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第34話・山吹
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金剛の初七日までの休業は陰間の私たち、もとい山吹兄さんの休養だった。
「私や桔梗兄さんじゃあ欲しがるばっかりだから、あやめが相手してやんな」
と、牡丹兄さんから託された。当の山吹兄さんは気が済んだのか、それとも虚しくなったのかボーッとして過ごすばかり。役目を果たせないどころか、そもそも私の役目がわからなかった。
見かねた女将さんが珍しく板間に入り、ちょいとと私を呼びつけた。
「今日一日、山吹を外へ連れて行ってやんな。店は明日も休みなんだ、今日だけは好きなものを食べていいから」
それから私の手を掴み、そっとお金を握らせた。恐る恐る開いた手には結構な大金が収まっており、私は驚きのあまり腰を抜かして、それを女将さんに突っ返した。
「子供ふたりには多すぎます」
「いいんだよ、一日遊べばそれくらいかかるんだ。芝居でも見に行ってきなよ」
「でも持っているだけで怖いので、おちおち歩いていられません」
「……そうかい? それじゃあ、足りなくなったら帰っておいで」
そうして持っていても怖くないだけのお金を受け取り、起きながら眠っている山吹兄さんの手を引き立たせた。すると女将さんが、お金より大事なことをと私に釘を刺してきた。
「いいかい? 何をしてもいいけど、山吹から絶対に目を離すんじゃないよ」
固く頷いた私は男の格好、山吹兄さんは娘の格好にさせられた。傍目には姉弟か幼馴染に見えるようで、商売をしている湯島から上野に歩いていても、陰間だとは気づかれない。
その吹兄さんは、人波を漂う流し雛。もしや陰間の山吹かと振り返る人がいても、その人が「人違いか」と思い直して立ち去るほどで、売れっ子の見る影もない。
「女将さんが何を食べてもいいって、山吹兄……は何が食べたい?」
そう尋ねても、ただ後ろをついていくだけ。金剛が死んだと知ってから、ろくに食べず呆けているかしてばかり。このままでは金剛のあとを追うのでは、と茶屋のみんなで気を揉んでいる。
上野は寛永寺の黒門前まで歩いて、雁鍋屋が目に留まった。彼に勧められた雁鍋を無下に断ったのが思い出された。お金は……多分、足りる。
「入ってみる?」
と尋ねても、やはりうんともすんとも言わない。何か食べさせ精をつけなければ、と意を決して雁鍋屋へと入っていった。
こんな店に何故、子供がと女中が目を丸くする。湯島の陰間で、この子が病んでしまったからと事情を話し、持っているお金を見せる。
「これで足りますか?」
「足りるけど……今は、よしなさい。東征軍が来ているのよ。あなた……あのときの子でしょう?」
陰間だと明かしたのが裏目に出た。いや、二度目も疑われているだろうから、命拾いしたのかも知れない。女中の気配りを素直に聞き入れ、頭を下げて雁鍋屋を足早に立ち去った。
掴んだ糸がすり抜けて、他の料理屋を頼りにする気もなくなった。風の向くまま縋ったのは不忍池、その畔に建つ茶屋だった。
団子や甘藷、田楽を横目に歩いたが、山吹兄さんには景色としてしか映らない。せっかくだから普段は口に出来ない甘藷がいいと、ひとつを買い求めてふたつに割った。
「ねぇ、一緒に食べよう」
と、渡そうとして振り返ったが、その山吹兄さんがそばにいない。茶屋の主人に尋ねてみたが、甘藷と勘定を気にしてばかりで見ていない。私は辺りを見回し鳥肌を立て、池の周りを走って探した。
目を離すなと言われていたのに。
外で受け取り勘定をする店を選んでしまったせいだ。
食べてはいけない甘藷を私が選んでしまったからだ。
自分自身を責め立てて、涙を浮かべて山吹兄さんの背中を探す。
……と、不忍池に人垣が築かれていた。まさかと思い隙間を縫うと、蓮の葉に向かって不忍池に身を沈めている山吹兄さんの頭が見えた。
甘藷を投げ捨て池に飛び込み、山吹兄さんの肩を掴んで引き止める。
「駄目だよ、山吹兄さん!」
山吹兄さんは夢から醒めた顔をして、ゆっくりとこちらを振り返る。すると私の肩を抱き、ぽろぽろと涙をこぼしていった。
私も溢れるものを止められず、ふたりで不忍池を涙で満たした。
涙が枯れて池から上がり、繰り返し詫びて人垣を払い除けた。ここにはいられないのと、山吹兄さんの気持ちを汲んで、水を吸って重くなった足取りを根津へと進めた。
「着物、濡れちゃったね。でも、お陰で涼しいや」
口を噤む山吹兄さん。それでも私は、から元気を話に乗せる。
「世話になった家が根津にあるんだ。そこで着物を乾かそう」
根津と聞いて、山吹兄さんはわずかな生気を取り戻した。これから濡らす地面を見つめたまま、ぼそぼそと私に話しかけてくる。
「蓮の葉を見てね、あっちに行ける気がしたの」
「そう……極楽浄土は、不忍池じゃあなかったね」
「ねぇ、あやめ。どこなの?」
現実を受け入れる、その覚悟がようやく決まった山吹兄さんを、金剛が死んだ路地へと連れていく。
桔梗兄さんのときと同じように、足を止めて山吹兄さんに「ここだよ」と教えた。山吹兄さんは合掌すると、枯れ果てたはずの涙が溢れて、丸めた背中が震えた。
「谷中の住職様が、手厚く弔ってくれるって。近いから、挨拶に行こう」
立ち上がり、声を出せずに頷くだけの山吹兄さんの手を握り、私たちは根津の坂を登っていった。
「私や桔梗兄さんじゃあ欲しがるばっかりだから、あやめが相手してやんな」
と、牡丹兄さんから託された。当の山吹兄さんは気が済んだのか、それとも虚しくなったのかボーッとして過ごすばかり。役目を果たせないどころか、そもそも私の役目がわからなかった。
見かねた女将さんが珍しく板間に入り、ちょいとと私を呼びつけた。
「今日一日、山吹を外へ連れて行ってやんな。店は明日も休みなんだ、今日だけは好きなものを食べていいから」
それから私の手を掴み、そっとお金を握らせた。恐る恐る開いた手には結構な大金が収まっており、私は驚きのあまり腰を抜かして、それを女将さんに突っ返した。
「子供ふたりには多すぎます」
「いいんだよ、一日遊べばそれくらいかかるんだ。芝居でも見に行ってきなよ」
「でも持っているだけで怖いので、おちおち歩いていられません」
「……そうかい? それじゃあ、足りなくなったら帰っておいで」
そうして持っていても怖くないだけのお金を受け取り、起きながら眠っている山吹兄さんの手を引き立たせた。すると女将さんが、お金より大事なことをと私に釘を刺してきた。
「いいかい? 何をしてもいいけど、山吹から絶対に目を離すんじゃないよ」
固く頷いた私は男の格好、山吹兄さんは娘の格好にさせられた。傍目には姉弟か幼馴染に見えるようで、商売をしている湯島から上野に歩いていても、陰間だとは気づかれない。
その吹兄さんは、人波を漂う流し雛。もしや陰間の山吹かと振り返る人がいても、その人が「人違いか」と思い直して立ち去るほどで、売れっ子の見る影もない。
「女将さんが何を食べてもいいって、山吹兄……は何が食べたい?」
そう尋ねても、ただ後ろをついていくだけ。金剛が死んだと知ってから、ろくに食べず呆けているかしてばかり。このままでは金剛のあとを追うのでは、と茶屋のみんなで気を揉んでいる。
上野は寛永寺の黒門前まで歩いて、雁鍋屋が目に留まった。彼に勧められた雁鍋を無下に断ったのが思い出された。お金は……多分、足りる。
「入ってみる?」
と尋ねても、やはりうんともすんとも言わない。何か食べさせ精をつけなければ、と意を決して雁鍋屋へと入っていった。
こんな店に何故、子供がと女中が目を丸くする。湯島の陰間で、この子が病んでしまったからと事情を話し、持っているお金を見せる。
「これで足りますか?」
「足りるけど……今は、よしなさい。東征軍が来ているのよ。あなた……あのときの子でしょう?」
陰間だと明かしたのが裏目に出た。いや、二度目も疑われているだろうから、命拾いしたのかも知れない。女中の気配りを素直に聞き入れ、頭を下げて雁鍋屋を足早に立ち去った。
掴んだ糸がすり抜けて、他の料理屋を頼りにする気もなくなった。風の向くまま縋ったのは不忍池、その畔に建つ茶屋だった。
団子や甘藷、田楽を横目に歩いたが、山吹兄さんには景色としてしか映らない。せっかくだから普段は口に出来ない甘藷がいいと、ひとつを買い求めてふたつに割った。
「ねぇ、一緒に食べよう」
と、渡そうとして振り返ったが、その山吹兄さんがそばにいない。茶屋の主人に尋ねてみたが、甘藷と勘定を気にしてばかりで見ていない。私は辺りを見回し鳥肌を立て、池の周りを走って探した。
目を離すなと言われていたのに。
外で受け取り勘定をする店を選んでしまったせいだ。
食べてはいけない甘藷を私が選んでしまったからだ。
自分自身を責め立てて、涙を浮かべて山吹兄さんの背中を探す。
……と、不忍池に人垣が築かれていた。まさかと思い隙間を縫うと、蓮の葉に向かって不忍池に身を沈めている山吹兄さんの頭が見えた。
甘藷を投げ捨て池に飛び込み、山吹兄さんの肩を掴んで引き止める。
「駄目だよ、山吹兄さん!」
山吹兄さんは夢から醒めた顔をして、ゆっくりとこちらを振り返る。すると私の肩を抱き、ぽろぽろと涙をこぼしていった。
私も溢れるものを止められず、ふたりで不忍池を涙で満たした。
涙が枯れて池から上がり、繰り返し詫びて人垣を払い除けた。ここにはいられないのと、山吹兄さんの気持ちを汲んで、水を吸って重くなった足取りを根津へと進めた。
「着物、濡れちゃったね。でも、お陰で涼しいや」
口を噤む山吹兄さん。それでも私は、から元気を話に乗せる。
「世話になった家が根津にあるんだ。そこで着物を乾かそう」
根津と聞いて、山吹兄さんはわずかな生気を取り戻した。これから濡らす地面を見つめたまま、ぼそぼそと私に話しかけてくる。
「蓮の葉を見てね、あっちに行ける気がしたの」
「そう……極楽浄土は、不忍池じゃあなかったね」
「ねぇ、あやめ。どこなの?」
現実を受け入れる、その覚悟がようやく決まった山吹兄さんを、金剛が死んだ路地へと連れていく。
桔梗兄さんのときと同じように、足を止めて山吹兄さんに「ここだよ」と教えた。山吹兄さんは合掌すると、枯れ果てたはずの涙が溢れて、丸めた背中が震えた。
「谷中の住職様が、手厚く弔ってくれるって。近いから、挨拶に行こう」
立ち上がり、声を出せずに頷くだけの山吹兄さんの手を握り、私たちは根津の坂を登っていった。
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