椰子の実ひとつ -電車の女学校-

山口 実徳

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昭和十九年

第29話・後輩

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 昭和十九年、激動の春がはじまった。

 美春たち第一期生は二年生に進級し、第二期生は百三十九名もの少女が入学、入社した。同時に寮の部屋割りが見直され美春、夏子、千秋が十人部屋へ移動した。残り七人が一年生で、美春たちは圧倒されてしまっている。
「みんな、宜しくね。今年はずいぶん多いんやねぇ」
「乗務員が足らんけぇ。今年から半分乗務、半分授業の毎日じゃ」
「こっちの寮いうことは、遠くから来とんの?」
「みんな遠いねぇ。まずは停留所を覚えないかんけぇど、とっておきの覚え方があるんじゃ」

 そういった流れで、休日に彼女たちを連れ出して広島を案内する運びとなった。いつかのように電車に乗って景色を眺め、停留所名と何があるかを説明しながら宮島へ向かう。
「赤井先生の代わりは、実践女学校から来るんかねぇ?」
 美春の何気ないひと言に、夏子の胸がチクリと痛む。おもんばかって千秋はすかさず、言葉を挟んだ。
「ほうね、優しい先生じゃったらええね。入学式に国語の先生は、いらしたの?」

 一年生が顔を見合わせ、おずおずと返す。その様子から期待出来ないことが覗えて、美春と千秋は苦々しい顔となる。
「お爺さんみたいな先生でした。ちょっと怖そうじゃったねぇ」
 次々と兵隊に取られて、若い男が町からいなくなっている。残っているのは女子供と年寄り、男がいても身体を壊して兵隊になれない人だけだ。

 厳島神社を参拝したのち、夏子は電車の形式、千秋は駅や停留所、周辺地理を解説しながら広島市内へと戻る。美春はというと、見習い中の苦労話や失敗談を面白可笑しく聞かせていた。
「美春ちゃん……そんな大変じゃったんね」
「あれ!? 話しとらんかった!? ほんでもうちは師匠が優しかったけぇ、こうして立派に一人前の車掌として務めておるんじゃ」
 美春は自信満々に胸を張った。夏子と千秋は、引きつった視線をチラリと合わせた。噂によると美春は、相変わらず失敗が多いのだ。

 しかし一年生の少女たちはまばゆいばかりに輝く瞳を、鼻を高くする美春に向けていた。
「うち、師匠は森島先輩がええわ」
「うちも、森島先輩に教わりたい」
「森島先輩、師匠になってください」
 これに美春は大喜びだ。彼女たちの手を掴み、浅黒い頬を桜色に染めていた。
「みんなまとめて車掌の仕事を教えたる! うちがみんなのお師匠さんじゃ!」

 握られた手をブンブンと振られた少女たちは、にこやかな顔を見合わせた。
「ちょっとやそっとの失敗じゃあ、森島先輩は怒れんでしょう?」
「失敗しても怒らず、うちらの気持ちをわかってくれそうじゃ」
「教わりながら自信までもらえそうじゃねぇ」
 美春はガックリとうなだれて、しおしおと萎んでいった。夏子と千秋は「親しみやすいいうことよ」と、一所懸命になだめていた。そんな様子を一年生は、箸が転がったように笑っていた。
「先輩と出掛けると楽しいわ、これじゃあまるで遊興旅行じゃねぇ」
 すると美春と夏子は、途端に表情を固くした。
「こりゃあ、遊びじゃないわい。勉強じゃ」
「そうそう。勉強が楽しい、そんだけや」
 冗談めいた真面目な仕草に、千秋までクスクスと笑い出した。
「ほうね、楽しく勉強出来るんが一番じゃねぇ。次はみんなで、繁華街の勉強でもしようかねぇ」

 向かった先は、産業奨励館であった。物産展や展覧会をやっていないかと覗ってみたが、官公庁や統制会社が使っており、催事を開く様子は微塵もない。
 千秋は遠い目をしてドーム屋根の向こうに消えてしまった、かつての盛況を見上げていた。
「ありゃ、今はこうなってしもうたんじゃね」
「時局柄しょうがないわ。戦線拡大で仕事が増えとんのじゃ」
「それじゃあ、大都会広島を象徴する場所に行こうかねぇ」

 千秋に導かれ、絶えない笑いを花吹雪でも振り撒くように歩いていった。が、それも八丁堀までのことだった。
「福屋百貨店……やっておらんわ」
 千秋が呆然と言ったとおり、やってはいないが表玄関は開いていた。しかしそれは店ではなく、官公庁が入居しているためである。
「あちゃ、これも時局柄──」
「六年前なんよ!? 本館が出来たのが……もう、閉まるなんて……」
 思い出を奪い去られて熱がこもった千秋の背中に、道行く人の冷たい視線が突き刺さる。非国民という名の針から庇うため、美春と夏子がそっと肩を抱いた。
「千秋ちゃん、百貨店を奪ったんは鬼畜米英や。勝ったら何もかも欲しがって、全部取り返そう」
「そうよ。戦っとるお父さんのために、うちらで銃後を守ろう。お父さんが帰ってきたら、ここで戦勝祝いをしたらええ」

 瞳を潤ませたものを拭い去り、霞んでいた視界は今、ハッキリと地上八階建てのビルを映した。
「そうね、うちらがしっかりせんと、いかんね」
「千秋ちゃん、地下は雑炊食堂になっとるわ!」
 大袈裟に興奮してみせる美春が喜劇のようで、千秋の胸に熱がこみ上げ揺さぶられた。今、頬を伝うものは何であろうか。
「宮島でお弁当を食べてから、間がないわ。美春ちゃん、また今度にしようや」

 夏子が美春を抑えていると、一年生がその間に割って入り、駄々をこねるように懇願してきた。その勢いに、ふたりはキョトンと目を皿にした。
「先輩が言うてくれたがじゃ! 横川よこがわにも江波えばにも行かなぁいかんて。白島はくしま行きに乗って縮景園しゅっけいえんにも行ってみたいわ!」
「楽々園の遊園地は電鉄経営じゃ。勉強のため、先輩に連れて行ってもらわなぁいかん」
「比治山公園でお花見もしたい! 学校から近くても、先輩の案内がないと不安じゃ!」
 溢れる感謝を込めて、千秋は微笑みを送った。傾く陽射しが少女たちを包み込んで、ふわりとひとつに束ねていった。
「そうね。みんなで、たくさん勉強せんとね」
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