女の不可思議な人生

栗菓子

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第6章 民たちの怒り

弱者の憂鬱

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皇国の奴隷、或いは奴隷に近い弱者は、最も淘汰されやすい生き物でもある。
疫病、重労働、飢饉など、誰からも見捨てられている弱者は無数にいる。
かつては優秀な者であった士族も、盗賊などの防衛や、他の事情で深い負傷を負った者達は使い捨てにされる。
僅かな労働のお金で放り出された弱者は数しれない。
有望だった士族の妻も悄然と俯いて、片腕になった夫を支えて、それなりに心地よかった家を離れる。
ひとまず、遠くの親戚に頼り、そこで働こうと計画を立てたが、親戚が急死して、頼みの綱も潰えた。
彼らは貧民社会の安い家を借りるしかなかった。
弱肉強食の掟とはいえ、身も心も忠誠を尽くした夫をこうもあっけなく身限ることができるとはと今更ながらに皇国の厳しさと非情さに心震わせる妻であった。
こどもが居なかったのがせめてもの救いである。
妻もある程度、生活に必要な知識はあるが、いかんせん女でも働ける仕事が少なかった。
僅かな金で洋服を仕立てたり刺繍をする仕事
粗暴な男にも食べ物や飲み物を渡す酌婦、娼婦まがいの事や、後ろ暗い仕事、高給ではあるが、火力で鉄や他の鉱石を溶かし、形を固めるような工場など、女の身にはかなり重労働な仕事ばかりであった。
妻は長い長い腰まである自慢の髪を鬘屋に売った。
金目のものはなんでも高く売ってくれるところを探し、なるべく生活できるように動き回った。
貧民社会の安い家で栽培できる食べ物はないかと、僅かな庭で野菜の種を植え、自活できるように努力した。
隣人に生活の掟はできる限り守るようにした。この貧民社会は掟さえ守れば、金を儲けた人は食べ物も分けてくれる。決して、人の詮索はあまりしないこと。お互いに助け合うこと。金を儲けた人は分け合うこと。
原始社会に近いが、慣れればそれなりに仲間として認められる。
ようやくこの社会に慣れつつある夫婦だが、きな臭い戦乱の匂いがしてきた。
皇国で、雲上の人 貴族たちの派閥の闘争が苛烈になってきたようである。
奴隷や、軍人の人、得体のしれぬ人があちこちで魑魅魍魎のように跋扈するようになった。
貧民社会にもスパイの疑惑として連行された無辜の人々がいた。
戻ってきた人は極わずかだった。体はボロボロになって惨たらしく傷だらけになって戻ってきた。
彼らは家族に痛い苦しいと訴えながら息絶えた。
家族のやるせなさ。底知れぬ憤怒。悲しみは深かった。
敏い人たちは、もっと苛烈になるかもしれない。明日は我が身だ。と恐怖に震えながら、内乱になる前に安全なところに疎開しようとする者もいた。
夫婦にはもうその気力はなかった。ここで皇国の行方を見届ける覚悟をした。
巻き込まれて死ぬかもしれない。だが生き延びたら、新しい皇国を見れるかもしれない。
やつれ切った妻は未来への不安と焦燥と憂鬱に駆られながらも果てまで夫と生きようとした。
仕事だけは続けよう。なんでもやろう。と内乱になる前に何でも仕事をした。そして夫の面倒を見た。
それしか妻の生きる道はなかった。
妻は飢えの恐怖にも震えた。夫婦より極めて貧しい人々が美味しそうに肉を焼いて食べていたのを見たことがある。
この貧民社会の周辺には獣らしきものはいない。貧民がすぐ食べてしまうからだ。
妻はこどもや赤ん坊を抱えていた女や男が、ある日子どもや赤ん坊は消えて肉を嬉しそうに食べているのも見た。
肉しかなかった。野菜はどこにもなかった。
妻は考えるのを止めた。唯、仕事と夫の世話だけに専念した。
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