まれ、男を十分に虜にさせる才能があった。
同性の嫉妬深き貴婦人でさえも彼女ならとうなずけるほど、美しく人徳が溢れ、他者に向ける愛があった。
同性さえも魅了されるほどの優れた女であった。
理知的な茶色の瞳が、その美しい魂によってより魅力的に輝いていた。
器量もあり、彼女は王妃になるだけの器があった。
彼女と妻は、まるで月や太陽のように輝く魂と、木から今にも風で吹き飛ばされそうになっている葉のように頼りない魂で対照的だった。
夫は貴族の中でも抜きんでて、魅力的で端正な顔をしていた。頭脳明晰でもあり、女には非常に愛されていた。
信頼できる親友もいて、彼は光の中にいるのが相応しい存在だった。
妻は影のようにひっそりと生きるだけだった。不釣り合いだと扇の中で影口を叩くものは後を絶たなかった。
妻は十分に承知していたが、それでも妻として尽くした。
そんな中、貴族の社交界で、夫が彼女と踊っていた。妻よりよく似合っていた。まるで運命の伴侶のようだった。
その美しい踊りに誰もが見惚れていた。
妻は嗚呼お似合いだと思った。その時妻は予感がした。
彼とは別れるかもしれない・・。妻は無力であった。複雑な気持ちはあったが、妻はどこか諦念の気持ちがあった。
夫とは努力したがどこか心通わない。合わないのだろう。
それに夫が激しい苛立ちと不満。やがて妻を疎んだのも無理はない。男は子どものようなもの。己の欲望や心に忠実なのだ。足りない妻と一緒にいると燻る気持ちだったのだろう。 妻は無知であったが、夫の心境は手に取るように解った。だからといってどうしようもなかった。
「お前はつまらない女だ。お前といるとうんざりする。」
様々な暴言を吐かれたが、妻は薄々自分には何かが足りないと解っていたため、黙っていた。
「何故黙るのだ。お前は何も言わないな。」
「そのような事をいわれても・・わたしにはどうしていいかわからないのですよ。貴方様とは合わないことも分かっているし・・。離縁したいのですか?」
不意に輝かしい女の姿が浮かんだ。
夫はどこか変な顔をした。
「そ、そうだな・・神の前で誓ったが、お前とはどうしても心惹かれなかった。お前もわかっていただろう。」
「ええ・・頑張りましたがわたしは無理でした。」
お互いにこの結婚は失敗だと解っていて彼女は従順に離縁の手続きをした。
何故、わたしは夫と結婚してしまったのだろう。この結婚に意味はあったのだろうか?夫を不満にさせるだけだった。至らない妻であった。
夫の貴重な時間を奪ってしまったことを妻は恥じた。
妻は大人しく離縁して、見放された女たちの行く離宮へいった。姥捨て山場のようなものだ。
そこには、夫には気に入られず年老いたりした妻達が行く果ての地だ。
どんなところかと妻は僅かな興味を持って、ほんのわずかな衣服と一人の侍女を伴って行った。
夫はこれで二度と会えないだろうと思っていたが、数年後再会して、同じ夫とは再婚するとは夢にも思わなかった妻であった。
離宮は壮絶であった。阿片に溺れ現実逃避した骨と皮だけの人間とは言えない生き物がいた。
召使いがすまなそうに言った。
「お許しください。リア様はとても容色に優れていたのですよ。でも夫はリア様の老いに耐えられず容赦なく打ち捨てたのです。」
「リア様は、現実に耐えられないお方なのです。」
召使はそう言いながら阿片をリアと呼ばれた女の言うままに渡した。
それを冷ややかに見つめる冷たい目つきをした美しいがきつい目をした女。彼女も一時は、夫の寵姫として持て囃されたが、調子に乗りすぎて夫の不興をかったらしい。美しいがその美しさは吐いて捨てるほどいる。絶世の美女ではない。どうして女はこどものように調子にのるのだろう?
蓮っ葉な風情で、女は「なにさなにさ。あたしのことを馬鹿にしているのかい。あたしだってねえ。一時は上り詰めたんだよ。でも女が夫に口答えして何がいけないのさ。あたしはあいつに頑張って仕えたんだよ。なのにあいつは飽きた。不愉快だと言ってあたしをここに捨てたんだよ。」
まあ・・酷い夫ね。わたしの夫はお互いに理解しあっていたけど・・なにか足りなかったのかしら。やはり愛・・?
中には狂うほど夫の名を呼ぶ女も居た。それを見て妻はぞっとした。
そんなに夫に執着できるものか? それは愛なのか?依存では?
女達の赤裸々な姿を見て、妻は少し眩暈がした。
女って一体・・? どうして男は女を愛では捨てるのだろう? やはり何かが劣っているから?
優秀な素晴らしい男ならわかるが、醜い男や冴えない男が、男より優れた女を痛めつけて離宮へ捨てた時は流石に足りない女にも腹が立った。
弱い者劣った者は、生かされているに過ぎないからまだわかる。
しかし、優れた女が女というだけで、劣った男に痛めつけられ捨てられるのだろうか?それは間違いではないのか?
妻は思ったより正義感があったらしい。自分でも意外であった。
妻は優れた女を優先的に介抱し、自分で自分を見捨てた女はなるべく放置した。救いを求めている女もやはりある程度は介抱した。
本当に救えるのは、自分だけだ。妻には解っていた。男も女も、自分で自分の心や人生を救いたいと思うならなんでも藁でもつかむのだ。それこそが人間の生のそのままかもしれない。
わたしはその救いに微力ながらも力を貸すだけだ。侍女は「貴方様がそのような卑しい事をしなくても・・」と苦言をしたが、妻は言った。
「いいのよ。これはわたしがしたいからするだけよ。弱い者も何もしないよりましでしょう。」
「奥様・・何故貴方は悲観しないのですか? 貴方は誰にも期待しない。自己完結していらっしゃいます。だから旦那様も苛立っていたのですよ。旦那様も貴方様を大事にしようとしていました。でも貴方様はどこか見えない壁がありました。そこには誰も入れないので旦那様は苛立っていたのですよ。」
「なんですって・・あの方が・・。」
妻ははじめて己の自己完結性に気づいた。考えてみれば、妻はいつも箱の中から何かを覗くように臆病に生きていた。
妻の目から鱗が落ちた。嗚呼。わたしは最初から夫を突き放していたんだ。こうなるのも無理はない。
彼は彼なりに歩み寄ろうとしていたのに‥何故わたしは勇気を出してありのままに歩み寄ろうとしなかったのだろう。
妻は初めて泣いた。自分の不完全さと夫への申し訳なさに泣いた。
妻ができることは救いを求める女たちを微力ながらも力を貸すことと、夫の幸福を祈ることだけだった。
やはり私はあの偉大な『神』がいうとおり凡庸で矮小なのか?
おや?何故わたしはそんなことを考えて・・?妻は混乱した。時折、変な思考が出てくる。妻は覚えていないが魂が覚えていた。
妻はとにかく、離宮の地獄を少しでも改善するように努力した。はじめは反発したり、囃し立てていたり、侮蔑するような目つきをした女達であったが、唯無心に美しくしようと努力する様を見て、次第に女達も自分を立て直しをするように、離宮を綺麗に掃除し始めた。糞はちゃんとした場所に流し、匂い消しに、薬草に詳しい女が、そこら辺にある良い匂いがする花や、草を日光浴して乾燥させ、糞と一緒に混ぜた。
少し、強烈な匂いが減った。 その後女は糞を入れた場所の周辺に良い匂いがする花や草を植えた。
破れた衣服は繕い物が上手な女達が色々と上手く修理しようと前より良くしようとあれこれと知恵を絞ってちくちくと繕っていた。
痛めつけられた女達が休めるように、優しい女は布に柔らかなものを入れクッションらしきものをつくり、患者たちに与えた。
酒に溺れた女も、皆の治そうとする様子を見て、影響を受けて見様見真似で医者の助手みたいなことをやった。
酒を患者の傷跡を消毒するようにした。
黒く汚れた床は、遠く離れた井戸水を数人かがりでくみ上げて、冷たい水を桶に入れて運び、ボロボロの布で隅から隅まで磨き上げた。何度も洗っては磨き上げた。壁も綺麗に磨いた。
以前よりは、清潔で人間が住める住居になった。女たちは自分のやった成果が表れて嬉しそうに笑った。
それ以来、女達は交代で掃除の順番を決めた。どうやったら綺麗になるか女達はあれこれ知恵を絞って工夫した。
患者もだんだん回復してきた。今思えばあれが女たちの幸福だったのかもしれない。
男よりも美しく優れた女は地獄の底を見たように目の奥が底光りしていた。
誰よりも痛めつけられた体は惨たらしい傷が無数にあった。これには流石に女も疲れた。
世の中にはどうしようもない酷い事をするひともいるのね・・。夫は殴らなかったのに・・。暴言だけだったわ。
目で美しい女に語りかけながら介抱していると、不意にその心の声にこたえるように女が言った。
「世の中には、女が憎い男が居るのよ。それも自分より優れた女や、目障りな女がね。どうしようもない醜い心を持った男や女はたくさんいるわ。その中でも異常性をもった男をわたしは運悪く夫に持ってしまったのよ。神様は悪趣味よ。」
なるほど・・妻は納得した。確かに神様は悪趣味かもしれない。まさかこんな地獄があったとは思わなかった。
誰かが誰かを痛めつけるだけでこんな生き地獄が生まれるのだ。
これはなんの因果だろう。 神様は何を試しているのだろうか?面白いから?
彼女は凡庸なりにこの世の不条理や理不尽を学ぼうとしていた。
これも何かの試練だろう。 彼女はどこかでいつも誰かが見ている気がするのだ。
異様なほど冷徹で、興味深げな視線。それを魂は覚えている。
「貴女は生き延びました。それを尊く思うことです。どんな不幸や禍が訪れても貴女は負けなかったのですから・・。わたしは貴女の生きたいという力に助力しただけです。」
彼女はありふれた名前を言った。
「私の名前はアン・ドリュー・シーランです。」「あまり領地はない一介の貴族令嬢でした。妻になったのですが、夫との不和でここに来ました。貴女の名前は?お聞かせください。」
女は凍てついた無表情な顔で、かすかに皮肉気な笑いをして「リサよ。唯の運の悪い女よ。」
平民?そんなはずはない。彼女の教養は貴族並みだ。本物の平民は子どものように幼稚じみて粗暴だ。
貴族はその獰猛な本性を教養や知性で覆い隠す。擬態が上手いのだ。
それに騙される女や子供は多い。餌食になった人たちをアンは無感動に傍観者として見ていた。
はっとアンはようやく気づいた。
世の中には、事件が起こる時、加害者と被害者 傍観者 この3人に人々は別れる。
傍観者は本当に罪は無いのだろうか?
何もしらないから唯見ていただけだけど・・。
何かを知ってながらなおかつ見ているのは共犯者にならないか?
見殺し罪・・この事をアンははじめて実感した。確かに弱い者も何もしないよりましだわ・・。だって今は女達は生き生きしているもの・・。
アンはこの最果ての離宮に来てようやく、夫の気持ちや、色々な事に気づき学んだような気がした。
アンは恐らくここで一生を終えるのだろう。逃げるつもりはない。どこにも行く気はないし、行くところもないのだ。
アンははじめて自分はなんと薄っぺらい人生をおくっているなと解った。
或る木には、無数の亡骸が首を吊られて処刑されていた。烏や、なにか小動物が遺骸の眼球や、肉を啄んていた。
醜悪だが世界の真理だ。
どんなに美しい人でも、死体になったら腐るし、鳥や、蠅や蛆虫などのいい養分になって、大地へ還るのだ。
そんな時代。 ある凡庸な魂はありふれた貴族令嬢として生まれ、その地で信仰する神を敬い、家父長制度である父の命令通り、道具として、父の家の繁栄に貢献するため政略結婚した。
厳しい教育の元、貴族としての嗜みや教養はあったが、脆弱な心はすり減り、なるべく夫には逆らわぬよう大人しく
人形のように従った。容姿はそれなりに整っていたが、如何せん魅力がなかった。
人形のような妻に、夫はどこか不満を持ち、苛立ちがあった。
夫は内側に炎のような情熱的な魂を持っていた。夫は本当は生気をもった華やかな美しい人が好きだ。
妻は、それを知っていたが、嫉妬はわかなかった。生きるだけで精一杯だったのだ。
夫の愛を得られないと嘆く女もいたが、何故そうまでして他人に期待するんだろうと思っていた。
妻は己を知っていたし、夫の不満もわかっていたがどうしようもない。妻は誰にも期待しなかった。
唯、淡々と生きるだけだ。己の貴婦人としての職務を果たすだけだ。
ある日、貴婦人として、恵まれた存在に出会った。 美しい金色の流れるような髪。 聡明で博識な彼女は、非常に魅力的で男での会話も対等にできるほど、才能に恵まれ、男を十分に虜にさせる才能があった。
同性の嫉妬深き貴婦人でさえも彼女ならとうなずけるほど、美しく人徳が溢れ、他者に向ける愛があった。
同性さえも魅了されるほどの優れた女であった。
理知的な茶色の瞳が、その美しい魂によってより魅力的に輝いていた。
器量もあり、彼女は王妃になるだけの器があった。
彼女と妻は、まるで月や太陽のように輝く魂と、木から今にも風で吹き飛ばされそうになっている葉のように頼りない魂で対照的だった。
夫は貴族の中でも抜きんでて、魅力的で端正な顔をしていた。頭脳明晰でもあり、女には非常に愛されていた。
信頼できる親友もいて、彼は光の中にいるのが相応しい存在だった。
妻は影のようにひっそりと生きるだけだった。不釣り合いだと扇の中で影口を叩くものは後を絶たなかった。
妻は十分に承知していたが、それでも妻として尽くした。
そんな中、貴族の社交界で、夫が彼女と踊っていた。妻よりよく似合っていた。まるで運命の伴侶のようだった。
その美しい踊りに誰もが見惚れていた。
妻は嗚呼お似合いだと思った。その時妻は予感がした。
彼とは別れるかもしれない・・。妻は無力であった。複雑な気持ちはあったが、妻はどこか諦念の気持ちがあった。
夫とは努力したがどこか心通わない。合わないのだろう。
それに夫が激しい苛立ちと不満。やがて妻を疎んだのも無理はない。男は子どものようなもの。己の欲望や心に忠実なのだ。足りない妻と一緒にいると燻る気持ちだったのだろう。 妻は無知であったが、夫の心境は手に取るように解った。だからといってどうしようもなかった。
「お前はつまらない女だ。お前といるとうんざりする。」
様々な暴言を吐かれたが、妻は薄々自分には何かが足りないと解っていたため、黙っていた。
「何故黙るのだ。お前は何も言わないな。」
「そのような事をいわれても・・わたしにはどうしていいかわからないのですよ。貴方様とは合わないことも分かっているし・・。離縁したいのですか?」
不意に輝かしい女の姿が浮かんだ。
夫はどこか変な顔をした。
「そ、そうだな・・神の前で誓ったが、お前とはどうしても心惹かれなかった。お前もわかっていただろう。」
「ええ・・頑張りましたがわたしは無理でした。」
お互いにこの結婚は失敗だと解っていて彼女は従順に離縁の手続きをした。
何故、わたしは夫と結婚してしまったのだろう。この結婚に意味はあったのだろうか?夫を不満にさせるだけだった。至らない妻であった。
夫の貴重な時間を奪ってしまったことを妻は恥じた。
妻は大人しく離縁して、見放された女たちの行く離宮へいった。姥捨て山場のようなものだ。
そこには、夫には気に入られず年老いたりした妻達が行く果ての地だ。
どんなところかと妻は僅かな興味を持って、ほんのわずかな衣服と一人の侍女を伴って行った。
夫はこれで二度と会えないだろうと思っていたが、数年後再会して、同じ夫とは再婚するとは夢にも思わなかった妻であった。
離宮は壮絶であった。阿片に溺れ現実逃避した骨と皮だけの人間とは言えない生き物がいた。
召使いがすまなそうに言った。
「お許しください。リア様はとても容色に優れていたのですよ。でも夫はリア様の老いに耐えられず容赦なく打ち捨てたのです。」
「リア様は、現実に耐えられないお方なのです。」
召使はそう言いながら阿片をリアと呼ばれた女の言うままに渡した。
それを冷ややかに見つめる冷たい目つきをした美しいがきつい目をした女。彼女も一時は、夫の寵姫として持て囃されたが、調子に乗りすぎて夫の不興をかったらしい。美しいがその美しさは吐いて捨てるほどいる。絶世の美女ではない。どうして女はこどものように調子にのるのだろう?
蓮っ葉な風情で、女は「なにさなにさ。あたしのことを馬鹿にしているのかい。あたしだってねえ。一時は上り詰めたんだよ。でも女が夫に口答えして何がいけないのさ。あたしはあいつに頑張って仕えたんだよ。なのにあいつは飽きた。不愉快だと言ってあたしをここに捨てたんだよ。」
まあ・・酷い夫ね。わたしの夫はお互いに理解しあっていたけど・・なにか足りなかったのかしら。やはり愛・・?
中には狂うほど夫の名を呼ぶ女も居た。それを見て妻はぞっとした。
そんなに夫に執着できるものか? それは愛なのか?依存では?
女達の赤裸々な姿を見て、妻は少し眩暈がした。
女って一体・・? どうして男は女を愛では捨てるのだろう? やはり何かが劣っているから?
優秀な素晴らしい男ならわかるが、醜い男や冴えない男が、男より優れた女を痛めつけて離宮へ捨てた時は流石に足りない女にも腹が立った。
弱い者劣った者は、生かされているに過ぎないからまだわかる。
しかし、優れた女が女というだけで、劣った男に痛めつけられ捨てられるのだろうか?それは間違いではないのか?
妻は思ったより正義感があったらしい。自分でも意外であった。
妻は優れた女を優先的に介抱し、自分で自分を見捨てた女はなるべく放置した。救いを求めている女もやはりある程度は介抱した。
本当に救えるのは、自分だけだ。妻には解っていた。男も女も、自分で自分の心や人生を救いたいと思うならなんでも藁でもつかむのだ。それこそが人間の生のそのままかもしれない。
わたしはその救いに微力ながらも力を貸すだけだ。侍女は「貴方様がそのような卑しい事をしなくても・・」と苦言をしたが、妻は言った。
「いいのよ。これはわたしがしたいからするだけよ。弱い者も何もしないよりましでしょう。」
「奥様・・何故貴方は悲観しないのですか? 貴方は誰にも期待しない。自己完結していらっしゃいます。だから旦那様も苛立っていたのですよ。旦那様も貴方様を大事にしようとしていました。でも貴方様はどこか見えない壁がありました。そこには誰も入れないので旦那様は苛立っていたのですよ。」
「なんですって・・あの方が・・。」
妻ははじめて己の自己完結性に気づいた。考えてみれば、妻はいつも箱の中から何かを覗くように臆病に生きていた。
妻の目から鱗が落ちた。嗚呼。わたしは最初から夫を突き放していたんだ。こうなるのも無理はない。
彼は彼なりに歩み寄ろうとしていたのに‥何故わたしは勇気を出してありのままに歩み寄ろうとしなかったのだろう。
妻は初めて泣いた。自分の不完全さと夫への申し訳なさに泣いた。
妻ができることは救いを求める女たちを微力ながらも力を貸すことと、夫の幸福を祈ることだけだった。
やはり私はあの偉大な『神』がいうとおり凡庸で矮小なのか?
おや?何故わたしはそんなことを考えて・・?妻は混乱した。時折、変な思考が出てくる。妻は覚えていないが魂が覚えていた。
妻はとにかく、離宮の地獄を少しでも改善するように努力した。はじめは反発したり、囃し立てていたり、侮蔑するような目つきをした女達であったが、唯無心に美しくしようと努力する様を見て、次第に女達も自分を立て直しをするように、離宮を綺麗に掃除し始めた。糞はちゃんとした場所に流し、匂い消しに、薬草に詳しい女が、そこら辺にある良い匂いがする花や、草を日光浴して乾燥させ、糞と一緒に混ぜた。
少し、強烈な匂いが減った。 その後女は糞を入れた場所の周辺に良い匂いがする花や草を植えた。
破れた衣服は繕い物が上手な女達が色々と上手く修理しようと前より良くしようとあれこれと知恵を絞ってちくちくと繕っていた。
痛めつけられた女達が休めるように、優しい女は布に柔らかなものを入れクッションらしきものをつくり、患者たちに与えた。
酒に溺れた女も、皆の治そうとする様子を見て、影響を受けて見様見真似で医者の助手みたいなことをやった。
酒を患者の傷跡を消毒するようにした。
黒く汚れた床は、遠く離れた井戸水を数人かがりでくみ上げて、冷たい水を桶に入れて運び、ボロボロの布で隅から隅まで磨き上げた。何度も洗っては磨き上げた。壁も綺麗に磨いた。
以前よりは、清潔で人間が住める住居になった。女たちは自分のやった成果が表れて嬉しそうに笑った。
それ以来、女達は交代で掃除の順番を決めた。どうやったら綺麗になるか女達はあれこれ知恵を絞って工夫した。
患者もだんだん回復してきた。今思えばあれが女たちの幸福だったのかもしれない。
男よりも美しく優れた女は地獄の底を見たように目の奥が底光りしていた。
誰よりも痛めつけられた体は惨たらしい傷が無数にあった。これには流石に女も疲れた。
世の中にはどうしようもない酷い事をするひともいるのね・・。夫は殴らなかったのに・・。暴言だけだったわ。
目で美しい女に語りかけながら介抱していると、不意にその心の声にこたえるように女が言った。
「世の中には、女が憎い男が居るのよ。それも自分より優れた女や、目障りな女がね。どうしようもない醜い心を持った男や女はたくさんいるわ。その中でも異常性をもった男をわたしは運悪く夫に持ってしまったのよ。神様は悪趣味よ。」
なるほど・・妻は納得した。確かに神様は悪趣味かもしれない。まさかこんな地獄があったとは思わなかった。
誰かが誰かを痛めつけるだけでこんな生き地獄が生まれるのだ。
これはなんの因果だろう。 神様は何を試しているのだろうか?面白いから?
彼女は凡庸なりにこの世の不条理や理不尽を学ぼうとしていた。
これも何かの試練だろう。 彼女はどこかでいつも誰かが見ている気がするのだ。
異様なほど冷徹で、興味深げな視線。それを魂は覚えている。
「貴女は生き延びました。それを尊く思うことです。どんな不幸や禍が訪れても貴女は負けなかったのですから・・。わたしは貴女の生きたいという力に助力しただけです。」
彼女はありふれた名前を言った。
「私の名前はアン・ドリュー・シーランです。」「あまり領地はない一介の貴族令嬢でした。妻になったのですが、夫との不和でここに来ました。貴女の名前は?お聞かせください。」
女は凍てついた無表情な顔で、かすかに皮肉気な笑いをして「リサよ。唯の運の悪い女よ。」
平民?そんなはずはない。彼女の教養は貴族並みだ。本物の平民は子どものように幼稚じみて粗暴だ。
貴族はその獰猛な本性を教養や知性で覆い隠す。擬態が上手いのだ。
それに騙される女や子供は多い。餌食になった人たちをアンは無感動に傍観者として見ていた。
はっとアンはようやく気づいた。
世の中には、事件が起こる時、加害者と被害者 傍観者 この3人に人々は別れる。
傍観者は本当に罪は無いのだろうか?
何もしらないから唯見ていただけだけど・・。
何かを知ってながらなおかつ見ているのは共犯者にならないか?
見殺し罪・・この事をアンははじめて実感した。確かに弱い者も何もしないよりましだわ・・。だって今は女達は生き生きしているもの・・。
アンはこの最果ての離宮に来てようやく、夫の気持ちや、色々な事に気づき学んだような気がした。
アンは恐らくここで一生を終えるのだろう。逃げるつもりはない。どこにも行く気はないし、行くところもないのだ。
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