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第45話・RED④
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泥のように疲労した俺たちだったが、将校が眠るのを待っていた。閉ざされた扉から寝息が響くと、ぽつりぽつりと口を開いた。
「不満は一緒だ、建設的な意見を求める」
「前時代的なことは、こりごりだ。みんな同じ捕虜なのだから、負担は平等にするべきではないか」
暗闇の中で光る目が、揃って微かに上下した。心はひとつ、それを確かめ合うように。
「上官だろうと、斧を手に取るべきだ。それには、どうすればいい」
その答えが集団から出なかった。長い夜を沈黙に費やすのかと思えたとき。駅長が、答えにならないかも知れないが、と前置きをしてから口を開いた。
「鉄道は、すべてが揃わなければ走れない。旅客や積荷を迎えて送り出す駅員、列車を走らせる機関士と車掌、進路を決める信号扱者。目立たないが車両や信号、線路の点検整備をする要員と、運行ダイヤを決めるスジ屋、どれひとつも欠けてはならない」
それが、将校を除いた総員の答えを導き出した。歯車は音を立てて噛み合って、目にも留まらぬ速さで回りはじめた。
「作業を分担すればいい。伐採と運搬、そして加工だ」
「人数の割り振りは、どうする? 運搬には人手がいるが、頻度はそう高くない」
「作業の流れを作るといい。まず全員が伐採をし、一番に切り出した組が運搬、加工に移行する」
「徐々に加工へと流れるのか。作業場が埋まれば、次の組は運搬に専念する」
「待て、負担は均等だ。伐採、運搬、加工、枕木が完成したら伐採に戻る、この流れではどうだ」
作業場が詰まるかも知れないが、明日はその流れでやってみよう、と落ち着いた。が、集団は当初の懸念に回帰した。
「しかし、将校は作業に加わるだろうか」
「我々が指揮より先に動けばいい。何もせず偉そうにふんぞり返っているのを、ソビエト兵も許さないはずだ」
駅長の提案と予測に、全員が深く頷いた。時間はかかるだろうが、いずれそうなると思わせる説得力があった。秘密会議を前進させた駅長に、俺たちは感謝を述べずにはいられなくなった。
「駅長、あなたがここにいてくださったのは、幸運でした。我々一兵卒だけでは、傍若無人な将校の下で踏み留まっていたでしょう」
しかし駅長は照れ笑いも謙遜もなく、ほの暗い影を横顔に差した。
「満鉄が、まともな鉄道ではなかったからでしょうな。形は違えど、その反省をしたのみです」
それから先を語るのを憚っていた駅長に、俺たちは身を乗り出して続きを求めた。駅長は申し訳なさそうに、満鉄の真実を紐解きはじめた。
「お若い皆さんは、知らぬだろうか。今から四十年前、帝政ロシアとの戦争に勝利した。獲得したのは東清鉄道、つまり南満州鉄道だ」
生まれる前の話だが父や祖父、教員などから聞いていた。今の日本には落胆したが、かつての栄華に胸が熱くなっていた。だが駅長は、粛々としたままだった。
「形あるものでは鉄道しか得られなかった。そこで鉄道には必要だからと、港を擁する旅順や大連など関東州をロシアから引き継ぎ、鉄道に付帯する土地や汽車を走らせるための炭鉱も、中国から借りた」
確かに鉄道だけが日本のもので、乗車する住民が中国人というのはおかしいと納得したが、胸の奥に釈然としないものがあったのも、確かだった。
「君たちに言うまでもないが、鉄道に付帯する土地を守るのが関東軍だ。しかし日本は、勝利しながら満鉄と付属地を得ただけでは満足していなかった。これは国だけではない、国民すべてがそうだった」
俺たちは耳を澄ませて寝息を聞いた。将校がこれを聞けば、駅長の生命はないだろう。
「誰の仕業だかわからないが、満州を実質的に支配していた軍閥の張作霖を爆殺した。乗っていた満鉄列車ごと、だ。この三年後、柳条湖で満鉄の線路が爆破された。これを関東軍は中国の仕業とし、満州事変がはじまった」
耳が痛い話だった。関東軍なら事変を起こしてもおかしくないと、属していた我々だからこそ疑いに確信を得てしまう。
「満州全土を占領した関東軍は、五族協和を謳って満州建国を宣言した。その後の中国の感情は、八路軍と戦った君たちのほうが詳しいだろう」
駅長の話に、軍人としての誇りを傷つけられて、腹に据えかねるものがあった。それが我慢ならなくなって、将校を起こしてしまわぬようにと、感情を押し殺して問うた。
「駅長、中国の肩を持つのですか」
「そうではない。ただ、占領の道具にされた鉄道に関わった。だが鉄道員としての誇りは捨てられず、こうして務めを果たしてきた。満鉄が消えた今も、私は正しかったのかと迷いの中にある」
答えを出せなかった駅長は、俺たちを迷いの林に導いた。満州を守らなければと戦った、だが属した関東軍には疑義が生じた。それが今も胸に引っかかっているのは、駅長も俺たちも一緒だった。
脇目も振らず信じた道だけを見つめれば、正しいと断言するのは簡単なことだ。しかし、一度生じてしまった疑問は、そう簡単には消えそうにない。
この答えは、生命が尽きても出せないのだろう。
「もう、休みましょう。人を動かすのは、自ら手を動かすより難儀します」
そう俺が提案し、総員が薄い布団に潜り込んだ。長いと思っていたソビエトの夜は、いくらあっても足りなかった。
「不満は一緒だ、建設的な意見を求める」
「前時代的なことは、こりごりだ。みんな同じ捕虜なのだから、負担は平等にするべきではないか」
暗闇の中で光る目が、揃って微かに上下した。心はひとつ、それを確かめ合うように。
「上官だろうと、斧を手に取るべきだ。それには、どうすればいい」
その答えが集団から出なかった。長い夜を沈黙に費やすのかと思えたとき。駅長が、答えにならないかも知れないが、と前置きをしてから口を開いた。
「鉄道は、すべてが揃わなければ走れない。旅客や積荷を迎えて送り出す駅員、列車を走らせる機関士と車掌、進路を決める信号扱者。目立たないが車両や信号、線路の点検整備をする要員と、運行ダイヤを決めるスジ屋、どれひとつも欠けてはならない」
それが、将校を除いた総員の答えを導き出した。歯車は音を立てて噛み合って、目にも留まらぬ速さで回りはじめた。
「作業を分担すればいい。伐採と運搬、そして加工だ」
「人数の割り振りは、どうする? 運搬には人手がいるが、頻度はそう高くない」
「作業の流れを作るといい。まず全員が伐採をし、一番に切り出した組が運搬、加工に移行する」
「徐々に加工へと流れるのか。作業場が埋まれば、次の組は運搬に専念する」
「待て、負担は均等だ。伐採、運搬、加工、枕木が完成したら伐採に戻る、この流れではどうだ」
作業場が詰まるかも知れないが、明日はその流れでやってみよう、と落ち着いた。が、集団は当初の懸念に回帰した。
「しかし、将校は作業に加わるだろうか」
「我々が指揮より先に動けばいい。何もせず偉そうにふんぞり返っているのを、ソビエト兵も許さないはずだ」
駅長の提案と予測に、全員が深く頷いた。時間はかかるだろうが、いずれそうなると思わせる説得力があった。秘密会議を前進させた駅長に、俺たちは感謝を述べずにはいられなくなった。
「駅長、あなたがここにいてくださったのは、幸運でした。我々一兵卒だけでは、傍若無人な将校の下で踏み留まっていたでしょう」
しかし駅長は照れ笑いも謙遜もなく、ほの暗い影を横顔に差した。
「満鉄が、まともな鉄道ではなかったからでしょうな。形は違えど、その反省をしたのみです」
それから先を語るのを憚っていた駅長に、俺たちは身を乗り出して続きを求めた。駅長は申し訳なさそうに、満鉄の真実を紐解きはじめた。
「お若い皆さんは、知らぬだろうか。今から四十年前、帝政ロシアとの戦争に勝利した。獲得したのは東清鉄道、つまり南満州鉄道だ」
生まれる前の話だが父や祖父、教員などから聞いていた。今の日本には落胆したが、かつての栄華に胸が熱くなっていた。だが駅長は、粛々としたままだった。
「形あるものでは鉄道しか得られなかった。そこで鉄道には必要だからと、港を擁する旅順や大連など関東州をロシアから引き継ぎ、鉄道に付帯する土地や汽車を走らせるための炭鉱も、中国から借りた」
確かに鉄道だけが日本のもので、乗車する住民が中国人というのはおかしいと納得したが、胸の奥に釈然としないものがあったのも、確かだった。
「君たちに言うまでもないが、鉄道に付帯する土地を守るのが関東軍だ。しかし日本は、勝利しながら満鉄と付属地を得ただけでは満足していなかった。これは国だけではない、国民すべてがそうだった」
俺たちは耳を澄ませて寝息を聞いた。将校がこれを聞けば、駅長の生命はないだろう。
「誰の仕業だかわからないが、満州を実質的に支配していた軍閥の張作霖を爆殺した。乗っていた満鉄列車ごと、だ。この三年後、柳条湖で満鉄の線路が爆破された。これを関東軍は中国の仕業とし、満州事変がはじまった」
耳が痛い話だった。関東軍なら事変を起こしてもおかしくないと、属していた我々だからこそ疑いに確信を得てしまう。
「満州全土を占領した関東軍は、五族協和を謳って満州建国を宣言した。その後の中国の感情は、八路軍と戦った君たちのほうが詳しいだろう」
駅長の話に、軍人としての誇りを傷つけられて、腹に据えかねるものがあった。それが我慢ならなくなって、将校を起こしてしまわぬようにと、感情を押し殺して問うた。
「駅長、中国の肩を持つのですか」
「そうではない。ただ、占領の道具にされた鉄道に関わった。だが鉄道員としての誇りは捨てられず、こうして務めを果たしてきた。満鉄が消えた今も、私は正しかったのかと迷いの中にある」
答えを出せなかった駅長は、俺たちを迷いの林に導いた。満州を守らなければと戦った、だが属した関東軍には疑義が生じた。それが今も胸に引っかかっているのは、駅長も俺たちも一緒だった。
脇目も振らず信じた道だけを見つめれば、正しいと断言するのは簡単なことだ。しかし、一度生じてしまった疑問は、そう簡単には消えそうにない。
この答えは、生命が尽きても出せないのだろう。
「もう、休みましょう。人を動かすのは、自ら手を動かすより難儀します」
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