占領列車 -Occupied train-

山口 実徳

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第47話・RED⑥

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 ハバロフスクからトロッコの部品が届いた。将校は線路の敷設ふせつはかどると、これは我が手柄だと居丈高いたけだかに振る舞っていた。これを頼んだ駅長は、土の中で永遠の眠りについている。
 せめてもの弔いに、敷設を早く済ませよう。そう思ってトロッコを組み立てていると、ひとりが将校の目を盗みボソッと話しかけてきた。
「腹が減ったな。鹿を狩らないか?」
「鹿狩り? 見回りに捕まるぞ」
「寝静まった頃、手薄になる」

 ソビエト兵を回避しても、寝食をともにする将校の目についてしまう。だが、鹿ほどの大物ならば、多く奪われても痛くない。また、ソビエト兵の目につかず将校が占拠している納戸を、鹿の解体に使いたい。将校の機嫌を取れて、俺たちの腹も膨れる。
 悪い話ではないと、空腹が強く背中を押した。
「やろう。しかし、鹿など捕まるか」
「俺に任せろ、いい手があるんだ」
 自信に満ちた返事を信用したのも、耐え難い空腹によるものだった。

「わかった、作業をしながら声をかける」
「将校には知られるな。作戦を潰されたら、敵わんからな」
 言われたとおり、作業で身を寄せ合ったとき、鹿狩りの仲間を募っていった。トロッコの組み立てで目を丸くされ、枕木を並べる瞳は輝いて、レールを敷きながら生唾を飲み込んだ。誰ひとりとして嫌な顔をせず、将校を除いた全員が乗り気になった。
 また、鹿狩りが俺たちを奮起させた。誰もが全力を発揮して、線路の敷設は順調に進んだ。見張りを務める将校は、指示を飛ばせず居場所もなく、食事を奪える者もいない。何も出来ずに、俺たちと同量のパンとスープを砂を噛むように口にした。

 夜が訪れ、将校が寝静まった頃。仲間のひとりが窓辺で息をひそめて身を隠し、ソビエト兵の見回りが手薄になったと目配せをした。
 鹿狩りの道具は、斧と鋸。しかし都合よく現れるのかと、不安がじわじわとこみ上げてくる。
 鹿狩りを提案した奴が、納屋の扉に手をかけた。
 応援だろうか、内密にと言っていたのに。解体で部屋を使わせてくれと頼むなら、仕留めてからでもいいのではないか。もし空振りに終わったら、将校の機嫌を損ねるだけだ。

「おい、待て。話が違う」
 と、俺が止めようとするより先に、彼は納屋へと侵入し、そこで幾度となく斧を振るった。
 部屋から響く、断続的なうめき声。それは次第に短く小さくなって、ついには消えた。

 血みどろになった男が、斧をだらりと下げて納屋を出る。座った目を光らせて、切れ切れの息の合間に、ぽつりと呟く。
「部屋を空けたい、手伝ってくれ」
 戸惑いを隠せない俺たちだったが、このままには出来ないのは明らかだった。言われたとおり将校を引きずり出して、収容所の床板を外して穴を掘り、そこに寝かせた。

「これから、どうするんだ。ひとり減ったんだぞ、ソビエト兵が黙っていない」
「逃げた、と言えばいいだろう。奴らも将校を信用していない。それより鹿だ、汚れを誤魔化すのに鹿が要る」
 やったからには、やり切るしかない。そう思った俺たちは、鹿を探しに林へと出た。俺は彼にくっついて、今後のことを聞き出した。
「ロシア語が出来る者を失ったんだ、ソビエト兵は不自由する」
「学べばいいさ。不自由ならば、俺たちが勉強するようソビエト兵が用意する」

 血の臭いのせいだろうか。その夜は、鹿を捕まえられなかった。仕方なく俺たちは、納屋に飛び散る汚れを一晩かけて洗い流した。
 そして翌朝。ソビエト兵は、整列する俺たちの中から将校を探した。声ばかり大きい奴が見えないのだから、当然だ。逃げた、と身振り手振りで伝えるとソビエト兵は意外そうに目を見張り、不敵な笑みを送ってきた。
「レヴァリューツィヤ」
 それはどういう意味なのか、と俺たちが首を傾げていると、鹿狩りの首謀者が嬉しそうに呟くのだ。
「革命だ。奴らは察して、それを歓迎している」

 それから、彼の予測どおりに事は進んだ。ロシア語を覚えるようにと、収容所には本が並んだ。理屈ばかりの本だったが、夜毎みんなで交わした議論が生活に彩りをもたらした。長い夜も、厳しい冬も、本があるから乗り切れた。
 そう、厳しい冬だった。

 寒さも雪も、満州の比ではない。降り積もった雪を掻き、凍った土を掘り起こし、枕木を埋めて氷のようなレールを、身体に鞭打って敷いていく。食事は変わらず少なく身につかず、痩せ細った身体の骨にまで寒さが滲みた。
 木の葉だろうと、木の皮だろうと、土であろうと食えると思えば何でも口に入れた。
 それでもはじめの冬でひとり、またひとりと生命がついえて、俺たち捕虜の一割が消えていった。

 ある日、コーリャンが入ったスープが出たので俺は「しめた」とほくそ笑んだ。
 疲労と飢えと寒さのせいで、ベッドに沈んだ身体を起こせない仲間たちの目を盗み、収容所の裏へと回っていった。
 溜まったものを手ですくい、体温で溶かした雪でもみ洗いをした。冷え切って真っ赤になった手の平に、コーリャンの粒だけが残っていた。

 駅長から教わった、生きる術。
 畜生道に堕ちた俺は、餓鬼道にも堕ちたのだ。
 これぞ、まさに生き恥だった。トーチカで死ねばよかったと、生きているのを激しく悔やんだ。
 班長、駅長、これでも生きているほうが幸せですか。
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