41 / 54
第41話・HOPE⑤
しおりを挟む
壁に押しつけられて絞まった喉から、蓮城は声を絞り出した。か細く苦しそうなそれは、どこか嘲笑っているようでもあった。
「戦い方は国それぞれです。物量のアメリカ、技術のドイツ、日本は精神で戦いに挑みました」
「それが間違いだと言っている。敗けて占領されてもなお、ハラキリをしようというのか」
わかっているさ、そんなことは戦争中から知っている。真っ赤な顔のシャグノンに、蓮城は達観した笑みを薄く送った。
「ご指摘、ごもっともかと思います。しかし、70系客車はハラキリではありません。今の日本です」
「天皇が日本の象徴ならば、この客車は日本の飢餓の象徴か」
シャグノンは手首に力を込めて、蓮城の喉を声が出ないほどに絞め上げた。日本難民救済会を、彼は快く思っていないようだ。
見守っていた将校がシャグノンを制した。蓮城は襟を正して呼吸を整え、疎ましそうに見下しているシャグノンに語りはじめた。
「70系客車は、日本の復活の象徴です。被災車両の復旧を手がけるのは、従来の鉄道車両製造会社だけではありません。軍需から民需への転換を模索している企業にも、被災車の復旧を依頼しています」
「戦艦や戦闘機、銃器や爆弾を作った工場にもか? そんな連中に客車など作れるのか」
「作れます。焼け落ちた車体、歪んだ台枠、それを作り直すまでのこと。また原型を留めていれば図面に従わなくともよい、とも伝えてあります」
シャグノンは窓に寄り、行き交う列車を睨んだ。
客車の形態は様々だ。丸屋根、明かり取りがある二重屋根。窓も座席の区画ごとに一枚、三枚の小窓が一組、あるいは二枚ひと区画だが窓柱が均等で、小窓がズラリと並んでいるものもある。
すると蓮城も窓辺に立ち、旅客を満載にした電車を指した。
「電気部品が手に入らなければ、電車も70系客車に編入します。既に故障した電車を機関車に牽かせていますから、あまり変わりはありませんが」
これらが、ひとまとめに70系客車とされるのか。これが日本人が作ろうとする日本なら、糸を失った凧ではないか。その糸を我々GHQが繋いでいる、それを断ち切ろうというのか、とシャグノンは怪訝に眉をひそめている。
「民需転換はいいだろう、それがGHQの方針だ。だが、なりふり構わぬ無法地帯では困る」
「そうしないための戦災復旧車、旅客は客車に乗るべきです。鉄道総局は形よりも数を取ります、これが新たな日本のはじまりです」
質を取る気はないのかと、シャグノンは歯を食いしばり眉間に深いしわを刻んだ。
しかし、今の日本にはすべてが足りない。指摘をすればベッスンのように、あれをよこせとつけ込まれるに違いない。結んだ口を歪めていると、蓮城がもう一押しとシャグノンに迫った。
「健康で文化的な最低限度の生活を、すべての国民が営むべきだと言ったのは、GHQではありませんか?」
シャグノンは、それを軽く往なした。蓮城が意外そうにたじろぐと、冷たい視線を浴びせかけた。
「権利を有すると日本に約束させたまでだ。そして我々が統治占領しているうちは、日本国憲法に効力などない。この程度の客車しか作れないなら、寝台車の製造は中止だ。一刻も早く、東京RTOを完成させろ」
そう吐き捨てたシャグノンは、プラットホームを去っていった。後を追う将校を振り切るように足早に、RTO改札を通り抜けて行幸通りへ、そのまま勢いを失わず第一生命館へと向かっていった。
交差する通りを横目に見ると、GIが派手な服を身に纏う私娼を侍らせ、得意気に闊歩している。
連合軍の占領にあたり、婦女子の貞操を守ろうと日本が用意した特殊慰安施設協会。それは四十六万もの連合軍兵士には不足した上、性病を蔓延させるだけだった。
三月、GHQ総員に立入禁止の指令を下した。
しかし止められない欲求と、追いつめられた境遇が、行き場のない慰安婦を私娼に変えた。
淫猥な発想、浅はかな思考、その場しのぎの方針しか打ち出せない。それがどんな悲劇を生むのか、それを何度繰り返せば気づくのか。
バラック電車をRAAとするならば、新型客車は選択肢のない状況を受け入れ、喜んでいる私娼ではないか。
こんな黄色い猿どもに、今の日本を任せてはならない。
GIは人目を憚らず、私娼を抱き締め愛撫する。女は日本人の魂までも売り払い、GIに脚を絡ませている。
シャグノンにはそれが、接収して塗り替えさせて白帯を巻かせた客車に嬉々として乗車する自分自身と重なった。
血が沸いた。金だけが目当ての雌猫に尻尾を振る盛ったGI、そんな奴らと俺は違う。自分の好みに着飾らせ、乗って悦に浸るだけではないのだと。
シャグノンは脇道に入り、鼻の下を伸ばしているGIの肩を掴んだ。そのGIは一瞬にして硬直し、小さく萎んでしまっている。
「お前の女か」
「いえ、この女が誘ってきたのです」
GIの顔をめがけて、シャグノンの拳が飛んだ。地面に叩きつけられて狼狽えるGIに、シャグノンは凍てつく視線を浴びせて去った。
蓮城め、何が新たな日本のはじまりだ。日本を、日本人の好きにはさせない。
立ち直るまでの占領ではない、共産主義の防波堤として極東日本はアメリカの手中に収まるべきだ。そのために、鉄道から東の果てをアメリカ色に染め上げる。日本を、この手で消し去ってくれる。
日本の鉄道はMy railwayだ。
「戦い方は国それぞれです。物量のアメリカ、技術のドイツ、日本は精神で戦いに挑みました」
「それが間違いだと言っている。敗けて占領されてもなお、ハラキリをしようというのか」
わかっているさ、そんなことは戦争中から知っている。真っ赤な顔のシャグノンに、蓮城は達観した笑みを薄く送った。
「ご指摘、ごもっともかと思います。しかし、70系客車はハラキリではありません。今の日本です」
「天皇が日本の象徴ならば、この客車は日本の飢餓の象徴か」
シャグノンは手首に力を込めて、蓮城の喉を声が出ないほどに絞め上げた。日本難民救済会を、彼は快く思っていないようだ。
見守っていた将校がシャグノンを制した。蓮城は襟を正して呼吸を整え、疎ましそうに見下しているシャグノンに語りはじめた。
「70系客車は、日本の復活の象徴です。被災車両の復旧を手がけるのは、従来の鉄道車両製造会社だけではありません。軍需から民需への転換を模索している企業にも、被災車の復旧を依頼しています」
「戦艦や戦闘機、銃器や爆弾を作った工場にもか? そんな連中に客車など作れるのか」
「作れます。焼け落ちた車体、歪んだ台枠、それを作り直すまでのこと。また原型を留めていれば図面に従わなくともよい、とも伝えてあります」
シャグノンは窓に寄り、行き交う列車を睨んだ。
客車の形態は様々だ。丸屋根、明かり取りがある二重屋根。窓も座席の区画ごとに一枚、三枚の小窓が一組、あるいは二枚ひと区画だが窓柱が均等で、小窓がズラリと並んでいるものもある。
すると蓮城も窓辺に立ち、旅客を満載にした電車を指した。
「電気部品が手に入らなければ、電車も70系客車に編入します。既に故障した電車を機関車に牽かせていますから、あまり変わりはありませんが」
これらが、ひとまとめに70系客車とされるのか。これが日本人が作ろうとする日本なら、糸を失った凧ではないか。その糸を我々GHQが繋いでいる、それを断ち切ろうというのか、とシャグノンは怪訝に眉をひそめている。
「民需転換はいいだろう、それがGHQの方針だ。だが、なりふり構わぬ無法地帯では困る」
「そうしないための戦災復旧車、旅客は客車に乗るべきです。鉄道総局は形よりも数を取ります、これが新たな日本のはじまりです」
質を取る気はないのかと、シャグノンは歯を食いしばり眉間に深いしわを刻んだ。
しかし、今の日本にはすべてが足りない。指摘をすればベッスンのように、あれをよこせとつけ込まれるに違いない。結んだ口を歪めていると、蓮城がもう一押しとシャグノンに迫った。
「健康で文化的な最低限度の生活を、すべての国民が営むべきだと言ったのは、GHQではありませんか?」
シャグノンは、それを軽く往なした。蓮城が意外そうにたじろぐと、冷たい視線を浴びせかけた。
「権利を有すると日本に約束させたまでだ。そして我々が統治占領しているうちは、日本国憲法に効力などない。この程度の客車しか作れないなら、寝台車の製造は中止だ。一刻も早く、東京RTOを完成させろ」
そう吐き捨てたシャグノンは、プラットホームを去っていった。後を追う将校を振り切るように足早に、RTO改札を通り抜けて行幸通りへ、そのまま勢いを失わず第一生命館へと向かっていった。
交差する通りを横目に見ると、GIが派手な服を身に纏う私娼を侍らせ、得意気に闊歩している。
連合軍の占領にあたり、婦女子の貞操を守ろうと日本が用意した特殊慰安施設協会。それは四十六万もの連合軍兵士には不足した上、性病を蔓延させるだけだった。
三月、GHQ総員に立入禁止の指令を下した。
しかし止められない欲求と、追いつめられた境遇が、行き場のない慰安婦を私娼に変えた。
淫猥な発想、浅はかな思考、その場しのぎの方針しか打ち出せない。それがどんな悲劇を生むのか、それを何度繰り返せば気づくのか。
バラック電車をRAAとするならば、新型客車は選択肢のない状況を受け入れ、喜んでいる私娼ではないか。
こんな黄色い猿どもに、今の日本を任せてはならない。
GIは人目を憚らず、私娼を抱き締め愛撫する。女は日本人の魂までも売り払い、GIに脚を絡ませている。
シャグノンにはそれが、接収して塗り替えさせて白帯を巻かせた客車に嬉々として乗車する自分自身と重なった。
血が沸いた。金だけが目当ての雌猫に尻尾を振る盛ったGI、そんな奴らと俺は違う。自分の好みに着飾らせ、乗って悦に浸るだけではないのだと。
シャグノンは脇道に入り、鼻の下を伸ばしているGIの肩を掴んだ。そのGIは一瞬にして硬直し、小さく萎んでしまっている。
「お前の女か」
「いえ、この女が誘ってきたのです」
GIの顔をめがけて、シャグノンの拳が飛んだ。地面に叩きつけられて狼狽えるGIに、シャグノンは凍てつく視線を浴びせて去った。
蓮城め、何が新たな日本のはじまりだ。日本を、日本人の好きにはさせない。
立ち直るまでの占領ではない、共産主義の防波堤として極東日本はアメリカの手中に収まるべきだ。そのために、鉄道から東の果てをアメリカ色に染め上げる。日本を、この手で消し去ってくれる。
日本の鉄道はMy railwayだ。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説


ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。


サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~
華研えねこ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。
一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。
二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。
三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。
四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。
五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。
六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。
そして、1907年7月30日のことである。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる