占領列車 -Occupied train-

山口 実徳

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第30話・SWITCH④

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 夜勤を終えて、大井工場から回送電車に便乗し、品川駅へ。総局から一時金を勝ち取ったから、その足で闇市へ向かおうと山手線に乗り換える。
 おっと、ここから先は進駐軍専用か。
 我が物顔で闊歩するGIのため、日常の足である都市部の電車にも、GHQ専用の区画が作られた。車両のドアを基準に三分の一か半室、場合によっては一両をGHQが占拠している。ドアとドアの間、窓の下には「ALLIED FORCES」と白い文字で書いてある。連合軍という意味で、日本人は立ち入れない。

 その文字を入れたのは俺じゃないか。車内も整備し、割れていない窓ガラス、傷ひとつない布張りの椅子、すべてが灯っている電球も、俺の手による。ドア一枚を挟んだら雲泥の差だと、乗車した日本人専用客室から横目に見た。
 日本人が乗れない電車を、日本人が整備する。
 それも連合軍の捕虜となり、アメリカの船で日本に帰ってきた復員兵の、この俺が。
 つい先日までは、アメリカの機関車を組み立てに大宮へ行き、RTOと一緒になって日本人の工員に指示をした。

 これが占領、これが敗戦、今の日本は日本のものではないと、つくづく痛感させられた。
 こんな屈辱的な仕事が出来るのは、俺に罪滅ぼしの意識があるからだ。
 食料の残りがろくにない中、連れ回した連合軍の捕虜たちは飢えとマラリアで倒れていった。空腹に苛まれていた俺たちに、彼らを救ってやれる余裕はなかった。

 その後に俺自身が捕虜となったが、扱いの違いに愕然とした。傷病兵や捕虜の待遇改善を目的としたジュネーブ条約、日本が批准しなかったジュネーブ条約を肌で感じて、取り返しようのない過ちに俺は悔やんだ。
 裁きを求めたかったが、先月はじまった極東国際軍事裁判に一兵卒だった俺は呼ばれていない。罪を背負い、死ぬまで償い続けるのが、俺への裁きだ。

 しかし戦地でも復員しても、こうして鉄道総局の一員となった今も、変わらず飢えに苦しんでいるのは、何の報いか。
 空腹は人を苛立たせる。飢えは人を獣に変える。腹が減っては戦はできぬと言うものの、実際のいさかいは満たされないから起こるのだ。

 五月、赤旗せっきひるがる皇居前広場。米をよこせ飢えていると行われたデモで、不敬罪で逮捕者が出ているのが不穏だった。天皇を人間にしたGHQは、特別扱いしてはならぬと、罪状を名誉毀損に切り替える方針と聞いた。しかし警官を木偶でくにするMPが止めないのだから、腹の底で何を考えているのかわからない。

 与えられた自由は、いつまで続くのか。それまでに我々の自由を勝ち取らなければ。
 一時金で、納得してはならない。抜いた刀を鞘に収めたというだけで、つかはしかと握りしめたままでいる。

 目当ての闇市がある新宿、そのプラットホームは騒然としていた。旅客は動揺を隠しきれず、視線は定まらないでいる。駅員に食ってかかる旅客もいるが、ひとりの相手をしている場合ではないと、非礼のないようあしらっている。
 一体、何があったのか。
 野次馬根性などではない、鉄道従事員として気が気じゃない。何が起きて、出来ることはないかと首を伸ばして辺りを見回す。

 そのとき、中央緩行線電車をそわそわと待つ背広の紳士が目に入った。他の旅客とは明らかに違う、同じ臭いがする。根拠はないが、彼についていけばわかる、そう確信した俺は同じ電車に乗車した。
 祈るように神妙な顔をした彼は、大久保駅を通り過ぎると目を見開いて、細切れにサンが入る板張り混じりの小さな窓から、高架の下を覗いていた。
 間もなく東中野駅、交差する神田川。
 そこに入った多数の警官。
 彼は強く目を閉じて絶望の淵を覗き込み、微かな希望を握りしめた吊り革に込めた。

 停車して扉が開くと、一目散に神田川へと走っていった。そんな彼を、俺は不穏な疑問を抱いて追いかける。
 神田川に辿り着くと、彼は身投げをしようとして警官たちに止められた。張り裂けんばかりの叫び声から紐解かれていく真相に、俺は耳を疑った。

「鉄道総局渉外室、鉄道官の蓮城だ! 旅客が川に落ちたと聞いた! 救助を手伝わせてくれ!」
「捜索の邪魔だ! それに概ね引き上げておる! 鉄道屋は引っ込んでろ!」

 電車の客が、川に落ちた……?
 窓から身投げをしたというのか?
 俺は蓮城鉄道官を、警官から引き剥がした。捜索の邪魔、だけではない。事態が理解を超越していたからだ。

「大井工場の平木です。蓮城さん、客が川に落ちたって、何があったんですか」
 蓮城は、苦々しく噛み締めた唇を恐る恐る開き、震える声で呟いた。
「電車のドアが破れた、木製ドアだ。混雑に負けたらしい」
「それで、客が川に落ちたんですか……?」
 車両工場に勤める俺には、他人事ではなかった。木製ドアなら、毎日のように整備している。自分が作ったドアではないか、自分が送り出したドアではないか。そう思うと血の気が引いて、心臓が止まりそうになってしまう。

 いや、今は犯人探しをしても仕方ない。俺は蓮城の肩をガシリと掴み、踊る目を真っ直ぐ見据えた。
「蓮城さん。気持ちはわかるが、渉外の仕事は救助じゃない。引き上げられた客が、どこに搬送されたかを警官に聞くべきではないですか」
「……そうだな。平木さん、ありがとう。顔に疲れが出ていますが、非番ですか? あなたはゆっくり休むのが、今の勤めです。駆けつけてくれて、本当にありがとう」

 ほんの少し血色を取り戻した蓮城は、手が空いた警官に搬送先を尋ねて、電話を借りに駅へと戻る。
 別れ際、歳下で下っ端の俺などに、感謝を込めた視線を蓮城が向けた。
 蓮城は、渉外室と言っていた。あの仁科鉄道官補と同じ職場だ。
 二ヶ月ほど前、労働者の権利のもとに仁科を取り囲んだのが思い出されて、胸を突かれたような気がした。
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