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第10話・男と男①
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ちっとも願っていなかったが、こんなに早く出し抜けに願いが叶うだなんて、思ってもみなかった。
一両も支払う一日買いの座敷に上がると、壮年のお武家様が神妙な顔を、いきなり畳に押しつけた。身体を屈めて「お上げください」と懇願すると、穴を掘る勢いで「一生に一度の頼みがある」と額に畳の跡をつけた。
「お伺いしますので、面をお上げくださいまし」
下手から剥ぎ取った固い顔は、しばらく言うのを憚ってから、恥を忍んでと願い出てきた。
「拙者に……その……そなたの一物を入れてはくれぬだろうか」
これには思わず、はぁ? と間抜けな声を発してしまった。
確かに、板間に飛び込んだ女将さんが陰間の裾を次々開いて、だらりと下がった一物を確かめてから私の手を引いたから、妙な仕事が入ったのだと薄々勘づいていた。
桔梗兄さんは誰もが羨み欲しがるほど大きいし、牡丹兄さんは手練れだと身を持って知っているから鍛え役には適任だが、年相応の大きさだ。はじめて入れると言うのなら、散る花と言われるふたりでは無事では済まないかも知れない。山吹はついたものが違うだけで、まったくの女であるから……私しかいないのだと、帯の下に下がったものを意識して、金剛の「あやめさんのでも……」をもぐもぐと反芻した。
入れられている今はいいけど、歳を重ねて仕事が変われば、今のままでは売れなくなる。大きくするにはどうすればいいのか、桔梗兄さんに聞いておかないと……。
それでも、大きくすれば指より太い! いきなり突っ込むわけにはいかないと、遥かに歳上のお武家様を落とした声でしずしずと諌めた。
「失礼ながら、ご忠告をさせて頂きます。衆道は、一朝一夕では仕上がりません。小指に一日、薬指に一日、二日置いて人差し指、それから中指と親指、そうしてほぐして、ようやく一物を受け入れるのでございます」
お武家様は胸を張り「それは!」と言って、選ぶ言葉が見つからず目を泳がせて、真っ赤な顔で口を噤んでうつむいた。どうやら常日頃から鍛錬はしているらしい。
「それでは、後ろを見せて頂けますか?」
お武家様は迷いを垣間見せながら袴を下ろして、背中を向けて四つん這いになった。失礼します、と告げてから着物をまくると、長きに渡る努力の結果が露わになった。しかしまだ、狭くて固い。
「今日一日で、どうなるものか……」
「だから、一日を買ったのだ! どうか頼む!」
「ご無理はなさらず今日はほぐすのみにして、機会を改めては如何でしょう」
「ならぬ! それは、ならんのだ!」
身体を起こして向き直り、苦々しく唇を噛み締めてから、障子を開けて廊下の左右を覗き込み、膝を折って向き合った。
「よいか、決して口外してはならぬぞ」
もちろんだ、と頷くとお武家様は身を寄せて、声を潜ませ囁いた。
「公方様は今、寛永寺に身を引いておられるのだが……」
そんな近くにいたのかと目を丸くして、自分は籠の鳥なのだと痛々しいほど思い知った。同時に若侍が不忍池に現れたのは、そういう理由があったのかと理解した。
彼は今も、茶屋のそばにいる。そう思うと不安と温もりが混じり合う、桃色の靄に包まれた不思議な気分に包まれた。
はじめて味わう、この気持ちは何だろう。隠した真実を隠したまま、本当の自分として彼と昔を語り合いたい。そんな叶わぬ願いを祈りたい、そういう不思議な気持ちだった。
しかしお武家様はそれに構わず、身体と声を沈ませて、話の核心に迫っていった。
「薩長の連中が、城を明け渡すよう迫っておる」
思わず声を上げそうになったところをお武家様が慌てて封じ、荒げそうになる声を潜ませた。
「江戸市中で戦にならぬよう、安房守殿が奔走しておる。それだけは安心せい」
「それで……それとその……お武家様のお望みと、どのような関わりが?」
お武家様は真剣そのもの、まさに公方様に仕える武士の顔をして話を続けた。
「先の戦を鑑みれば、公方様の世は終わるだろう。さすれば公方様は、お生まれになった水戸へ下るに違いない」
そうか薩長の世に変わるのか、と胸に冷たい風が吹き抜ける。あの若侍は、どうなってしまうのか。
それより先に、まだ見えてこない話の続きを聞かなければと、お武家様に耳を傾けた。
「我らも公方様の後を追わねばならぬ。しかし水戸には、お主らのような商いはない。薩長が城に攻め入れば、生涯たった一度の願いを叶えることなど、出来なくなるのだ!」
お武家様は文字通り、必死になって縋りついた。確かに陰間か、同好の士がいなければ叶えられない願望だ。しかも、城を明け渡したら忙しくなるので時間がないし、それも切羽詰まっているようだ。
本当に今日という日が、一生に一度の一日になるのだろう。
「かしこまりました。今日一日かけて、お武家様の願いを叶えましょう」
ノミで削ったような顔は、みるみる菩薩の後光を浴びて、うるうると瞳を潤ませていた。陰間風情が菩薩とは、おこがましくこそばゆい。そう眉をひそめて苦笑を浮かべ「かたじけない」と畳に額を擦りつけるお武家様の肩に触れた。
「それでは、まず伺います。今朝は何を召し上がりましたか?」
お武家様はキョトンとした顔を上げ「はぁっ?」と首を傾げていた。
一両も支払う一日買いの座敷に上がると、壮年のお武家様が神妙な顔を、いきなり畳に押しつけた。身体を屈めて「お上げください」と懇願すると、穴を掘る勢いで「一生に一度の頼みがある」と額に畳の跡をつけた。
「お伺いしますので、面をお上げくださいまし」
下手から剥ぎ取った固い顔は、しばらく言うのを憚ってから、恥を忍んでと願い出てきた。
「拙者に……その……そなたの一物を入れてはくれぬだろうか」
これには思わず、はぁ? と間抜けな声を発してしまった。
確かに、板間に飛び込んだ女将さんが陰間の裾を次々開いて、だらりと下がった一物を確かめてから私の手を引いたから、妙な仕事が入ったのだと薄々勘づいていた。
桔梗兄さんは誰もが羨み欲しがるほど大きいし、牡丹兄さんは手練れだと身を持って知っているから鍛え役には適任だが、年相応の大きさだ。はじめて入れると言うのなら、散る花と言われるふたりでは無事では済まないかも知れない。山吹はついたものが違うだけで、まったくの女であるから……私しかいないのだと、帯の下に下がったものを意識して、金剛の「あやめさんのでも……」をもぐもぐと反芻した。
入れられている今はいいけど、歳を重ねて仕事が変われば、今のままでは売れなくなる。大きくするにはどうすればいいのか、桔梗兄さんに聞いておかないと……。
それでも、大きくすれば指より太い! いきなり突っ込むわけにはいかないと、遥かに歳上のお武家様を落とした声でしずしずと諌めた。
「失礼ながら、ご忠告をさせて頂きます。衆道は、一朝一夕では仕上がりません。小指に一日、薬指に一日、二日置いて人差し指、それから中指と親指、そうしてほぐして、ようやく一物を受け入れるのでございます」
お武家様は胸を張り「それは!」と言って、選ぶ言葉が見つからず目を泳がせて、真っ赤な顔で口を噤んでうつむいた。どうやら常日頃から鍛錬はしているらしい。
「それでは、後ろを見せて頂けますか?」
お武家様は迷いを垣間見せながら袴を下ろして、背中を向けて四つん這いになった。失礼します、と告げてから着物をまくると、長きに渡る努力の結果が露わになった。しかしまだ、狭くて固い。
「今日一日で、どうなるものか……」
「だから、一日を買ったのだ! どうか頼む!」
「ご無理はなさらず今日はほぐすのみにして、機会を改めては如何でしょう」
「ならぬ! それは、ならんのだ!」
身体を起こして向き直り、苦々しく唇を噛み締めてから、障子を開けて廊下の左右を覗き込み、膝を折って向き合った。
「よいか、決して口外してはならぬぞ」
もちろんだ、と頷くとお武家様は身を寄せて、声を潜ませ囁いた。
「公方様は今、寛永寺に身を引いておられるのだが……」
そんな近くにいたのかと目を丸くして、自分は籠の鳥なのだと痛々しいほど思い知った。同時に若侍が不忍池に現れたのは、そういう理由があったのかと理解した。
彼は今も、茶屋のそばにいる。そう思うと不安と温もりが混じり合う、桃色の靄に包まれた不思議な気分に包まれた。
はじめて味わう、この気持ちは何だろう。隠した真実を隠したまま、本当の自分として彼と昔を語り合いたい。そんな叶わぬ願いを祈りたい、そういう不思議な気持ちだった。
しかしお武家様はそれに構わず、身体と声を沈ませて、話の核心に迫っていった。
「薩長の連中が、城を明け渡すよう迫っておる」
思わず声を上げそうになったところをお武家様が慌てて封じ、荒げそうになる声を潜ませた。
「江戸市中で戦にならぬよう、安房守殿が奔走しておる。それだけは安心せい」
「それで……それとその……お武家様のお望みと、どのような関わりが?」
お武家様は真剣そのもの、まさに公方様に仕える武士の顔をして話を続けた。
「先の戦を鑑みれば、公方様の世は終わるだろう。さすれば公方様は、お生まれになった水戸へ下るに違いない」
そうか薩長の世に変わるのか、と胸に冷たい風が吹き抜ける。あの若侍は、どうなってしまうのか。
それより先に、まだ見えてこない話の続きを聞かなければと、お武家様に耳を傾けた。
「我らも公方様の後を追わねばならぬ。しかし水戸には、お主らのような商いはない。薩長が城に攻め入れば、生涯たった一度の願いを叶えることなど、出来なくなるのだ!」
お武家様は文字通り、必死になって縋りついた。確かに陰間か、同好の士がいなければ叶えられない願望だ。しかも、城を明け渡したら忙しくなるので時間がないし、それも切羽詰まっているようだ。
本当に今日という日が、一生に一度の一日になるのだろう。
「かしこまりました。今日一日かけて、お武家様の願いを叶えましょう」
ノミで削ったような顔は、みるみる菩薩の後光を浴びて、うるうると瞳を潤ませていた。陰間風情が菩薩とは、おこがましくこそばゆい。そう眉をひそめて苦笑を浮かべ「かたじけない」と畳に額を擦りつけるお武家様の肩に触れた。
「それでは、まず伺います。今朝は何を召し上がりましたか?」
お武家様はキョトンとした顔を上げ「はぁっ?」と首を傾げていた。
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