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第30話 或る侍女視点

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光り輝く傲慢な女神アグライア様は豊かな波打つ光に透ける金の髪を腰まで伸ばし、豊満な肢体を露わにして館を歩いても恥はない。堂々と古代の女神のように歩いている。

彼女にとって、下位の者はいないに等しい。
裸体で彼女は、愛馬に乗って、逃げる獣や天高く飛ぶ鳥を弓で射る。落下していく鳥を見てアグライアは笑って
猟犬どもに落下した獲物を持ってくるよう命令した。

猟犬は了承の吠え声をして、駆け去っていった。しばらくして血まみれの鳥をくわえた猟犬が主人アグライアのもとに誇らしげに持ってきた。
それを見たアグライアは喜悦の笑みを浮かべて、その鳥を丸焼きにして豪快に食べた。

まるでアグライア様は獣の化身のようであった。

ここ、ドール家は、スラム社会や市民社会や貴族社会でも別次元の世界であった。

嗚呼。ここは古代の残虐な女神や神々が存在している世界なのだ・・。

アルマはそれを悟った。 父親アールも金茶の髪をしてなかなか端正な美しい容姿をしてとても優秀な頭脳を持って
裏社会の実力者になり、それなりの存在ではあるが、これは貴族の中でも別格だ。

生まれながらの支配者。 それがドール様であり、アグライア様であった。

絶対的な権力と圧倒的な存在感がある女神や神々のような人たち。


実父アールはスラム育ちのため、優秀な娼婦である母を選び、アルマという子を残した。
セルマという父の仲間の高級娼婦は今だ艶やかで男たちの情欲をそそる女であった。彼女はアールに忠実な仲間だった。何故、セルマが実の母でないのか?不思議に思ったが、アールは仲間とはやりたくないという性質を持っていたのだとセルマは言った。

アールは厳しい少年時代を育ったから性に厳しかった。性は誰かを快楽に落とす手段に過ぎなかった。
仲間とは一線を越えたくなかった。子どもをつくりたかったら、より優秀な母親を選んで子を残そうと決めていたようだ。

何故、娼婦なのか?それもアルマには不思議だったが、セルマはためらいがちに言った。
「あのね。パスカというあたしたちの子どものころからの仲間がいたのよ。 彼女は数奇な運命を辿ったわ。
とても美しい宝石のような瞳で貴族の男に気に入られたのよ。彼女は貴族のお気に入りの人形になったわ。
そうね、まるで貴族令嬢みたいになってた。でも彼女はいつも不安定だったのよ。気まぐれに拾われて、気まぐれに愛される猫に過ぎなかったわ。
彼女は信頼できる仲間が居なかった。家族も居なかった。ある日、彼女は自分の身体が傲慢な貴族の男を堕とすことを知ったのよ。
彼女は己の身体を差し出して虜にしたわ。そして生き延びた。娼婦と変わらないわね。
ある日、彼女は不安定な人生に耐えられず、貴族の家族遊戯を止めたのよ。そうね。気に入られていたから金目のものはたくさんもらったみたい。彼女は、貴族や夫人の慰み者だったみたい。

彼女はあたしたちのところへとても美しくなって戻って来たわ。彼女はあたしたちが喜ぶような豪華な宝ものを持ってきた。アールはそれを資金として、商会や裏社会の商談にも手を伸ばしたの。今ある素晴らしい流行っている道具や商品はね、仲間だったトートと言う職人にパスカがこの商品は良いよ。売れるかもと勧めたのよ。アールもそれを見て、直感がどんどん湧いてきたんだって。

パスカはあたしたちの幸運の女神であり良き道へ導いてくれる女神だったのよ。でも彼女はとんでもないことをやったわ。」


セルマはパスカの信じられぬ愚行を語った。ドール様という方に醜悪な真実を知らせたのだ。その場で殺されても文句は言えない。しかし彼女は既にドール様を虜にしていた。だから生き延びたのだ。

パスカは一度は逃げたが、セルマに会おうとしてドール様に捕まって性奴隷のような扱いになったようだ。
それでも、パスカは悪運が強かった。ドール様はパスカを歪んた愛で『輝かしい奴隷』にしたのだ。

パスカは信じられない強運と悪運で、ドール様を虜にし続けた。

セルマも辛うじて紙一重で生き延びたのだ。パスカの仲間だからドール様は見逃したらしい。

父アールはその事情の内容を詳しく知っている。
ドール様の犯した大罪も、近親相姦の一族であったことも何もかも知っている。アールは事情通であり、聡明であったからだ。

アールは知っていることをありのままにアルマに話した。
はじめはモノと言う仲間が死んだ。次にトートという仲間が心の病で死んだ。それは仕方がない。
そういう運命だったからだ。

アールは、セルシーオ・ナミという宗教施設にいるアルという弟がいたようだ。いつも頭で語り合っていたらしい。
そういう能力があったのだ。生身であいたいと思っていたが、駄目だった。アルは病弱で最後に御免。もう体がもたない。サヨナラと言って呆気なく死んだようだ。

俺たちの命は本当に呆気ない。父親はそう言って自嘲した。
弟アルが死んでしばらく彼は虚無感を抱いたが、パスカがより美しくなって、セルマやタロー、父親アールに会いに来たのだ。嬉しそうにはじゃきながらパスカはセルマやタローやアールを抱きしめた。

「やっと再会できたわね。ドール様がやっとお許しになったの。ごめんなさい。わたくしの愚行のために貴方達の命を危険にさらしてしまった。でももう大丈夫よ。ドール様がお許しになったのはわたくしがあのお方の子を孕んだから・・。」

長女アグライアを出産して、半年後、パスカはドール様にやっと「仲間に会わせてください。」とささやかな願いをした。
その願いはかなえられたのだ。

パスカはドール様の奴隷であり、ドール家の母親となったのだ。
アールは聡明な頭で全てを理解した。 ドール様はかつての醜い一族を殺害して、真実と現実を知らせた凶の女神を、運命の女神ヤヌアの使者として、新しいドール家の母親として存在させようとしたのだ。

パスカはもはやドール家の一部として組み込まれていた。

凡庸な目だけが美しい奴隷女は、かつてないほどドール様を満たすためだけに存在していた。

そしてパスカもドール様に魅入られていたことだった。

アールの深い緑の目が爛々と光った。それは嫉妬の光だった。

アールはパスカに僅かに恋慕を抱いていた。だが彼女はもはや恐ろしいドール様の所有物であり、パスカの愛はドール様に向けられていた。

アールは表面上では良かったなとパスカや仲間同士との再会を喜んでいたが、内心かつてない嫉妬の炎で渦巻いていた。

はじめて、己の境遇と、ドール様という絶対的な権力を持つ相手を比べたのだ。

俺はモノやトート、アルという仲間を失ってやっとここまで来た。なのにドール様は生まれながらに全てを得ては壊し、新しいものを得ようとしている・・。


アールも幼いころの苦労が祟って、そう長生きしない事を知っている。アールははじめて優秀な娼婦を母親として子どもを産ませようと思った。

それはドール様に対する一種の戦いや挑戦だったのかもしれない。

パスカも娼婦に等しい女だったから・・でも奴隷とはいえ彼女は寵愛で生き延びている。


アールはどうしても子どもが欲しくなったのだ。
或る優秀な娼婦を選び、愛は無いが、どこかはっとさせるものがある女を母体として選んだ。

結果としては大当たりだったのだ。それぞれの優秀な個性を合わせた子どもが生まれた。それがアルマだ。

アルマは父アールの嫉妬で生まれたのだ。

愚かしい動機で彼女は生まれた。呆れて笑いたくなったが、良く考えてみればパスカと言う女やセルマという娼婦やドール様という貴族の男が父アールに運命の蛇のようにもつれ合って絡んでいなかったら、アルマは存在していなかった。
どれほど下らない動機であろうとも、存在は不思議なほど絡み合って、新しい存在を生み出す。



アルマは密かにドール様に興味を抱き、アグライア様と言うお方にも興味を抱いた。
運命は、ある時、唐突に彼女の望みを叶えた。

アルマが成長して大人になった頃、パスカという『輝かしい女』が亡くなったのだ。
突然死だった。過酷な生を生きた子どもはあまり長生きしない。今まで生きていたのが不思議なぐらいパスカの身体は弱っていた。

苛酷な性交と重い寵愛に耐えた彼女は、アルマに会えないまま亡くなった。
父アールが愛した女・・。一目見て見たかった。
アールも数年前に亡くなっていた。

アルマは実母を知らない。アールの元で教育された。厳しく貴族のような修練を受けた。何故だと思っていたが、
前々から、密かにアールはパスカに頼んでいたようだ。

アルマをドール家で働かせてほしいとずっと懇願していたようだ。
パスカはなんとなくアールの意図を知っていたようで、ためらっていた。

しかし死の間際に、パスカはアールの望みを叶えるように願った。
ドール様に甘えたのだ。 「わたくしが死んだら仲間のアールの子アルマを侍女にしてアグライアの元で働かせてください。必ずやアグライアの役に立つでしょう。」
それが彼女の遺言になった。

彼女が本当は何を思って、アールの望みを叶えたかはわからない。

こうしてアルマは、ドール家の女長となるアグライアの侍女となったのだ。


一目見て、嗚呼・・これは別次元の世界にいる種族だと解った。
ドール様も勿論存在感があったが、アグライア様は若く猛々しいオーラを放っていた。

アグライア様は苛烈な気性を持ち、残虐な古代の女神そのものだった。

正に女神として生まれた正当な貴族の中の貴族。


アルマは彼女に魅了された。 しかし同時に父アールの嫉妬故に生まれた己の存在も知っていた。

彼女は、男性的なアグライア様に、パスカとセルマと同様に快楽の女神として奉仕した。


歴史は繰り返すのだろうか?

アルマはそう思いながらもアグライア様の快楽に蕩ける顔を美しいと思いながら奉仕した。

わたしはアグライア様を裏切りたくない。でも父アールのためにも、アグライア様に拮抗するほどの何かを見せなければと思った。

でなければあまりにも父アールが哀れであったからだ。

彼女は余興として、アグライア様に彼女の敵をいかにして屠るか、その優れた頭脳で戦略を立てて、自滅させる様子やチェスの駒のように、面白いように敵や味方が動く様を披露させた。


その時のアグライアの子どものような無邪気な笑顔が忘れられなかった。
神々しく美しかった。見惚れていた。

嗚呼・・これが恋慕というものか愛と言うものか・・アルマは深くアグライア様を愛した。
そして哀れな父親を葬ることにした。精神的な親殺しだ。

アルマは、ごめんねと心で思いながら、父を殺した。
アルマはアグライア様の忠実な侍女となった。
とても暗い昏い笑みをアルマは浮かべるようになった。


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