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昭和十九年

第36話・三人②

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 広島駅前。
 ブレーキハンドルを抜き取った千秋が反対側の運転台に向かいながら、切符を集める夏子と美春に声と笑みを掛けていた。
「行先は変えといたけぇ」
「千秋ちゃん、ありがとう。後ろも変えたわ」
 千秋は行先表示を確認してから運転台に立つ。旅客の降車と車内の確認が完了し、夏子は後扉、美春は中扉から並んで待っていた客を導く。
「お待たせしました、己斐こい行きです」
 並んでいた客がぞろぞろと乗車する中、怪訝な顔をする男がいる。

「女の子しかおらんのか?」
「省線にも女の駅員や車掌がおりますけぇ。よその市電じゃあ、女の運転士さんがおると聞いています」
「しかし、君らは幾つなんじゃ?」
「うちら、みんな十五歳です」

 男は、これ見よがしに顔をしかめた。女学生が運転する電車に、不安しか覚えないようだった。
 これを跳ね除けるのは、弁が立つ夏子の役目。相手は運転士ではなく客だからと、明るく自信に満ちた口調で言い放つ。

「省線には三十五歳組、言うのがあるのは知っていますか?」
「いや、知らんわ」
「機関士が十九、機関助士が十六、合わせて三十五歳組や。お客さんが乗った汽車も、三十五歳組かも知れへんで?」
 男は唸って、押し黙ってしまった。
 汽車では機関士も機関助士も顔が見えず、幾つなのかわからない。それでも信頼して列車の運行を委ねたのだ。
 姿が見える女学生乗務員だけを責めるのは、酷である。

「うちらは二年生の運転士が十五、一年生の車掌が十四の二十九歳組や。鉄道省には負けておれんと、お国のために精一杯やっています」
 パタリと畳んだ蝶のはね、ギュッと閉ざした花の蕾。それがお国のためと言われてしまえば、返す言葉など出てこない。
 黙っていれば、彼女らを一年にわたり見守った街の人々が視線でつつく。こうなってしまっては、掛ける言葉はひとつしかない。

「そりゃあ、感心じゃのう。お国のために、しっかり働きんさい」
 許しを得られて夏子は胸を撫で下ろし、目配せしていた美春に垂れた吊り目をチラリと送った。美春はニヤリを歯を覗かせて、駅前広場に発車を知らせた。
己斐こい行き、発車しまーす!!」
 辺りを見渡し、駆け込む姿がなかったので美春と夏子は乗車して扉を閉めた。千秋が進路を確認しブレーキ弁にハンドルを差すと、夏子が発車の鐘を鳴らした。

 チン、チン。

 電車は轟音を立てながら、十五歳の少女たちによって路上を滑るように走り出した。

 繁華街や官公庁を横目に見て、相生橋を渡っていると左手の中島から生活の匂いが漂ってくる。それからは小さな店がぽつりぽつりと佇んでいるが、すっかり暮らしの見える街並みである。
 かぎ状の難所をそろりそろりと進行し、鉄道橋を渡った先に、また鉤状の難所である。

 美春は架線から外れることのないビューゲル車であり、脱線する心配のない千秋らしい穏やかな運転に、余裕の表情を浮かばせていた。
 夏子は難所のたびに強張っていたものの、千秋のハンドル捌きに安堵して緩めた頬を笑みに変えた。
 千秋は時計をチラリと覗った。乗降が少なく、停留所に停まっても美春と夏子が素早く案内してくれるので、大した遅れになっていない。
 互いをよく知り信頼し合った少女によって、ひとつの電車が広島の街をひた走っていた。

 最後の直進、真っ直ぐ先に省線の己斐駅が姿を現す。この直前で左に曲がれば、この電車の終点己斐こい停留所である。
 停留所に電車を停車させ、ブレーキを非常位置まで込めると、美春と夏子が扉を開けた。
「終点、己斐でございます! 宮島線、省線はお乗り換えです!」
 行き先を変え、ブレーキハンドルを抜き取って車内を見ると、すべての客が降車していた。回収した切符を握った美春と夏子が車内に戻るので、行路表に目を落とす。折り返しの発車まで時間があり、待っている客の姿もない。
「まだ時間じゃないわ、座ろう?」

 千秋の誘いに美春と夏子が喜々として乗った。真っ先に座った美春の左右に、夏子と千秋が腰を下ろした。
「運転士は立ちっぱなしで、じっとしとるやろ? 疲れたんと違う?」
「混んだ車内を歩かんでええし、前だけ見とればええから、そうでもないんよ?」
「そういうモンかいね? うちは、じっとしとるのは苦手じゃけぇ。混んどっても車内を歩くのは苦じゃないわ」
 それを聞いた夏子と千秋が、困ったような笑みを浮かべた。
「そりゃあ、午後の授業がしんどいねぇ」
「美春ちゃんが大好きで大の苦手、お茶の授業があんねんで?」
「ああー! ……思い出したくなかったわ、また先生に怒られてしまう!」

 美春はわざとらしく頭を抱え、苦しそうに首を振っていた。口角が上がり目尻が垂れた美春の顔がチラリと覗き、夏子も千秋も笑わずにはいられない。
「でも、お茶菓子は楽しみね?」
「今日は何が出るんかなぁ?」
 途端に美春が顔を上げた。突然のことに、夏子も千秋も仰け反っている。
「うち、アイスクリンを食べてみたい!」
「アイスクリンは、お茶菓子にならんやろ?」
「それじゃあ、お団子! みたらしがええわ!」
「みたらし団子のお作法がわからんわ」
 そこまで話すと三人ともが、ふつふつと沸騰するように破顔した。気が済むまで黄色い声を響かせた末、千秋がふぅっと息をついた。
「こんな時間が、ずっと続いたらええね」
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