占領列車 -Occupied train-

山口 実徳

文字の大きさ
上 下
43 / 54

第43話・RED②

しおりを挟む
 捕虜となった俺たちは、近くの街に連れられた。
 日本が支配していた街の、日本人が経営していた工場の、日本人が操っていた機械を、日本人が運行していた南満州鉄道の貨車に載せる。
 その行き先はソビエト領。五族協和を謳った大地から、俺たち日本人の手で日本を消していく。

 ただ、建物だけは消せなかった。奪われた土地の発展を横目に見ていた中国人が商社や銀行、そして駅を使っているからだ。そんなつもりはないだろうが、ここで生まれ育った彼らにとっては、高い利子をつけて貸していた、それに似た感覚だろうか。
「結局は、借り物だったということだ」
 と、俺の思考を見透かしたように、駅長が駅舎を見上げて呟いた。

 ソビエト兵の指示を待つ間、みんなが抱いていた疑問を俺は尋ねた。
「駅長、何故あなたひとりが残ったのですか」
「そりゃあ、列車の出発を監視するのが駅長の務めだからさ。発車の準備が整って、進路が開通したならば、列車を監視するひとりが残っていればいい」
「私は、あなたを尊敬します。駅長に相応しい駅長だ」
 よくぞ生かしてくれた、そう思うと同時に、一緒に逃げてほしかった、とも思えてしまい、ぽっかりと空いた穴に風が吹き抜けていく、そんな寂しさが胸に滲みた。

 ソビエト兵の指示を受け、中国人の駅員が進路を開通させていた。その様子を駅長は、鉄道従事員の目で見つめていた。
 しばらくして、駅に列車が進入した。貨車ばかりを連ねているが、もう運び出すようなものは残っていない。
 するとソビエト兵がこちらに向かい、繰り返し声を張り上げてきた。
「ダモイ? ダモイっていうのは、何だ?」
 怪訝な顔を浮かべている中、ひとりが飛び跳ねるように立ち上がった。

「……帰る、帰るだ。みんな、日本に帰れるぞ!」
 それを聞いて、俺たちは歓喜に沸いた。何故日本に帰れるか、それは日本が敗けたからだと気づいたが、そんなことはどうでもよかった。
 敗けて当然の戦いを強いられていた。俺たちは、戦地でそれを肌で感じて、どんな結果でもいいから早く終われと、密かに祈っていた。それが、ついに叶ったのだ。
 生き恥が何だ、日本の土を踏めるんだ、切り落とした班長の指を日本の土に還せるんだ。

 ソビエト兵に導かれてすぐ、改札口を通過した。ソビエト兵が扉を開いてすぐ、我先にと貨車に乗り込んだ。ソビエト兵が扉を閉めて、真っ暗になった貨車の中で、次々と閉まる貨車の扉の音を聞き、今か今かと発車を待った。
 汽車が走る音がした。俺たちが乗った貨車は微動だにしない。汽車の付け替えをしているのだろう、早く連結を済ませてくれと祈っている俺のそばで、駅長は扉の隙間から駅構内を睨んでいた。

「何故、入れ換える。日本に帰るのではないのか」
「駅長、ソビエト兵が『帰る』と言ったんです」
「しかし汽車を付け替えると、北に進路を取ることになる。大連には行かないのか」
「我々はソビエトの捕虜です。ウラジオストクから日本に帰るのではないですか?」
 そうだといいが、と呟いてから駅長は腕を組んで唸った。疑り深い駅長と、それを嘲笑った俺たちを乗せた貨物列車はロシアの東、ハバロフスクで扉を開いた。

 いつウラジオストクに向かうのだろう、いつ船に乗るのだろう、いつ日本に着くのだろうかと待つ間にも、貨物列車が次々とハバロフスク駅で日本人を降ろしていった。
 その数が千に達して、これ以上は船に乗れない、いよいよ日本に帰るのだ、と期待に胸を膨らませたとき、ハバロフスク駅に向かうよう指示された。
 ソビエト兵が「ダモイ、ダモイ」と声を上げ、俺たちを貨車に導いていく。すし詰めになった貨車は温かな連帯感で包まれていた。真っ暗になった車内には、眩しいほどの希望が煌々と灯っていた。

 駅長だけは汽車が走り出すまでの間、貨車の扉の隙間から駅構内を覗っていた。真面目な人だ、こんなときまで列車を見るなんて、と俺たちは笑い飛ばした。
 すべての扉が閉まったのちに、ソビエトの汽車は重々しく走り出した。連結器が伸びる音が、前から順に鳴り響いていく。加速が鈍いのは、俺たち捕虜を満載にしているせいだろう。その間も駅長は、駅構内を扉の隙間から覗いていた。

「駅長、危険です」
「わかっている」
 駅長が扉から離れると、乗っている貨車の連結器が伸びて、激しく身体を揺さぶられた。その衝動が次の貨車へと伝わると、バネが軋む音だけが車内に響いた。
 動いてくれた、切り離されずに。俺たちはホッと安堵して、貨車の壁にもたれかかり、ふーっと長く息を吐いた。それが心身ともに弛緩させて、思わず笑みがこぼれていった。

「こんなに早く帰れるとはな」
「いや、ずいぶん待たされた」
「さらば、ハバロフスク、か」
「日本に帰ったら、何をする」
「米を食いたい、銀シャリだ」
「駅長は、どうされますか?」

 浮ついた質問に、駅長はぽつりと答えた。
「風呂に浸かりたい」
 それは妙案、取るに足らないような日々こそ幸せなのだ、と俺たちは騒がしいほどに沸いていた。
 だが駅長は、港を見るまで安心出来ない、とでも言うように、硬い表情を崩さずにいた。

 長い間、列車は走り続けていた。進路の都合か、上下列車の交換待ちか、ときどき駅に停まったが、この貨車にはロシア語がわかるものがいないから、いいや駅名を読めたところで、土地勘がなくどこかわからないから、海が見えるのをひたすら待った。
 そのうち、日が暮れてきた。扉の隙間から差す光が、次第に黄色くなっていく。車内の誰もが、その異変に気がついた。
 夕日は、進行方向の隙間から差し込んでいた。
 この列車は、西に向かっているのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~

華研えねこ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。 一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。 二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。 三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。 四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。 五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。 六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。 そして、1907年7月30日のことである。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

処理中です...