ひとひらの花びらが

山口 実徳

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第6話・茶屋②

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 板間で仕事に備えていると、玄関先で揉めているような声がして、それからしばらくすると女将さんに呼び出された。とうとう小便の件がバレたのだ、と首をすくめて一階に降りると、そうではないので虚を衝かれた。
「若いお武家様が、あなたを訪ねてきました」
 住職様の座敷に上がる際、こちらを見つめてきた若侍だ。彼を追い払った金剛が女将さんに進言したのだろう。その金剛も一歩離れて同席しており、眉を辟易とひそめていた。

「幼馴染に似ているとか」
「他人の空似で付き纏われては、敵いません」
「一刻一分、一日一両、連れ出しゃ二両と言ったら尻尾を巻いて逃げましたがね」
「それで、あやめ。本当に幼馴染なのかい? 見たんだろう?」
 知らない、と嘘をつこうにも見透かされるのが目に見えている。どう返そうか迷っていたが、迷えば迷うほど嘘が遠のいていってしまう。悩んだ末に、ひとつの答えを見つけだした。

「浮世とは縁を切った身にございます。たとえ親に会おうとも、知らぬ存ぜぬと袂を分かつ覚悟にございます」
 そう言って島田を畳に擦りつけると、女将さんは釈然としないまま、下がりなさいと吐き捨てた。
 再び島田を下げてから身を低くして部屋を去り、心を殺して二階へ上がる。
 過去を知るものに会いたくなかったのは、嘘ではなかった。

 ここに売られる前のこと。貧しい暮らしから抜け出すため、腕一本で幕臣として取り立てられる浪士組に入ろうとした。しかし剣の稽古の金などは逆さにしても出ないため、教えてくれそうな武家の子を道場そばで身を潜めて探し回った。
 そうして目星をつけたのが、彼だった。
 小柄な優男という風情だが、着物の隙間から覗く身体は引き締まっており、颯爽と歩く姿には一切のブレがない。朋友と別れて、ひとりになったときを見計らい、頭を下げて弟子入りを志願した。

「私はまだ、修行の身。それほどの腕は持ち合わせておりませんが、精進のため手合わせしたいと申すなら、いくらでもお受けいたしましょう」
 そうしてはじまった剣の修行は、心得から立ち居振る舞い、立ち方や座り方、握り方から構え方と、生半可な気持ちでは飽きてしまう基礎の基礎から順に教わった。
 当然、暮らしがかかっているから、無駄と思える課題にも必死になって取り組んだ。

 そしてついに、彼と剣を交える日。こちらは竹刀を持っていないので、手頃な棒切れを互いに握る。
 対峙して、ああ、何と美しい人だろう、彼にこの棒切れなどを振るうのか、と秋空のような寂しさが去来した。
 しかし今は、見とれている場合ではない。道場のあとに手ほどきをしてくれた彼への礼は、教わったすべてを注ぎ込み全身全霊で返すのみ。

 呼吸を合わせ、生木の鈍い響きを轟かせる。剣を交えるのは生まれてはじめてだったが、彼は相当な手練れだと痺れるほどの衝撃で確信できた。
 やはり、この目に狂いはなかったと一瞬だけ視線を交わす。
 それが、彼の隙を生んだ。
 ハッと目を見開いて、息を呑んで時が止まった。
 がらんと空いた胸元にぐいっと踏み込み、棒切れを袈裟懸けに振り下ろす。すると彼が握った棒切れがころりと足元に落ちていった。

 呆然としていた彼は我に返ると、困った顔で笑みを浮かべて艶めく髷を下ろしていった。
「参りました。君は凄いな、これぞ天賦の才というものだ。このまま修行をすれば浪士組、いいや今の名は新選組か、名を挙げて幕臣に取り立てられるに違いない」
「まぐれだよ、俺なんかが君に勝つなんて……」
 手放しで褒めちぎられて狼狽えて、へっぴり腰で両手を前に突き出し振った。謙遜ではない、本当にまぐれの勝ちだと思ったからだ。
「まぐれじゃないさ、君が道場に入れば師範とでもいい勝負になる。私の勉強にもなるから、明日も手合わせをしよう」

 そのすぐあとだ、いよいよ暮らしが立ち行かなくなり、俺が陰間茶屋に売られたのは。
「幼馴染なんて言って、一年と手合わせしていないじゃないか」
 それが彼の抜けたところか、それとも一年に満たなくとも幼馴染と同じだけの時に感じられたのか、わからない。
 わからないが、それだけ濃密な時間を過ごした、そういう思いは確かにあった。

 二階の板間の襖を開けると、兄さんたちが仕事の備えに勤しんでいた。備えとは、溶かした通和散を塗ったところへ指や張形を出し入れし、男のものが入りやすいよう広げるのだ。いいところに当たってしまうと、思わず声が漏れてしまう。その中で山吹は、ひときわ色っぽく喘いでいた。
「ん……あっ。大きくて……凄く、いい」
 これもまた、天賦の才だ。おっとりとした顔立ちも、すべすべとした肌触りも、骨っぽさのない細い身体も、喘いだときの高く細い声さえも、とても男には見えなかった。生まれるとき、何かを間違えたとしか思えないほど、山吹は女よりも女だった。

「もう、だめ。桔梗兄さん、欲しい……」
「だめだよ、お客のために取っておかないと」
 止めるも聞かずに山吹は、桔梗兄さんの前のものに指を絡めて、熱い吐息を浴びせていた。
 年季が明けたら山吹は、どう生きていけばいいのだろう。もし万が一、寛永寺の庇護がなくなり陰間茶屋が営めなくなったとしたら、山吹はどうなってしまうのだろうか。
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