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第1話・湯島①
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玄関先で後光を放ち仁王立ちする侍に、女将さんがまぁまぁこれはと膝を折り、三つ指ついて島田髷を沈めていった。侍はそわそわしながら胸を張ると、それはそれは厳しく女将さんに問いかけてきた。
「ここは如何なる茶屋であろうか」
面を上げた女将さんは、口元を袖で押さえて目尻を侍に撫でつけていた。
「珍しくもない、ただの茶屋でございます。どうかお上がりになって、お確かめください」
侍が草履を脱いだので、控えていた陰から玄関先の隅に寄り、膝を折って腰のものを預かった。下げた頭が結ったばかりの島田でくらくらするので、すぐさま身を引こうとすると女将さんに「ちょいと」と引き止められた。
「あやめ、あんたがお上がんなさい」
もうそのときが回ってきたかと、引きつった笑みを青く浮かべた。
侍を二階に導いて、このためだけに空けた畳間に通して襖を閉める。それから向かいの襖を空けて、兄さんたちが寛いでいる板間へ転がり込んだ。縋るような俺の目は、不忍を撫でた風を浴びている桔梗兄さんだけを捉えた。
「どうしよう、お役人様の接待を頼まれちまった」
しかし桔梗兄さんは、艶めかしいおくれ毛を風に遊ばせて嘲笑っているだけだった。
「お武家様の相手なんぞ、手ほどきしたじゃあないか。教えたとおりにやるまでよ」
でも、と口を噤んでいると、桔梗兄さんは板間を滑ってそばに寄る。いきなり近づくものだから、息が出来ないくらいに脈が早くなって、周りの兄さんたちは胸に白波をざわざわ立てた。
涼しげな目元に影を差す長いまつ毛、薄っすらと微笑んでいる唇が、早鐘が薄い胸板を殴りつける。
「いいかい? あちらから誘ったりはしないから、あやめがシナを精一杯つくるんだ。お武家さんには務めと矜持があるからね」
「そうさ、公方様がひとりで逃げ帰ったってぇときに、茶屋の手入をするような小せえ下っ端役人さ」
けらけらと簪を揺らしていたのは、齢十八になる古株の牡丹兄さん。桔梗兄さんよりひとつ下、年季が明けたら蚤取り侍でもしようかね、が口癖だ。
これには桔梗兄さんも驚いて、身体を捩って問いただす。胸の高鳴りを奪われた気がして、大人の話をつまらなそうな仕草で聞いた。
「公方様が逃げたって?」
「座敷で小耳に挟んだのさ、錦の御旗が翻っちゃあ公方様も堪らないね」
食いついた桔梗兄さんはもちろんのこと、同い年の山吹までそれを聞いて呆けてしまった。関係ないね、と抱えた膝の先に見える指でひとり遊びをしていると、ピシャリと襖が開かれた。
お茶の支度を済ませた女将さんだ、こめかみには稲妻が走っている。立ち込める暗雲から逃れるように、兄さんたちは口を結んで背筋を伸ばした。
「あやめ。遊んでいないで、もてなしてさしあげなさい」
慌てて立ち上がろうとすると、桔梗兄さんが袖を引いて女将さんに目配せをした。
「だめだよ、備えがまだじゃあないか」
すると裾をまくり上げ、粉薬を口に含んでとろけさせ、割れ目を開いて舌を入れて塗りつけた。そうされて、堪らず声が漏れそうになる。
「あやめ、これも忘れちゃあならないよ」
「嫌だよ、それ痒いんだもの」
「痛いよりかは、いいだろう? じきよくなるよ」
牡丹兄さんが割って入り、指先につけた山椒の粉を割れ目に塗った。とろとろに濡れたものだから、指を奥へ奥へと飲み込んでしまう。
「ん……」
我慢出来ずに声を漏らすと、行っておいでと景気をつけられたので、観念して女将さんから盆を受け取り、閉ざした襖の前で膝をつく。兄さんたちが襖を閉めたら、お役人様の接待だ。
喉を絞って、か細い声を弾かせる。
「失礼します、お茶をお持ちしました」
絹が擦れるような音を鳴らすと、お役人様は床の間に飾った掛軸を目に映すでもなく見つめていた。風が吹いても動きそうにはなかったが、どことなくそわそわしており、桔梗兄さんが言ったとおりだと安堵した。
「ようこそ、おいでくださいました」
三つ指をついて、島田を下げる。まとめ上げた髪を下ろすも上げるも、止めているのも赤子のように定まらず難儀する。
膝を浮かせて、役人のそばにピタリとついて茶を淹れる。と、これは務めと自身に言い聞かせているのだろうか、軸に視線を釘刺したまま問いただす。
「まだ若いな」
「十四にございます」
「入ったばかりか」
「左様にございます」
「この茶屋は、娘が茶を勧めるのか」
「あら、お確かめになられますか?」
膝の上で岩のように握られた手に触れて、そっと撫で回してからふわりと掴む。お役人様の握り拳が羽より軽くなったので、気づかれないように溜め息をついて、両足のつけ根に触れさせた。
お役人様は丸く剥いた目をこちらに向けて、驚く素振りをしてみせた。
そうと知って来たくせに──。
顎を引いて、細めた目を流してみせて、フフッと悪戯っぽく笑って返した。
「男か」
「左様にございます」
兄さんたちに備えをされたところから、むずむずと熱いものがこみ上げてきた。うるさいくらいに脈が鳴り、内から胸がはち切れそうに膨れ上がって、息が荒くなってきた。
「梅がほころんだばかりというのに、熱くはございませんでしょうか」
手持ち無沙汰な手の平を、お役人様の足のつけ根へと伸ばしていった。
「ここは如何なる茶屋であろうか」
面を上げた女将さんは、口元を袖で押さえて目尻を侍に撫でつけていた。
「珍しくもない、ただの茶屋でございます。どうかお上がりになって、お確かめください」
侍が草履を脱いだので、控えていた陰から玄関先の隅に寄り、膝を折って腰のものを預かった。下げた頭が結ったばかりの島田でくらくらするので、すぐさま身を引こうとすると女将さんに「ちょいと」と引き止められた。
「あやめ、あんたがお上がんなさい」
もうそのときが回ってきたかと、引きつった笑みを青く浮かべた。
侍を二階に導いて、このためだけに空けた畳間に通して襖を閉める。それから向かいの襖を空けて、兄さんたちが寛いでいる板間へ転がり込んだ。縋るような俺の目は、不忍を撫でた風を浴びている桔梗兄さんだけを捉えた。
「どうしよう、お役人様の接待を頼まれちまった」
しかし桔梗兄さんは、艶めかしいおくれ毛を風に遊ばせて嘲笑っているだけだった。
「お武家様の相手なんぞ、手ほどきしたじゃあないか。教えたとおりにやるまでよ」
でも、と口を噤んでいると、桔梗兄さんは板間を滑ってそばに寄る。いきなり近づくものだから、息が出来ないくらいに脈が早くなって、周りの兄さんたちは胸に白波をざわざわ立てた。
涼しげな目元に影を差す長いまつ毛、薄っすらと微笑んでいる唇が、早鐘が薄い胸板を殴りつける。
「いいかい? あちらから誘ったりはしないから、あやめがシナを精一杯つくるんだ。お武家さんには務めと矜持があるからね」
「そうさ、公方様がひとりで逃げ帰ったってぇときに、茶屋の手入をするような小せえ下っ端役人さ」
けらけらと簪を揺らしていたのは、齢十八になる古株の牡丹兄さん。桔梗兄さんよりひとつ下、年季が明けたら蚤取り侍でもしようかね、が口癖だ。
これには桔梗兄さんも驚いて、身体を捩って問いただす。胸の高鳴りを奪われた気がして、大人の話をつまらなそうな仕草で聞いた。
「公方様が逃げたって?」
「座敷で小耳に挟んだのさ、錦の御旗が翻っちゃあ公方様も堪らないね」
食いついた桔梗兄さんはもちろんのこと、同い年の山吹までそれを聞いて呆けてしまった。関係ないね、と抱えた膝の先に見える指でひとり遊びをしていると、ピシャリと襖が開かれた。
お茶の支度を済ませた女将さんだ、こめかみには稲妻が走っている。立ち込める暗雲から逃れるように、兄さんたちは口を結んで背筋を伸ばした。
「あやめ。遊んでいないで、もてなしてさしあげなさい」
慌てて立ち上がろうとすると、桔梗兄さんが袖を引いて女将さんに目配せをした。
「だめだよ、備えがまだじゃあないか」
すると裾をまくり上げ、粉薬を口に含んでとろけさせ、割れ目を開いて舌を入れて塗りつけた。そうされて、堪らず声が漏れそうになる。
「あやめ、これも忘れちゃあならないよ」
「嫌だよ、それ痒いんだもの」
「痛いよりかは、いいだろう? じきよくなるよ」
牡丹兄さんが割って入り、指先につけた山椒の粉を割れ目に塗った。とろとろに濡れたものだから、指を奥へ奥へと飲み込んでしまう。
「ん……」
我慢出来ずに声を漏らすと、行っておいでと景気をつけられたので、観念して女将さんから盆を受け取り、閉ざした襖の前で膝をつく。兄さんたちが襖を閉めたら、お役人様の接待だ。
喉を絞って、か細い声を弾かせる。
「失礼します、お茶をお持ちしました」
絹が擦れるような音を鳴らすと、お役人様は床の間に飾った掛軸を目に映すでもなく見つめていた。風が吹いても動きそうにはなかったが、どことなくそわそわしており、桔梗兄さんが言ったとおりだと安堵した。
「ようこそ、おいでくださいました」
三つ指をついて、島田を下げる。まとめ上げた髪を下ろすも上げるも、止めているのも赤子のように定まらず難儀する。
膝を浮かせて、役人のそばにピタリとついて茶を淹れる。と、これは務めと自身に言い聞かせているのだろうか、軸に視線を釘刺したまま問いただす。
「まだ若いな」
「十四にございます」
「入ったばかりか」
「左様にございます」
「この茶屋は、娘が茶を勧めるのか」
「あら、お確かめになられますか?」
膝の上で岩のように握られた手に触れて、そっと撫で回してからふわりと掴む。お役人様の握り拳が羽より軽くなったので、気づかれないように溜め息をついて、両足のつけ根に触れさせた。
お役人様は丸く剥いた目をこちらに向けて、驚く素振りをしてみせた。
そうと知って来たくせに──。
顎を引いて、細めた目を流してみせて、フフッと悪戯っぽく笑って返した。
「男か」
「左様にございます」
兄さんたちに備えをされたところから、むずむずと熱いものがこみ上げてきた。うるさいくらいに脈が鳴り、内から胸がはち切れそうに膨れ上がって、息が荒くなってきた。
「梅がほころんだばかりというのに、熱くはございませんでしょうか」
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