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第36話・上野②
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戦火を恐れる人々が上野を離れ、響く銃声と轟く怒号が辺り一面を震わせる中、私たちは米を炊き、飯を握ってを繰り返していた。握り飯をありったけの器に乗せて、それもついに尽きた頃に、私たちはとっておきの着物を纏い、櫛と簪を挿していた。
それをじっと待っていた桔梗兄さんに、女将さんが「ちょいと」と手招きをした。
「桔梗、あんたもだよ。結ってやるから、こっちにおいで」
「いいのかい? 陰間から身を引いたってのに」
「着飾るだけならいいじゃないか? 前髪だって、まだ残しているんだ。今日が最後の晴れ舞台だよ」
正式に金剛として務めるまではと、前髪を残していたのが幸いした。桔梗兄さんは後ろで束ねた髪を解き、女将さんの前で膝を折った。ぴたりと揃えたその脚は、まさに陰間の仕草だった。
そうして揃った全員でしゃなりしゃなりと、花魁道中のように茶屋をあとにして上野に向かう。銃声に震えた人々は、私たちを一目見ようと家から飛び出してきた。豪華な着物の一団が、握り飯を乗せた器を手にしているから、何ともはや滑稽なと見た人はみな嘲笑していた。
が、向かう先からその意味に気づいて、家に戻り飯を握って、私たちを追いかけてきた。
「これも彰義隊に渡しておくれよ」
「新政府の連中に、ひと粒たりとも食わせるなよ」
「公方様の霊廟を守っているんだ、しっかり彰義隊に届けてくれよな」
これが東征軍の目に留まれば、ただでは済まされないだろう。しかしこんなに多くの人々が、危険を顧みずに彰義隊を支援している。そう思うと、積み上がった握り飯が私たちの力となった。
「任せな、ちゃんと届けてやるよ。それで、どんな塩梅だい?」
「黒門口は隙がねえ、東征軍の鉄砲隊が雁鍋屋から撃っていやがる。奮戦しているが、刀と鉄砲じゃあ分が悪い。流れ弾も飛んでくるから、そっちからは無理だなぁ」
雁鍋屋と聞いて、彼との思い出を踏みにじられたような気がした。一度ならず、二度までも。私は、血がふつふつと沸き上がるように熱くなった。
「不忍池にも鉄砲隊がいるな。ただ黒門口と比べると、ちょっと様子が変なんだ。何ていうか、慣れていないっていうのかな」
恐らく、大旦那様を介して西洋人から買った鉄砲だ。まだ手元に届いたばかりで、使い慣れていないのだろう。
ならば勝機があるからと、私は女将さんに進言をした。
「女将さん、不忍池に回りましょう。流れ弾を食らわずに済むかも知れません。駄目なら、寛永寺へも回れます」
これに女将さんは同意して、私たちは不忍池の畔に歩みを進めた。聞いたとおり、東征軍が真新しい鉄砲に手間取っているのが、銃声と隊長の怒号からわかる。
彰義隊士は木立を盾に迎え討つ。が、やはり刀と鉄砲では分が悪く、苦戦しているように見える。
「隙はあっても、相手は鉄砲だ。畔を回って、本郷から寛永寺に抜けるのが──」
と、牡丹兄さんはここからの突破を諦めていた。みんなもそれに同意して、ぐるりと不忍池を回ろうと足を向けた。
だが、私は木立から目を離せなかった。
彼がいる。
不器用に襲いかかる鉛玉、その隙間を縫って斬りかかり、鉄砲隊を不忍池に沈めんと刀を振って払い除ける。
どうか、私がそこへ行くまで無事で、と弁天様に捧げた祈りに、音を立てて亀裂が走った。
突然彼が仰け反って、おぼつかない足取りで木立に身を潜めていった。
鉄砲の弾が、当たったんだ。致命傷ではないが、どこかをかすめたのは間違いない。
凍てつくほどの寒気がし、身体の芯から紅蓮の炎が燃え上がる。
「あやめ!」
私を引き止める悲痛な叫びは、一瞬にして彼方に消えた。握り飯を兄さんたちに預け、地を這うように地面を蹴って、鉄砲隊へと一直線に駆け抜ける。
鉄砲隊の不手際に戸惑っている刀の柄に、狙いを定めた。脇をすり抜け、柄を掴んで刀を抜き取り、足を止めて土煙をなびかせる。
「お前は、あやめ!?」
お役人様を袈裟懸けにすると、鉄砲隊はほろほろと崩れていった。立て直そうと構える兵士から鉄砲を落とす。踵を返して、振り上げられた銃把を宙に浮かせた。
三人が限度か! なまくらめ!
落ちた鉄砲にしがみつく手を振り払い、その銃身で踏み込む兵士を薙ぎ払う。鉄砲を捨て、怯む兵士に手を伸ばし、抜いたサーベルを鎧の隙間へと突き返す。それをすぐさま抜き取って、吹き出す血潮に身体を燃え上がらせた。
真っ赤に染まったサーベルで、腰が引けた鉄砲隊に睨みをきかせる。獲物を探して、ひとりひとりを切っ先の輝きで撫で回していく。
すると木立の陰から彰義隊士が駆け出して、刀を抜いて鉄砲隊に襲いかかった。接近戦では刀のほうが圧倒的に優位、鉄砲隊は自慢の武器を盾にして刃を受けるのがやっとである。
「あやめ! かたじけない!」
その中に、彼がいた。やはり傷は浅かった、頬に一筋の朱が差すのみ、それのほかは綺麗なままだ。
綺麗──。
本当に、何て綺麗なんだろう。
地に根を張った構えから、羽のように宙を舞い、雲の切れ間に刃の光を振り下ろす。
あのとき彼が隙を与えなければ、私は間違いなく負けていた。
そして恋に気づいてしまった今の私は、とても彼には勝てそうにない。
彰義隊士の奮闘により、鉄砲隊は「退却」と弱々しい声を張り上げた。まとまりのない一団が引けた腰で不忍池の畔をぐるりと回り、陣を構えているであろう本郷へと逃げていく。
隊士たちはそれを見送り、勝利の礼を告げようと私を囲んだ。女将さんや兄さんたちは遠巻きに私を見つめて、ただただ戦慄するばかりだった。
根津で起きた刃傷沙汰は、彰義隊士によるものではない。東征軍のふたりを斬ったのは、紛れもなくこのあやめなのだ、と。
それをじっと待っていた桔梗兄さんに、女将さんが「ちょいと」と手招きをした。
「桔梗、あんたもだよ。結ってやるから、こっちにおいで」
「いいのかい? 陰間から身を引いたってのに」
「着飾るだけならいいじゃないか? 前髪だって、まだ残しているんだ。今日が最後の晴れ舞台だよ」
正式に金剛として務めるまではと、前髪を残していたのが幸いした。桔梗兄さんは後ろで束ねた髪を解き、女将さんの前で膝を折った。ぴたりと揃えたその脚は、まさに陰間の仕草だった。
そうして揃った全員でしゃなりしゃなりと、花魁道中のように茶屋をあとにして上野に向かう。銃声に震えた人々は、私たちを一目見ようと家から飛び出してきた。豪華な着物の一団が、握り飯を乗せた器を手にしているから、何ともはや滑稽なと見た人はみな嘲笑していた。
が、向かう先からその意味に気づいて、家に戻り飯を握って、私たちを追いかけてきた。
「これも彰義隊に渡しておくれよ」
「新政府の連中に、ひと粒たりとも食わせるなよ」
「公方様の霊廟を守っているんだ、しっかり彰義隊に届けてくれよな」
これが東征軍の目に留まれば、ただでは済まされないだろう。しかしこんなに多くの人々が、危険を顧みずに彰義隊を支援している。そう思うと、積み上がった握り飯が私たちの力となった。
「任せな、ちゃんと届けてやるよ。それで、どんな塩梅だい?」
「黒門口は隙がねえ、東征軍の鉄砲隊が雁鍋屋から撃っていやがる。奮戦しているが、刀と鉄砲じゃあ分が悪い。流れ弾も飛んでくるから、そっちからは無理だなぁ」
雁鍋屋と聞いて、彼との思い出を踏みにじられたような気がした。一度ならず、二度までも。私は、血がふつふつと沸き上がるように熱くなった。
「不忍池にも鉄砲隊がいるな。ただ黒門口と比べると、ちょっと様子が変なんだ。何ていうか、慣れていないっていうのかな」
恐らく、大旦那様を介して西洋人から買った鉄砲だ。まだ手元に届いたばかりで、使い慣れていないのだろう。
ならば勝機があるからと、私は女将さんに進言をした。
「女将さん、不忍池に回りましょう。流れ弾を食らわずに済むかも知れません。駄目なら、寛永寺へも回れます」
これに女将さんは同意して、私たちは不忍池の畔に歩みを進めた。聞いたとおり、東征軍が真新しい鉄砲に手間取っているのが、銃声と隊長の怒号からわかる。
彰義隊士は木立を盾に迎え討つ。が、やはり刀と鉄砲では分が悪く、苦戦しているように見える。
「隙はあっても、相手は鉄砲だ。畔を回って、本郷から寛永寺に抜けるのが──」
と、牡丹兄さんはここからの突破を諦めていた。みんなもそれに同意して、ぐるりと不忍池を回ろうと足を向けた。
だが、私は木立から目を離せなかった。
彼がいる。
不器用に襲いかかる鉛玉、その隙間を縫って斬りかかり、鉄砲隊を不忍池に沈めんと刀を振って払い除ける。
どうか、私がそこへ行くまで無事で、と弁天様に捧げた祈りに、音を立てて亀裂が走った。
突然彼が仰け反って、おぼつかない足取りで木立に身を潜めていった。
鉄砲の弾が、当たったんだ。致命傷ではないが、どこかをかすめたのは間違いない。
凍てつくほどの寒気がし、身体の芯から紅蓮の炎が燃え上がる。
「あやめ!」
私を引き止める悲痛な叫びは、一瞬にして彼方に消えた。握り飯を兄さんたちに預け、地を這うように地面を蹴って、鉄砲隊へと一直線に駆け抜ける。
鉄砲隊の不手際に戸惑っている刀の柄に、狙いを定めた。脇をすり抜け、柄を掴んで刀を抜き取り、足を止めて土煙をなびかせる。
「お前は、あやめ!?」
お役人様を袈裟懸けにすると、鉄砲隊はほろほろと崩れていった。立て直そうと構える兵士から鉄砲を落とす。踵を返して、振り上げられた銃把を宙に浮かせた。
三人が限度か! なまくらめ!
落ちた鉄砲にしがみつく手を振り払い、その銃身で踏み込む兵士を薙ぎ払う。鉄砲を捨て、怯む兵士に手を伸ばし、抜いたサーベルを鎧の隙間へと突き返す。それをすぐさま抜き取って、吹き出す血潮に身体を燃え上がらせた。
真っ赤に染まったサーベルで、腰が引けた鉄砲隊に睨みをきかせる。獲物を探して、ひとりひとりを切っ先の輝きで撫で回していく。
すると木立の陰から彰義隊士が駆け出して、刀を抜いて鉄砲隊に襲いかかった。接近戦では刀のほうが圧倒的に優位、鉄砲隊は自慢の武器を盾にして刃を受けるのがやっとである。
「あやめ! かたじけない!」
その中に、彼がいた。やはり傷は浅かった、頬に一筋の朱が差すのみ、それのほかは綺麗なままだ。
綺麗──。
本当に、何て綺麗なんだろう。
地に根を張った構えから、羽のように宙を舞い、雲の切れ間に刃の光を振り下ろす。
あのとき彼が隙を与えなければ、私は間違いなく負けていた。
そして恋に気づいてしまった今の私は、とても彼には勝てそうにない。
彰義隊士の奮闘により、鉄砲隊は「退却」と弱々しい声を張り上げた。まとまりのない一団が引けた腰で不忍池の畔をぐるりと回り、陣を構えているであろう本郷へと逃げていく。
隊士たちはそれを見送り、勝利の礼を告げようと私を囲んだ。女将さんや兄さんたちは遠巻きに私を見つめて、ただただ戦慄するばかりだった。
根津で起きた刃傷沙汰は、彰義隊士によるものではない。東征軍のふたりを斬ったのは、紛れもなくこのあやめなのだ、と。
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