水底の恋 天上の花

栗菓子

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第1章 よく或る娼婦の話

或る悪魔の思い

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男は、偉大なる父の息子として生まれた。慎ましく優しくも貴族としての誇りに満ちた母の胎内でゆっくり成長しながら思った。随分と退屈な生を送りそうだ・・と憂鬱な気分であった。男には赤子からの記憶がる。
胎内は確かに気持ちが良いが、閉塞感もあった。破水した瞬間が忘れられない。嗚呼いよいよ外へ出るのだ。
男はかすかに高揚する思いで産道を通り、医師の手で引きずり出され、光を見た瞬間、生まれた瞬間は今も忘れられない。
精悍な獣のような顔をした端正な父親が、よくやったと母親をねぎらっていた。母親は嬉しそうに微笑んだ。
これが僕の両親か・・彼は無機質に両親を観察した。
母によく似た長男がいた。おやおや先客か。嬉し気に笑う兄は新しい家族ができたことを偽りなく喜んでいるらしい。僕は何と美しい光景か・・とどこかで嘲笑している意識があった。
美しい家族の中で黒い子が生まれた。僕は自分を把握していた。嗚呼僕は異端なんだ。
無垢な子どもではない。老獪な醜悪な意識もどこかで僕に宿っている。これは何だ。僕の過去。前世か?
ふふふ違うよ。そなたの家族は貴族だ。とても古い血を引く貴族だ。その中で醜悪な負の闇の者とも交わった者も居る。当時戦は激しく止まることを知らない暗黒時代だった。
絶対なる力を必要とした貴族もいたのだ。それは人の道を踏み外した外道の交わりだ。
そなたの先祖には異なる化け物と交わった。その血脈も流れている。そなたにも分かるだろう。
普通の人が家畜に見えたり、玩具にしか見えない時がある。それは人間より高位の者と交わった証だ。異常者ではないよ。種として当然の感覚でもある。
我はそなたのもう一つの血脈に潜む人格でもある。そなたの体と器は、異界の化け物の血が濃厚に宿っている。
先祖帰りであろうな。そなたは人間以上の力と位階を生まれながらに有している。

そなたにとって人間の世界はおままごとにしか見えぬであろう。今はまだ赤子故、擬態をするのだ。
そうだな。彼はその囁きに答え目を閉じて眠りについた。
その寝顔は無垢な赤子の顔だった。

母親は愛おし気に赤子を見た。今だ赤子の本性を知らぬ故の母の愛に満ちた抱擁であった。
父もそれを見てかすかに頬を緩めた。

今はまだ幸福な家族の光景だった。

赤子にとっては擬態の時代が始まったのだ。

それでも長じるにすれ、赤子は幼児となり、庭園で遊ばせている小鳥や小動物を手で引き裂いたりした。
柔らかな感触を引き裂いたらどんな感じだろうと彼は無意識に試したのだ。もがき苦しみながら死んでいく感触。
彼は愉悦の笑みを浮かべながら可愛い小鳥や小動物が死んでいくのを見守った。

死体は、動物が死んだから埋めてあげるのと侍女に優しい子どもを装いながら埋めてあげた。
侍女はまあまあでも何故死んだのかと不思議がって言うと、さあなんか木にぶつかったりしていたし・・と曖昧に言った。
疑いを持つ侍女もいたが、大抵の侍女はそれをうのみにして優しい子ですねと笑って言った。
まだ幼い子供が愉悦を持って小動物を潰したなんて思いもしない善意溢れる無知な女達。彼にとっては羊のようだった。どこかで疑惑を抱いている侍女は人間にしては感覚が鋭敏らしい。それは生き延びるための本能かも知れない。
異物を探し当てる本能があるのだ。
上手く、疑いを持った侍女は事故に見せかけて殺した。
そのごろには、囁く者に問いかけてどうやって邪魔な者を排除して快適な生活をするか相談していた。
囁く者は良い方法を子どもに教え、その通りに排除させた。
面白いように侍女は死んでいった。

子どもはまるで遊戯をしているみたいだった。囁く者の言う通りにすれば、邪魔な人が死んでいくのだ。消えていく。嗚呼何で面白いんだ。彼は愉悦に満ちていた。
彼はどんどん歪み異形の精神をもつようになっていった。

優しく誇り高い母が最後の子を孕み、妊娠している様子を見た彼は思わず口を自分の手であてた。
嘲笑いそうだったからだ。滑稽だったからだ。まるで腹は風船のように膨らんで、美しい母が丸い腹を持つさまは
何かの卵を抱えている動物のようにも見えたからだ。

横でそれを不審がって眺めている長兄がいた。
長兄は、母親の妊娠に対する不敬な不謹慎な何かを子どもながらに感じて、この弟は何かあるなと察した。
かすかに冷や汗を流しながら弟は誤魔化した。
彼はすっかり演技と擬態が上手くなった。

長兄は母親には内密で尊敬する父親に弟への疑惑を打ち明けた。
はじめは息子への愛へ目を眩ませていた父親も信頼する長兄の告白で、それとなく弟へ注意を向けるようになった。
段々感じるこの違和感。普通の子どもではない。

彼に奇妙な目を向けた侍女や使用人がなぜか事故に合い消えている。
何故か小動物や、小鳥が良く死んでいる。

不穏なきな臭い匂いが弟の周囲に充満していた。不快な匂いだ。どうして今まで気づかなかったのか?
父親は内心腸が煮えくり返りそうであった。


「そなたは何者だ。」
父親は己の息子に正体を詰問した。
彼は深く溜息をついた。
「兄さんが言ったんだね。僕はちゃんと貴方とお母様の子だよ。唯、先祖帰りってやつ? 僕は貴族の闇の血を濃厚に引いてしまったらしい。」
「僕の血が囁いている。邪魔なヒトハコロセとね。」
「嗚呼、大丈夫だよ。お父様とお母様と兄さんはぼくにとって邪魔な人ではない。家族だもの。殺さないよ。生まれてくる子もね。」

唯僕の生存を認めてほしい。と彼は肩をすくめて言った。

ギリギリと父親は歯ぎしりした。せっかく妻が命をすり削って産んだというのによりによって貴族の闇の血を引く先祖返りとは・・いつ爆発するか分からない不穏な因子だ。どうする。今ここで抹殺するか。彼は無言で剣を引いた。

「ち 父上・・おやめ下さい。まだ何もありません。」
長兄は、母親の心境を思いやって今はまだ殺さないでほしいと嘆願した。
弟も言っているではないか。家族は殺さないと・・

長兄はこの家族が薄氷を踏むような脆い家族であったことに気づいた。
まさか先祖返りとは。しかも弟は闇の血を引く者?うちの先祖は化け物の血も引いていたのか?
彼は己の血に深い疑惑を抱いた。

「嗚呼、兄さん。大丈夫だよ。僕のような先祖がえりはごく稀だそうだよ。兄さんは普通の貴族の血を引いているよ
ちゃんとお父様とお母様の血を引く正当な子だ。」
「兄さんを見れば判るよ。まぎれもなく貴方はお父様とお母様の血が濃厚だ。」

長兄は思わずも安堵した。
「そなたはどうする気だ。」
震えながら父親は異形の子に詰問した。
「何も。唯、僕は貴方に従うよ。貴方は僕の父親だから。唯。時折人が消えるのは目をつぶっていてほしい。
大丈夫。邪魔な奴と本当に必要ない弱者を狙うから。」

それは生贄を求める人外の言葉だ。
父親は目を瞑った。愛する妻の顔が脳裏に浮かんだ。すぐに切り捨てたいが、妻の事を思うと斬れない。
長い沈黙の末、「母親には最後までそなたの正体を知られるな。なるべくそなたは貴族の息子たるよう振舞え。
そのあとは知らぬ。」

父親は踵を返した。館へと去る父を追いかける長兄は時折、振り返りながら異形の弟を見た。

弟にいる空間だけが異質だった。

弟はかすかに光る眼を彼らに向けた。その目は無機質で無感動だった。

異質な子どもは唯、家族が去るのを見ていた。


それ以来、彼らとは距離を置くようになった。それが彼らにとっても正しい判断であった。下手すれば殺し合いが始まる。

弟を孕んだ母親だけが蚊帳の外であった。それも家族なりの愛ゆえであった。

「愛ね。愛とは厄介だな。熱を孕むこの感情。忌々しくも不愉快でもあり、心地よくもある。」

異質な子。悪魔はそう独白して溜息をついた。

彼は犠牲者を求めてさまよった。今や父にも兄にも黙認されている。

彼は父の監視付きでなら自由だった。

彼は擬態を止めつつあった。

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