ひとひらの花びらが

山口 実徳

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第19話・買い切り②

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 弁天様や観音様、そんなに綺麗なものではないと水面に映る自分自身を蔑んだ。どれだけ身体に気を配り、化粧をして着飾ろうとも、その末にあるのは同衾である。住職様が褒めているのではなく、不憫に思っているのだと感じられて、それが一層拍車をかけた。
 ただ、わかってくれる、そのほんの小さな喜びを享受しようと、不忍池しのばずから視線を上げた。

 そうして目に映るのは、金剛ともども暴漢に襲われて、降ってきた棒切れに救われた、寛永寺の崖の麓である。
 再び、彼への想いが蘇る。
 手を伸ばせば届くほど近くにいるのに、弥勒菩薩の未来より遥か遠くに感じてしまう。触れてはいけない、汚してはいけない、日向ひなたから日陰に導いてはいけないのだと、焦がれる想いに蓋をした。

 視線と想いを振り切って、微笑みを貼りつけ住職様へと送ってみせた。
「もったいないお言葉にございます。私などが菩薩などと」
「いいや、紛うことなき菩薩だ。知っておるか? 菩薩は男でも女でもないのだよ。まさしく……」
 そう言いかけた住職様は肩を抱いて身を寄せて、人目を憚り寂しいほうへと歩きはじめた。聞かれて都合が悪いのか、と薄っすらと張りつめた顔に耳を寄せる。

「陰間は坊主にとっての弁財天で観世音菩薩だ」
 茶屋でのことがあったので、気を遣ってくれたのだろう。それでも僧侶と稚児が並んで上野湯島界隈を歩いていれば、あれは陰間だとわかってしまう。そんな住職様が可愛らしくて、堪えきれずに笑ってしまった。
 いい客に巡り会えた、今日はこの住職様に尽くすのだ、と仕事への思いを改めた。まるで横目に見る寛永寺から、視線を逸らしていくように。

 谷中は、その寛永寺裏である。徳川将軍家霊廟を守る彰義隊士の彼とは、裏表だと感じてしまう。
 いけない、彼のことは忘れなければ。もう住職様のお寺に入るのだから。
 そこでは何人かの若い坊主が掃除をしたり、庭木の剪定をしたりと寺の仕事に勤しんでいた。しかし稚児の姿を見るや、ぽうっと上気しその手をピタリと止めてしまった。

「は、お帰りなさいませ」
「これは馴染みのあやめじゃ。寝所を用意してくれぬか」
「はぁ、しかしまだ日が高うございます」
 まったく昼行灯めと、住職様は呆れてしまった。すると若い坊主はハッとして、今すぐご用意いたします、と庫裏くりへ飛んだ。あのうぶな小僧も、住職様の手がついているのか、それともこれから手をつけるのか、不憫に思えてならなかった。

 布団が敷かれるまでの間、境内の庭木を住職様と眺めて待った。そう広い庭ではないから、ひと目で収まってしまう。
「これは、紫陽花あじさいでしょうか」
「うむ、もうじき蕾がつくだろう。これから紫陽花しようかとな」
 などと下劣な冗談を言ってのける。ずっと並んで歩いていたから、気分がこの上なく高まっているとでも言いたいのだろう。それが証拠に、庫裏の扉にチラチラと血走った目を向けている。

「お布団のご用意が出来ました」
 と、声をかけられ庫裏に入ると、住職様は修羅か不動明王の如く、剃った毛を逆立てていた。
「あの莫迦、布団をふたつ並べておる」
「うぶで可愛いではありませんか。私たちも幼き頃は、そうだったのですから」
 ということは、あの小僧はまだ手がついていないのか。もう少し大きくなったら、住職様のお相手を勤めるのだろう。

 手がつくまでは私が精一杯やらねばと、布団の脇に膝をついて、ふたつをぴたりとくっつけた。
「せっかく敷いてくれたのです、今日は広く使いましょう」
「やれやれ、あやめは優しいね。ならばそうさせてもらおうか」
 住職様がご納得されたので、支度をしますと厠を借りた。今日は粗相しまいと済ませてから、通和散を塗り込んでいく。

 ……覗かれている?

 身なりを整え扉を開けると、廊下を響き鳴らした音が遠のいていった。軽く忙しない音だから、小僧が何人か覗いていたようだ。
 まったく躾がなっていない、と辟易として住職様のもとへと向かう。障子の前で膝を折り、お待たせしましたと寝所に入ると、首を長くして待っていたと言わんばかりに、しわを目尻に垂らしていた。
「改めて、よく来てくれた。奮発して買い切って、本当によかった」
「こちらこそ、お招きくださったお礼を改めて申し上げます。でも住職様、よくなるのはこれからですよ?」

 甘い言葉を囁いて高めた期待は、胸を鳴らして下へ降りて、みるみる膨れ上がっていく。荒い鼻息を浴びるほど近くに寄り添い、骨っぽい腕に抱きしめられる。唇を重ね合わせて舌を絡めて、もっと深くもっと濃く、と住職様の首に腕を回した。
 重なったまま仰向けにされて、薄い胸へと伸びた指がぷくりと膨れた果実に触れた。くすぐったさが肌を這い、身体にぽっと火が灯る。背中に回された手が腰まで降りると袴を緩めて膝まで下ろし、露わになった柔らかな丘へと潜っていった。

 舌を解いて唇を離し、住職様の首筋に熱い吐息を吹きかける。ぞくぞくとした微かな震えが互いの胸を揺さぶって、火照った頬を寄せ合って悶える身体を絡みつかせた。
 貫かれる救いを求めた視線の先で、閉ざした障子にぷつりと穴が開けられた。
 それに気づいた住職様は身を剥がし、ずかずかと障子へ向かって勢いよく開け放った。
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