占領列車 -Occupied train-

山口 実徳

文字の大きさ
上 下
6 / 54

第6話・MRS⑥

しおりを挟む
 ベッスンの命を受けた蓮城が、固唾を呑んで車庫の扉を開け放つ。その光景を目にしたMRS一行は感嘆し、工員たちは苦々しく視線を背けた。

「素晴らしい……美の極致だ」

 そこに身を潜めていたのは、歴代の皇室用客車であった。大小さまざま、どれも艷やかな暗紅色の漆塗り、装飾から手すりまで黄金色に輝いている。
 ベッスンはふわふわとした夢見心地な足取りで、客車の間を歩いていった。それらをまじまじと観察すると、ハッとして蓮城の肩をガシリと掴んだ。
「どれも走れないじゃないか!?」
 よくぞ気づいたさすがベッスン准将だ、と蓮城は不敵にほくそ笑む。
「そうです、真空ブレーキです。連結出来ません」

 保管してある皇室用客車群は、列車分離した際に非常ブレーキが自動的にかかる今の車両とは、動作原理が真逆であった。走行中に連結が切れてしまうと、ブレーキが一切かからなくなる。古い客車ではブレーキ管が通り抜けるだけで、制輪子ブレーキシューがないものまである。
 空気ブレーキ直通管の形状を見れば一目瞭然、というのは鉄道従事員の話である。軍の輸送を担っているが、軍人のベッスンにそれがわかるとは、工員たちには意外に思えた。
 同時に、ベッスンには誤魔化しが効かないのだと思い知り、工員の間に緊張が走った。

 蓮城は、使える客車を指し示す。
「この11号食堂車であれば、ブレーキが引き通されます」
 ベッスンらは贅を尽くした客車を眺めて、歓喜のあまり言葉を失っていた。これが走り抜けていく様を思い浮かべて、その光景に見惚れている。
「これのほかに、ないのか?」
「戦火を逃れるため、地方へ分散させております」

 するとベッスンは蓮城の手をガッシリ掴み、力のこもった握手を交わした。多大な感謝が込められていると、その熱量から伝わってくる。
「この美しい客車を守り抜いたあなたがたに、敬意を評したい。我々は、これを破壊しようとしていたのか」
「この御料車庫が焼け落ちなかったのは偶然です。いいえ、奇跡と言ってもいいかも知れません」
 それから続いて突くものを、蓮城は口を固く閉ざして止めた。

 我々は神に守られている。

 それを言うのを憚ったのだ。天皇陛下は連合軍にとっての神ではなく、彼らには彼らの神がおわす。また、日本人は天皇陛下を未だに神と崇めていると知れば、占領政策をより厳しくするかも知れない。
 この国をひとりで背負っているわけではないが、連合軍と関わっているひとりひとりが、明日からの日本を担っているのだ。

 蓮城が打ち切った言葉を気にも留めないベッスンだったが、ハタとして怪訝に眉をひそめて問うた。
「この食堂車Dining carに相応しい機関車はあるのか? まさか、爆発しそうな汽車に牽かせるのか」
「今日の視察は、次の新鶴見が最後です。明日から使用する機関車をご覧いただきましょう。旅客駅がないので、仕立てた列車でご案内いたします。もちろん、先ほどとは別の車両です」

 蓮城の自信に満ちた口上に、ベッスンは大振りの拍手で応えていた。この演出は成功だったと、蓮城はそっと胸を撫で下ろした。
完璧Perfectだ、蓮城」
「新鶴見では、仁科鉄道官補が案内を務めます。私はここまでとなりますので、ご承知願います」
「仁科、貨物Freight専門家Expertだな? 操車場そばの機関区ならば納得だ。蓮城、今日は素晴らしい旅だった。お陰で新鶴見も楽しみだが、ひとつだけ残念なことがある」
 何が機嫌を損ねたのかと蓮城が身体を強張らせると、ベッスンはそばに眠る客車を見上げた。

「この素晴らしい客車で、新鶴見に向かえないことだ」
 ベッスンが口惜しそうな笑みを見せると、蓮城も釣られて笑みを浮かべた。
「准将、あなたもよく笑いますね」
「まだ上陸して二日だが、すっかり日本に染まってしまった」
 上機嫌なベッスンだったが、これを耳にした通訳と、訳された言葉を聞いたアメリカ兵は、これ見よがしに眉をひそめた。理由は違えど、工員たちも顔をしかめて蓮城を遠巻きに見つめていた。

 ベッスンらを乗せた客車を見送ると、工員が蓮城の腕を掴んで、工場詰所へと押しこめた。力尽くで床に座らせた蓮城を、怒りに震える工員たちが取り囲んで見下ろしている。
「蓮城さん、どういう了見ですか」
「宮内庁に断りを入れたんでしょうねぇ? そうでなければ、皇宮警察に突き出しますよ」
「肉を切らせて骨の髄まで啜られる。蓮城さんは、そういうことをしたんですよ?」
 矢継ぎ早に繰り出されていく詰問に、蓮城は必死になって釈明をした。追いつかない答えを出すと、苛烈な問いが嵐のように襲いかかる。

「この11号は、国賓御乗用を目的に作られた御料車だ。1号を守るための犠牲だと、わかってくれ」
 弁明しながら見上げた彼らは、御料車庫を守ろうと命懸けで振り払った炎の雨を背にしていた。
 1号だけは守らなければ、その想いが1号だけを守ろうに転じてしまったと気がついて、蓮城は自らの身を恥辱に焦がした。
 所詮、私も現場を知らぬ鉄道官僚なのだと、浴びせられる「売国奴」の罵声を苦々しく噛みしめた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~

華研えねこ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。 一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。 二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。 三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。 四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。 五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。 六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。 そして、1907年7月30日のことである。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

処理中です...