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第26話・横浜③
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障子を破って、膳を料理を薙ぎ払い、酒を浴びて突っ伏した。大旦那様と通詞は私をよそに、怒れる西洋人にあたふたとして、どうなさったのかと両手をついた。響き渡った怒号を通詞が訳すと、大旦那様は冷えた額を畳に押しつけ固まった。
「衆道を神が禁じているとは知らず、大変なご無礼を致しました!」
そうか、あちらの神様は、陰間を認めてくれないのか、と自分の言葉が虚ろな頭に染みていく。
女中が、女将が部屋に飛び込み事情を聞くと、大旦那様と並んで三つ指ついて、すぐさま頭を沈めていった。私が介抱されたのは、遅れた女中が成す術に迷った末のことだった。
抱き起こされて、朦朧としたまま西洋人の前まで連れられて、女中に抑え込まれて頭を下げた。
何故、謝っているんだろう。あちらの神様が衆道を禁じているなんて、誰も知らなかったのに。
でも世の中は西洋を迎えて西洋に染まって、西洋みたいに変わっていくんだ。今までのままでいようとしたら、西洋に染まった人々が西洋の鉄砲や大砲で、木っ端微塵に砕いてしまう。
でも彼は、彰義隊は公方様の世を取り戻そうと、この瞬間も寛永寺に立て籠もっている。変わらないまま、今までのまま、それが叶ったら陰間の私も、変わらずにいられるのかな。
もうこれ以上ないくらい、私は変わってしまったじゃないか。貧しさから抜け出すために新選組の夢を見て、そのために彼から剣の指南を受けて、彼を打ち負かすほどに腕を上げた。
それが今や、料理と酒にまみれてわけもわからず頭を下げる、しがない陰間。屈伏させられ消される運命、まるで明日を見ているみたいだ。
貧しく苦しかったけど、腕を介してあなたと語り合っていた、取り戻せないあの頃に戻りたい。戻れなくても、あなたとともに歩んでいきたい。
彰義隊に、あなたにその願いを託しても、いいのかな──。
* * *
「野郎! うちのあやめに、何てことをしやがる! どこの店だ、俺が殴り込んでやる!」
玄関先で激昂している金剛を、料理屋総出で鎮ませた。怒るのも無理はない、大事な「商品」である陰間が投げ飛ばされて、酒と料理に着物を汚されたのだから。
「やめなよ、あんただけじゃなくって、茶屋がどうなるか、わかったもんじゃないよ」
女将が金剛の耳を引き寄せて、誰にも聞こえないよう囁いた。
「横浜の居留地から、こっそり西洋人を連れてきたんだ。大店だけじゃない、東征軍も一枚噛んでる。歯向かったら茶屋の全員が磔、晒し首だよ」
これには金剛、割れんばかりに歯を噛み鳴らした末、萎れた手首を掴み取って立ち去るほかない。
引きずられるようについていき、そのうち茶屋へ帰るんだと歩調を合わせた。煮えきらない苛立ちが息苦しくて、固く閉ざした沈黙が重苦しくて、何か言わずにはいられなくって、でも金剛に何を言えばいいんだろう。
謝ったらどう返されるのか、わかっていた。わかりきっていたが、謝らずにはいられなかった。
「ごめんなさい、迷惑かけて」
「あやめは何も悪くねえ」
思ったとおりの答えだった。それから互いに黙り込むのも、思っていたとおりだった。
茶屋に帰ると女将さんが膝をつき、生気のない顔に眉をひそめて、だらりと垂らした手を取った。
「あやめ、どうしたんだい!?」
「お客の機嫌を損ねてしまいました」
「だからって、そんなにかい!? あんた、何をしたっていうんだい!」
答えに窮してうつむくと、やきもきとした金剛が助け舟を、波風を立てぬよう静かに出した。
「ここだけの話にしてください。さる大店の大旦那が、横浜から西洋人を呼び寄せて座敷に上げたそうなんです」
女将さんは目を剥いて、自身の耳を疑った。金剛は淡々と、料理屋で聞いた話を伝えるのみだ。
「西洋じゃあ、衆道は禁制だそうです。あやめを娘と勘違いして、騙されたと思って投げ飛ばしたと、そういう話です」
すると女将さんは手を離し、金剛の頬を思い切り引っ叩いた。そして仁王立ちして、目を白黒させる金剛に啖呵を切った。
「客に投げ飛ばされたって!? あやめに怪我はないのかい!? あんた、確かめずに呑気に帰ってきたのかい!?」
一瞬にして曇りが晴れて呆気にとられると、金剛は私の肩を掴んで着物を下ろした。薄い胸、華奢な二の腕が露わになると、女将さんは「朴念仁!」と罵声を浴びせた。
「医者に決まってんだろう!? あんたが診て、何がわかるていうんだい! とっととおぶって、連れて行きな!」
すいやせん! と膝を折り、広い背中をこちらに向けて、後ろ手で迎える。ほんの少し躊躇ってから金剛の肩に手を触れたとき、女将さんの雷を避けて覗く視線に気がついた。
階段の上から、山吹兄さんが覗っている。金剛を取られると気を揉んでいるのが伝わってくる。そうではない、と上に向かって声をかけた。
「山吹兄さん、医者に行ってきます」
「あやめちゃん、どうしたの?」
余計な心配をかけてしまい、山吹兄さんは階段をパタパタと降りてきた。疑いが晴れたなら、それでいい。
しかし何と言おうかと、再び頭を悩ませた。寝食をともにする仲だから、返事は手に取るようにわかってしまう。投げ飛ばされたと伝えれば「誰に?」と、山吹兄さんは返すはず。
困った末、どうしても伝えたいことだけ告げた。
「ちっとも固くなかったよ」
そして金剛に身体を預けて、夜の湯島を医者へと急いだ。
「衆道を神が禁じているとは知らず、大変なご無礼を致しました!」
そうか、あちらの神様は、陰間を認めてくれないのか、と自分の言葉が虚ろな頭に染みていく。
女中が、女将が部屋に飛び込み事情を聞くと、大旦那様と並んで三つ指ついて、すぐさま頭を沈めていった。私が介抱されたのは、遅れた女中が成す術に迷った末のことだった。
抱き起こされて、朦朧としたまま西洋人の前まで連れられて、女中に抑え込まれて頭を下げた。
何故、謝っているんだろう。あちらの神様が衆道を禁じているなんて、誰も知らなかったのに。
でも世の中は西洋を迎えて西洋に染まって、西洋みたいに変わっていくんだ。今までのままでいようとしたら、西洋に染まった人々が西洋の鉄砲や大砲で、木っ端微塵に砕いてしまう。
でも彼は、彰義隊は公方様の世を取り戻そうと、この瞬間も寛永寺に立て籠もっている。変わらないまま、今までのまま、それが叶ったら陰間の私も、変わらずにいられるのかな。
もうこれ以上ないくらい、私は変わってしまったじゃないか。貧しさから抜け出すために新選組の夢を見て、そのために彼から剣の指南を受けて、彼を打ち負かすほどに腕を上げた。
それが今や、料理と酒にまみれてわけもわからず頭を下げる、しがない陰間。屈伏させられ消される運命、まるで明日を見ているみたいだ。
貧しく苦しかったけど、腕を介してあなたと語り合っていた、取り戻せないあの頃に戻りたい。戻れなくても、あなたとともに歩んでいきたい。
彰義隊に、あなたにその願いを託しても、いいのかな──。
* * *
「野郎! うちのあやめに、何てことをしやがる! どこの店だ、俺が殴り込んでやる!」
玄関先で激昂している金剛を、料理屋総出で鎮ませた。怒るのも無理はない、大事な「商品」である陰間が投げ飛ばされて、酒と料理に着物を汚されたのだから。
「やめなよ、あんただけじゃなくって、茶屋がどうなるか、わかったもんじゃないよ」
女将が金剛の耳を引き寄せて、誰にも聞こえないよう囁いた。
「横浜の居留地から、こっそり西洋人を連れてきたんだ。大店だけじゃない、東征軍も一枚噛んでる。歯向かったら茶屋の全員が磔、晒し首だよ」
これには金剛、割れんばかりに歯を噛み鳴らした末、萎れた手首を掴み取って立ち去るほかない。
引きずられるようについていき、そのうち茶屋へ帰るんだと歩調を合わせた。煮えきらない苛立ちが息苦しくて、固く閉ざした沈黙が重苦しくて、何か言わずにはいられなくって、でも金剛に何を言えばいいんだろう。
謝ったらどう返されるのか、わかっていた。わかりきっていたが、謝らずにはいられなかった。
「ごめんなさい、迷惑かけて」
「あやめは何も悪くねえ」
思ったとおりの答えだった。それから互いに黙り込むのも、思っていたとおりだった。
茶屋に帰ると女将さんが膝をつき、生気のない顔に眉をひそめて、だらりと垂らした手を取った。
「あやめ、どうしたんだい!?」
「お客の機嫌を損ねてしまいました」
「だからって、そんなにかい!? あんた、何をしたっていうんだい!」
答えに窮してうつむくと、やきもきとした金剛が助け舟を、波風を立てぬよう静かに出した。
「ここだけの話にしてください。さる大店の大旦那が、横浜から西洋人を呼び寄せて座敷に上げたそうなんです」
女将さんは目を剥いて、自身の耳を疑った。金剛は淡々と、料理屋で聞いた話を伝えるのみだ。
「西洋じゃあ、衆道は禁制だそうです。あやめを娘と勘違いして、騙されたと思って投げ飛ばしたと、そういう話です」
すると女将さんは手を離し、金剛の頬を思い切り引っ叩いた。そして仁王立ちして、目を白黒させる金剛に啖呵を切った。
「客に投げ飛ばされたって!? あやめに怪我はないのかい!? あんた、確かめずに呑気に帰ってきたのかい!?」
一瞬にして曇りが晴れて呆気にとられると、金剛は私の肩を掴んで着物を下ろした。薄い胸、華奢な二の腕が露わになると、女将さんは「朴念仁!」と罵声を浴びせた。
「医者に決まってんだろう!? あんたが診て、何がわかるていうんだい! とっととおぶって、連れて行きな!」
すいやせん! と膝を折り、広い背中をこちらに向けて、後ろ手で迎える。ほんの少し躊躇ってから金剛の肩に手を触れたとき、女将さんの雷を避けて覗く視線に気がついた。
階段の上から、山吹兄さんが覗っている。金剛を取られると気を揉んでいるのが伝わってくる。そうではない、と上に向かって声をかけた。
「山吹兄さん、医者に行ってきます」
「あやめちゃん、どうしたの?」
余計な心配をかけてしまい、山吹兄さんは階段をパタパタと降りてきた。疑いが晴れたなら、それでいい。
しかし何と言おうかと、再び頭を悩ませた。寝食をともにする仲だから、返事は手に取るようにわかってしまう。投げ飛ばされたと伝えれば「誰に?」と、山吹兄さんは返すはず。
困った末、どうしても伝えたいことだけ告げた。
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