占領列車 -Occupied train-

山口 実徳

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第46話・RED⑤

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 夜明けとともに目を覚まし、疲れが残る身体に鞭を打ち、将校の指示より先に斧を掴んで、木を切り倒す。のこを引き、手頃な長さの丸太したら、鋸を次の組に手渡して、丸太を作業場へと転がしていく。円筒形から短冊形に加工して、作業場と線路の間に運んでいくと、丸太を転がしてきた仲間たちが順番待ちの列を成していた。
 作業が滞っている、勝手な真似をするからだ、と将校は烈火のごとく激怒した。だが俺たちは、それを意に介さず作業の検討を開始した。

「作業時間は、均等ではない。それぞれの所要時間を計り、要員の配置を決めよう」
「いや、今日は分業にしよう。早かった組は伐採、遅い組が加工だ」
 口より手を動かせと振り上げられた将校の手は、俺たちがそれぞれの持ち場へ向かい、空振りに終わった。俺は駅長と同じ組で、彼の年齢を考えて丸太の搬入、枕木の搬出を今日の仕事とした。
 宙に浮いた将校は、駅長の後をつけてきた。切り出された丸太を手をかけ、伐採を終えた仲間に事情を説明していると、野獣のような目つきをし、駅長の襟首を引き上げた。

「誰が伐採をするんだ」
「それは今、作業場にいる……」
「それが戻るまで、突っ立っているつもりか」
 将校に威圧され、駅長は斧を引き継いだ。枕木に適した木を探す駅長を、将校は怒鳴りつけてきた。
「早く切らんか! 作った本数が少なければ、貴様の飯は抜きだ!」
 駅長は、やむなく手近な木に斧を入れた。だが、太く硬すぎた。なかなか斧が入らない様に、将校は痺れを切らして駅長を蹴り上げる。幹に激しく顔を打ちつけ、もんどり打った駅長に、俺は寄り添って恐れながらと意見を述べた。

「効率を考えて、分業制を試行したのであります。またご年齢を考えて、駅長には負担の少ない作業を充てがったのであります」
 ビンタが飛んだ。これに駅長も巻き込まれ、いや将校は狙って駅長も叩いたのだろう、俺たちふたりをまとめて睨みつけている。俺が立ち上がって敬礼をすると、一歩遅れて駅長も同じようにした。
 わずかな遅れが気に入らず、将校は駅長をビンタした。何も言わずビンタだけを繰り返し、駅長の顔はみるみる腫れ上がっていった。
 関東軍の日常をソビエト兵は異常事態と判断し、止めに入って将校に作業するよう指示をした。
 ビンタは止んだが、将校は斧を手にしなかった。

 結局、分業制とはならなかった。将校の横暴も、過剰な暴力がなければいい、統制さえ取れていればいいからと、ソビエト兵は見逃していた。
 捕虜となってからずっとだが、昼食は硬くて黒いパンと、薄くて具の少ないスープだった。スープ皿の底には、コーリャンがぽつぽつと沈んでいる。
 駅長の背後に将校が立ち、スープ皿を奪って自らのスープ皿に注いでいった。
「貴様は、働きが悪かった。余計な口ごたえをするからだ」
 パンも半分に千切ってしまうと、将校は満足したように自席へ戻った。駅長の食事は、俺たちの半分にも満たなかった。

「駅長、私のスープを取ってください」
「私のパンも差し上げます」
 俺たちが薦めると駅長は困った顔をして、丁重に断りを入れてきた。俺たちが将校の恨みを買って、殴られるとでも思ったのだろう。心からの善意まで駅長は奪われてしまっていた。
「歳だから、そんなにはいりませんよ」
 駅長は少ないスープにパンを沈めて、粥のようにして食べていた。ビンタを食らって顔が腫れ、口がうまく開かないのだ。
 無力感に苛まれてかじったパンは苦くて酸っぱく、えぐみが口いっぱいに広がった。

 午後の作業は、将校の意のままだった。効率などはどこ吹く風と、将校の機嫌を伺いながら木を切り倒し、丸太を転がし加工して、線路脇に積み上げていく。
 年嵩の駅長は、どうしてもほかより作業が遅れてしまい、将校の餌食となっていた。
 日が暮れて、作業はとうとう出来なくなり、夕食が運ばれてきたものの、昼と同じ献立だった。これではとても足りないが、将校は働きが悪いと難癖をつけ、駅長の食事を奪っていった。

 疲れた身体を横たえていると、便所から出てきた将校が食事に苦言を呈していた。
「コーリャンは身につかんな。やはり米だ、米」
 そう言って自室に収まると、入れ替わりに収容所の扉が開いて、閉まった。天井を仰ぐ首を回すと、駅長の姿がどこにもなかった。
 将校のイビリに耐えかねて、首を吊っているのかと俺は飛び起き、重たい身体に鞭打って収容所の扉を開ける。引きずるような足跡は、建物の裏手へと続いていた。

「駅長、駅長」
 絞り出した声の先、宵闇の中に駅長の細い背中があった。吊り下がっていることも、木の枝を仰いでいることもなく、安堵したのは束の間だった。
 俺に気づいて振り返った駅長は、この世の終わりを見たような顔をした。
 便所に溜まったものをすくい取り、揉み洗いして残ったコーリャンを口に放り込んでいた。
 餓鬼道に堕ちた駅長の肩を抱き、ただひたすらに謝って、身体を震わせ涙をこぼすのが、俺に出来る精一杯だった。

 翌朝、駅長は首を吊っていた。
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