ひとひらの花びらが

山口 実徳

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第14話・女と男②

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 弾力のない乳房に埋まり、あばらが目立つ腰を抱き、脈打つ劣情で潤した。女もそれに呼応して、あやめに絡みつかせたひだをきゅうきゅうと締める。丹田から、腿から、脹脛ふくらはぎから髄を吸い取られるようで、ピンと伸びた脚は痺れて力が失われていった。
 これが女とそれだけを、煮えたぎった脳髄でぼんやり感じて吐息を漏らし、焦点の合わぬ天井をほぅっと仰いだ。

 しばらく抱きしめ合ってから、息継ぎするように身体を離し、生まれ出づるところより垂れる子種に女は触れた。
「ああ、晋一郎や。もっと早く生まれていれば嫁を娶り、子を成していたでしょうに」
 言葉なく布団に腰を下ろしていると、その姿を目にした後家は我に返り、刻んだ皺に溢れる涙を伝わせた。

「晋一郎や! どうして伏見などに行ってしまったの!? どうして帰ってくれないの!? どうして父の後を追って、どうして、どうして公方様は!!……」

 それから声を出せぬほど泣き伏せてしまったものの、それだけで後家の事情が理解出来た。
 幕臣として、公方様の世を守るため薩長と戦い、そこで父子ともども命運が尽きた。その公方様は、ひとりで江戸へ逃げ帰った。何のために父子は生命を落としたのかと、後家の痛みや悲しみが冷たい風を胸に吹かせた。

 ただひたすらに泣く後家をどうすることも出来ぬうち、約束の一刻が訪れてしまった。身なりを正し座敷をあとにし、玄関先で待ち構える金剛の迎えを受ける。
 と、そこへ似たようななりをした若い陰間とすれ違った。彼もまた、はじめての女の相手と見えて、戸惑いを隠せず目を泳がせている。
 金剛は彼を横目に過ぎゆくと、低い声を沈ませて耳打ちしてきた。

「あやめさん、今日の客は後家ですかい?」
「そうだよ、伏見で旦那さんと息子を亡くしたようだ」
 つられて囁いた言葉を聞いて、金剛は眉間にしわ寄せ、口をへの字に歪めて唸った。そうした末、薪を割るかのように、芯からきっぱりと言い放った。
「あやめさん、その女はお忘れなさい」

 谷中の住職というご贔屓様はついたものの、高額なので一期一会が基本。それでいながら、わざわざ忘れろと言われて、一抹の不安を感ずにはいられなかった。
「そりゃあ、いいけど……どうして?」
「その女、身投げでもするつもりでしょう」

 緞帳どんちょうが下り、周りの景色が暗転した。
 亡くした息子と同じ年頃の陰間を呼んで、果たせなかった無念を貪り尽くし、使い切ったら夫と子の後を追う。入れ替わりの陰間には、そして自分自身にも、そういう意味があったのかと気づかされて、先頃までいた料理屋を振り返った。
 しかし金剛は肩に触れ、去りゆく先へと向き直らせた。

 *  *  *

 お城があっけなく明け渡されて、公方様が逃げるように明け方に水戸へ下がった、春のこと。
 彰義隊に加わると若い娘が放っておかないらしいぞと、浮ついた声で話していた牡丹兄さんを、桔梗兄さんが寒いくらいに涼しげに諭していた。
「そんな軟派な理由で、墓守なんかするものじゃあないよ」

 桔梗兄さんが言うように寛永寺を拠点とする彰義隊は、市中から徳川将軍家霊廟へと守護するものを変えて、今も上野に居座っている。
 そうなってから、公方様ではなくなった公方様に忠誠を誓う者が上野に集い、その数は三千とも四千とも膨れ上がった。それだけの数が集まれば、牡丹兄さんと同じ夢を見るような男がいても、おかしくない。

「あれは、薩長との戦のために集っているんじゃあないかい? 本当に戦になったら、どれだけの隊士が残るだろうね」
「せっかく戦をせずに、お城を明け渡したっていうのにねぇ。結局、争わずにはいられないのか」
 牡丹兄さんはつまらなそうに寝っ転がると、ふと思い立って誰にということなく呟いた。

「通和散は、何から作っているか知ってるかい?」
 日の浅いものに尋ねたような気がしたので、頭の片隅に仕舞った記憶を振り絞った。やっとのことで思い出し、ハキハキと答えた。
「とろろ葵です」
「そう、葵を菊門に入れているのさ。それで上手い具合になりゃあ、よかったのにね」
「牡丹、滅多なことを言うものじゃあないよ」

 桔梗兄さんにやんわりと咎められ、牡丹兄さんは見えない明日に不安を浮かべた。
「上客だった奥女中はいなくなって、寛永寺は下駄を脱がされちまった。薩長の連中は、私らを買ってくれるのかね」
「先を読むような商売じゃないだろう? 今は今日の客に備えるだけさ」
 桔梗兄さんが払おうと、牡丹兄さんに渦巻く不安は板間に広がり呑み込んだ。

 彼は公方様の後を追い、水戸に下ってしまったのだろうか。それともまだ上野に残って、幕臣としての意地を張っているのか。
 備えに勤しみながら、あのお武家様は水戸でどうしているのかと、あの後家は今も生きているだろうかと、様々なことが頭を過った。

 とろけさせた通和散を塗りつけて小指から薬指、人差し指に中指と入れていくうち、むずむずとした劣情が腹の下に沸き起こった。
 そしておもむろに、前でピクリと跳ねるものに手を伸ばす。
「あやめ」
 と、険しい声が澄み渡った。
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