ひとひらの花びらが

山口 実徳

文字の大きさ
上 下
23 / 40

第23話・桔梗

しおりを挟む
 陰間になって、いいや物心ついてからはじめて、休みらしい休みをもらえた。と言っても買い切りの不調が原因だから、医者に行って薬をもらい、安静にしていなければならなかった。
 通和散を塗る要領で薬を塗りつけ、あとは痛みに耐えて寝転ぶだけだ。

 日が傾いて座敷で宴がはじまった頃、牡丹兄さんを皮切りに次々とお声をかけられていく。ひとり、またひとりと茶屋を出て、夕暮れ時には桔梗兄さんとふたりきりになっていた。
 そう、桔梗兄さんは売れ残った。
 お城を明け渡したから、お得意様の奥女中はもういない。昼下がりを持て余した後家の誘いも、そう頻繁にあるものではない。

 桔梗兄さんを撫でて吹き込む風が、もう潮時かと花びらをひとひら、むしり取って溶けていく。
 散る花は、花盛りに散っていく。
 こんなに美しいのに売れないなんて、と見つめていると桔梗兄さんはくすぐったそうにはにかんだ。
「あやめ、そんな目で見るな」
 慌てて謝り、視線を畳の目に投げた。雨に濡れた子犬でも見るような目をしたのだろう、入って間もない分際で大変なことをしてしまった。

 考えてもみれば、桔梗兄さんとふたりきりになるのは、はじめてだ。
 この茶屋に売られて女将さんに吟味され、二階に連れられたときを思い出す。
「ここが、あんたの寝床で支度部屋だよ」
 そう言われた板間では、兄さんたちが脚を開いて指を入れ、仕事の備えに勤しんでいた。誰もが頬を染めており、とろんと目尻がとろけている。
 手前にいたのは山吹兄さん、本物を欲して三本も指を入れていた。太い張形を抜き差ししていた牡丹兄さんも印象深いが、目を奪われたのは姫のように奥に控える桔梗兄さんだった。

 白い肌に涼しい目元、スッと通った鼻筋に柔らかそうな唇、芯が通っていながら無駄のない肉体は、男と女のどちらでもあり、どちらでもない美しさを体現していた。
 それでありながら、しっかりした指を挿し込む裏から、大きくて太いものが露を垂らして反り立っていた。貧しさが故、湯屋など滅多には行けなかったが、今まで目にした中では一番だった。
 それから金剛に仕込まれて男の味を覚えるうちに、桔梗兄さんに抱かれたらどんなだろう、と後ろをむずむずさせる毎日を送った。

 だから折檻として突っ込まれたのは、痛いのではなく悲しかった。愛されて入れられたなら、どんなによかっただろうかと。
 もうじき年季が明けるのだから、その前に入れて欲しい。今日の今が好機だったが、住職様とのたくさんと、小僧に脅されての一回が、恨めしくて仕方ない。

 そうだ、もうじき、いなくなっちゃうんだ。身体を重ねるのは叶わなくても、ふたりきりでなければ出来ないことはある。年季が明けたらどうするのかを、桔梗兄さんは語らない。まだ先だけど、いずれ自分のためにもなると、意を決して尋ねてみた。
「兄さんは、茶屋を出たら何をするの?」
 すると桔梗兄さんは、窓の遠くに目を向けて溜息を小さくついた。迷い、悩み、苦しんでいる、それが手に取るようにわかってしまう。

「外をろくに知らないのに、世の中は目まぐるしく動いている。牡丹がよく言う蚤取り侍だって、いつまで出来るかわからない。馴染みの後家に取り入るか、いっそ彰義隊に加わって若い娘を手玉に取ろうか」
 軽々しく言った最後の案に、背筋が凍った。それを諌めた桔梗兄さんが、そんな理由で一戦交えようとする彰義隊に入るのか、と。
 硬直した様にハッとして、苦笑いを向けてきた。
「冗談だよ。ただ、後家や奥女中ばかり相手にしていたから、若い娘はどうかな、とね」

 桔梗兄さんの美しさなら、女であれば老いも若きも放っておかない。それでも欲しいと願うのか、と桔梗兄さんから垣間見た「男」が、不思議に思えてならなかった。
「女も若いと違うのかい?」
「違うらしいね」
「桔梗兄さんのだったら、誰だってきついよ」
「あやめ、きつかったか?」
 折檻されたのが思い出されて、ぶり返した怖さに青ざめて、桔梗兄さんの味に真っ赤に染まった。

「無理矢理は嫌だったけど、よかったよ」
「そうか、よかったか。ときどき、いいふりをする客もいるから、それはよかった」
 桔梗兄さんは当たりどころを熟知していて、立て続けに突っ込まれたのに、とてもよかった。折檻の名目とはいえ少しでも痛くなく、気持ちよくしようという優しさだったのだろう。
 そして桔梗兄さんほどの人でも、女を相手にするのは難しいのかと驚かされた。それでも桔梗兄さんは、女を求める「男」なんだ。

 彼は、どうなんだろう。
 住職様は、男でも女でもない魅力が陰間にあると言ってくれたが、彼がどうかは別の話だ。思い出したくないが、陰間に興味を示さない大旦那様みたいな人もいる。
 彼もやっぱり、女のほうがいいのだろうか。
 家名を背負う武家として、子を成せる女を選んだほうが幸せに違いない、それはわかりきったこと。
 わかっているはずなのに、こうしてしばしば浮かんでしまう。

「あやめ、誰かを好いているね?」

 唐突に想いの蓋を開けられた。言葉にしてはならないと、胸の奥に仕舞い込んで固く閉ざしていた蓋を。
 それをそっとすくい上げ、ふわりと載せた手の平に、ふたりで見つめて慈しむ。その幻影を目にすると、桔梗兄さんは別れを告げるように微笑んだ。

 桔梗兄さんは憧れただけど、本当に欲しいのは、彼なんだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

ふたりの旅路

三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。 志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。 無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

忘却の艦隊

KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。 大型輸送艦は工作艦を兼ねた。 総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。 残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。 輸送任務の最先任士官は大佐。 新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。 本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。    他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。 公安に近い監査だった。 しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。 そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。 機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。 完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。 意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。 恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。 なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。 しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。 艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。 そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。 果たして彼らは帰還できるのか? 帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?

処理中です...