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第33話・女将さん
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お役人様が茶屋に足を踏み入れたので、女将さんが出迎えて三つ指をついた。目明かしも伴っていたので、いつもの手入とは違うとすぐにわかった。
「ここにいた金剛が、本郷で東征軍兵士と相打ちになったようだ。その金剛、彰義隊に関係していたのではあるまいな」
「金剛は寛永寺にも出入りしておりましたが、陰間の仕上げと送り迎えをしたのみにございます。それ以上もそれ以下も、存じ上げておりません」
そこへ目明かしが身を乗り出して、鼻っ柱を女将さんに突きつける。
「相打ちにしちゃあ、妙なんでさぁ」
「はて、妙……とは?」
「刀傷を見るに、先にやられたのは金剛だ。兵士に斬られて──」
意気揚々と説明をする目明かしに、女将さんが膝を立てて啖呵を切った。
「金剛は東征軍に斬られたと仰いました!? どこの誰だか存じませんが、東征軍は詫びのひとつも入れないと! 新政府とやらは、ずいぶんな無慈悲ではございませんか!? そんなんじゃあ、うちも彰義隊に寝返りますえ!?」
女将さんの気迫に目明かしも、お役人様までもがすっかり尻込みしてしまった。とても話にならないと、ふたりは尻尾を巻いてあとにした。
遠のく足音が消えたので、音を立てないように襖を開けた。奉行所に連行されると決めた覚悟は、霞のように消えていった。
「女将さん、すみません」
「いいってことよ。お天道様の下では咲けない花、覚悟をしなきゃあ商売なんて出来ないよ」
女将さんは軽く言ってのけたものの、金剛が斬られる、それも官軍の兵士に、などそうあるものではない。陰間の送迎と守護、仕込みを行う男がいなくなったのは、茶屋にとって痛手であった。新政府や奉行所にも目をつけられている状況から、慎ましく動かなければ潰されるか干上がるか、そのどちらかである。
それを鑑みた女将さんに、桔梗兄さんを呼ぶよう言われた。二階に上がり板間に入ると、桔梗兄さんは山吹兄さんを抱いていた。
金剛が死んだと知ってから、山吹兄さんは狂ったように男を求めた。
悲しさも、寂しさも、悔しさも、殺した相手への憎悪さえも、こうしなければ晴れる気がせず、こうすることしか私たちは知らなかった。兵士ふたりを斬ったあと、彼を求めた私と同じだ。
「桔梗兄さん、女将さんが呼んでるよ」
わかった、と引き抜かれた山吹兄さんは顔をいっぱいに濡らしたまま、立たぬ脚で桔梗兄さんに追い縋った。それを牡丹兄さんが後ろから抱き寄せて、あぐらの上に乗せた途端、山吹兄さんはあぐらの中で尻を振った。
求めても、求めても、いくら求めても山吹兄さんには足りなかった。
壊れてしまった山吹兄さんに、陰間稼業が務まるのだろうか。男を欲しているのはいいが、あれではとても商売にならない。
一抹の不安を抱えながら階段を降り、女将さんの部屋へと桔梗兄さんを導いた。
やや疲れを覗かせる女将さんは、小さなため息をついてから桔梗兄さんと正面を切った。
「桔梗。あんた、金剛になんなさい」
これには桔梗兄さんも、居合わせた私までもが石になるほど驚かされた。後家や奥女中を手玉に取る見目麗しい桔梗兄さんが、陰間茶屋の金剛……?
しかし女将さんは淡々と、その理由を述べるのみだ。
「あんたは大きく立派に育ったし、手ほどきだって上手いらしいじゃないか。このあやめが悪さをしたあと、死んだ金剛が言っていたよ? 何より、子供たちが懐いているし、私もあんたを信頼している。腕っぷしは鍛えりゃいいさ。そろそろ年季も明ける頃だ、どうだい?」
桔梗兄さんは考えもしなかった明日を今、目の前に突きつけられて戸惑い、躊躇い、狼狽えていた。答えをしばらく待たせてから、女将さんを真っ直ぐ見つめた。
「受けます。ただ四十九日とは言わずとも、金剛の初七日までは、茶屋を閉めてはくださいませんか」
「それくらいなら平気だよ。あんたたちには、よく働いてくれたからね」
もとよりそのつもりだった、と女将さんは肩の力をスッと抜いた。桔梗は茶屋を考えている、金剛に相応しいと安堵しているようでもあった。
「それと、茶屋に尽くしてくれた金剛です。手厚く葬ってやりたいのですが」
「それなら、谷中の住職様がいいよ! 今から話をつけに行こう!」
私の出番だと立ち上がり、桔梗兄さんの手をぐいと引いた。女将さんも、あの住職様なら信頼出来ると頬を緩めて見送る顔だ。
「ふたりとも、男の格好で行くんだよ? 東征軍が血眼になって町娘を探しているからね。それにね、同じ日に似たような刃傷沙汰があったんだ。彰義隊がしょっ引かれたから、何があっても知らぬ存ぜぬで通しなさいな」
女将さんに髪を直され、男の着物を身に纏い谷中へ向かう。あの日と同じ不忍池の畔、本郷の下から根津の坂を登っていった。
「あやめ、どこなんだ?」
潜めた声で尋ねられ、枷をかけた重たい足を路地へと向けた。彼と忍んで歩いた道程を、桔梗兄さんと忍んで歩く。
脇差しを振るったその場所で足を止めると、桔梗兄さんが目を伏せ合掌をしたので、私も人目を憚ることなく手を合わせた。
誰に見られようとも、構わなかった。
「ここにいた金剛が、本郷で東征軍兵士と相打ちになったようだ。その金剛、彰義隊に関係していたのではあるまいな」
「金剛は寛永寺にも出入りしておりましたが、陰間の仕上げと送り迎えをしたのみにございます。それ以上もそれ以下も、存じ上げておりません」
そこへ目明かしが身を乗り出して、鼻っ柱を女将さんに突きつける。
「相打ちにしちゃあ、妙なんでさぁ」
「はて、妙……とは?」
「刀傷を見るに、先にやられたのは金剛だ。兵士に斬られて──」
意気揚々と説明をする目明かしに、女将さんが膝を立てて啖呵を切った。
「金剛は東征軍に斬られたと仰いました!? どこの誰だか存じませんが、東征軍は詫びのひとつも入れないと! 新政府とやらは、ずいぶんな無慈悲ではございませんか!? そんなんじゃあ、うちも彰義隊に寝返りますえ!?」
女将さんの気迫に目明かしも、お役人様までもがすっかり尻込みしてしまった。とても話にならないと、ふたりは尻尾を巻いてあとにした。
遠のく足音が消えたので、音を立てないように襖を開けた。奉行所に連行されると決めた覚悟は、霞のように消えていった。
「女将さん、すみません」
「いいってことよ。お天道様の下では咲けない花、覚悟をしなきゃあ商売なんて出来ないよ」
女将さんは軽く言ってのけたものの、金剛が斬られる、それも官軍の兵士に、などそうあるものではない。陰間の送迎と守護、仕込みを行う男がいなくなったのは、茶屋にとって痛手であった。新政府や奉行所にも目をつけられている状況から、慎ましく動かなければ潰されるか干上がるか、そのどちらかである。
それを鑑みた女将さんに、桔梗兄さんを呼ぶよう言われた。二階に上がり板間に入ると、桔梗兄さんは山吹兄さんを抱いていた。
金剛が死んだと知ってから、山吹兄さんは狂ったように男を求めた。
悲しさも、寂しさも、悔しさも、殺した相手への憎悪さえも、こうしなければ晴れる気がせず、こうすることしか私たちは知らなかった。兵士ふたりを斬ったあと、彼を求めた私と同じだ。
「桔梗兄さん、女将さんが呼んでるよ」
わかった、と引き抜かれた山吹兄さんは顔をいっぱいに濡らしたまま、立たぬ脚で桔梗兄さんに追い縋った。それを牡丹兄さんが後ろから抱き寄せて、あぐらの上に乗せた途端、山吹兄さんはあぐらの中で尻を振った。
求めても、求めても、いくら求めても山吹兄さんには足りなかった。
壊れてしまった山吹兄さんに、陰間稼業が務まるのだろうか。男を欲しているのはいいが、あれではとても商売にならない。
一抹の不安を抱えながら階段を降り、女将さんの部屋へと桔梗兄さんを導いた。
やや疲れを覗かせる女将さんは、小さなため息をついてから桔梗兄さんと正面を切った。
「桔梗。あんた、金剛になんなさい」
これには桔梗兄さんも、居合わせた私までもが石になるほど驚かされた。後家や奥女中を手玉に取る見目麗しい桔梗兄さんが、陰間茶屋の金剛……?
しかし女将さんは淡々と、その理由を述べるのみだ。
「あんたは大きく立派に育ったし、手ほどきだって上手いらしいじゃないか。このあやめが悪さをしたあと、死んだ金剛が言っていたよ? 何より、子供たちが懐いているし、私もあんたを信頼している。腕っぷしは鍛えりゃいいさ。そろそろ年季も明ける頃だ、どうだい?」
桔梗兄さんは考えもしなかった明日を今、目の前に突きつけられて戸惑い、躊躇い、狼狽えていた。答えをしばらく待たせてから、女将さんを真っ直ぐ見つめた。
「受けます。ただ四十九日とは言わずとも、金剛の初七日までは、茶屋を閉めてはくださいませんか」
「それくらいなら平気だよ。あんたたちには、よく働いてくれたからね」
もとよりそのつもりだった、と女将さんは肩の力をスッと抜いた。桔梗は茶屋を考えている、金剛に相応しいと安堵しているようでもあった。
「それと、茶屋に尽くしてくれた金剛です。手厚く葬ってやりたいのですが」
「それなら、谷中の住職様がいいよ! 今から話をつけに行こう!」
私の出番だと立ち上がり、桔梗兄さんの手をぐいと引いた。女将さんも、あの住職様なら信頼出来ると頬を緩めて見送る顔だ。
「ふたりとも、男の格好で行くんだよ? 東征軍が血眼になって町娘を探しているからね。それにね、同じ日に似たような刃傷沙汰があったんだ。彰義隊がしょっ引かれたから、何があっても知らぬ存ぜぬで通しなさいな」
女将さんに髪を直され、男の着物を身に纏い谷中へ向かう。あの日と同じ不忍池の畔、本郷の下から根津の坂を登っていった。
「あやめ、どこなんだ?」
潜めた声で尋ねられ、枷をかけた重たい足を路地へと向けた。彼と忍んで歩いた道程を、桔梗兄さんと忍んで歩く。
脇差しを振るったその場所で足を止めると、桔梗兄さんが目を伏せ合掌をしたので、私も人目を憚ることなく手を合わせた。
誰に見られようとも、構わなかった。
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