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僕は、お稲荷様②
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玄関扉の前まで来ると、新聞記者たちの詰問を浴びせられた。今これを開けてしまうと、危険な目に遭うのは間違いない。
「高島さん! ガス会社は横浜のものになったんじゃないんですか!?」
「まだ影響力をお持ちですか!? 手放したのは、嘘ですか!?」
「瓦斯局もガス代も、高島さんのものですか!?」
記者の騒ぎを聞きつけて、市井の人々が集まりだした。前の通りは、怒りに満ちて燃え盛る人垣で埋め尽くされた。
「瓦斯局を私物化するのか!!」
「鉄道も自分のものにする気だろう!!」
「横浜は高島ひとりのものではない!!」
「高島! 横浜を乗っ取るな!!」
「出てこい!! 高島!!」
横浜の開港と発展に貢献した名士は一転、横浜の共有財産を奪い、独占支配を企む黒幕の汚名を着せられた。
記者や住民に説明したいが、沸騰するまで加熱した彼らの前に出るのは、自殺行為でしかない。
たとえ説明出来たとしても、金は無理矢理押し付けられた、瓦斯局の者は帰ってしまった、それで納得させられるとは、到底思えない。
「コンコ、リュウさん、隣の家から逃げなさい。使いの者に案内させよう」
「でも、それじゃあ高島さんが……」
身を案じてオロオロするコンコの両肩を高島が掴み、力強い眼差しを真っ直ぐに向けた。信頼を表情にするならば、今の高島の顔だろう。
「コンコ。何をされたと言ったのは、あやかしの仕業という意味だろう?」
コンコは唇をギュッと結び瞳を燃え上がらせると、深く力強くうなずいた。
「時間は掛かるが、この場は私が何とかしよう。しかし私だけでは、どうにもならないことがあるんだ。コンコ、リュウさん、あやかし退治の依頼を受けてくれるかい?」
隣家を使って出た通りは、高島に罵声を浴びせる人々を、かき分けなければ進めなかった。
人は恐ろしい。特に、集団の暴走は脅威でしかない。正しくとも誤っていようとも、周りを呑み込んで膨れ上がり、判断力も目指す先も見失って突き進む、正義と憎悪の濁流だ。
その堰を切ったのは、ぬらりひょん。
コンコとリュウにとって高島は、ただの雇い主ではない。あやかし退治の世話に留まらず、気に掛け、身を案じ、心に寄り添ってくれた。それがいつしか、頼りにし合う間柄になっていた。
その高島を貶めたことは、コンコもリュウも、絶対に許せなかった。
ぬらりひょんの狙いは文明開化、横浜だ。
高島邸から坂を降りると、青木橋から人力車に乗って横浜駅の方へと向かった爺さんがいた、と聞かされた。
海上線路の側道を走っていると、高島町遊郭に差し掛かる。リュウの古巣、春風楼前で目を丸くした主人に引き止められた。
「すまぬ、先を急ぐのだが」
「つれないねぇ、お前さんは! うちの百合を身請けするってぇのに」
リュウはもちろん、コンコもギョッと顔を引きつらせた。そんなつもりも大金も、どこにあると言うのか。
「何かの間違いだ! 誰がそんなことを!」
「お前さんをよく知るっていう爺さんだよ。眉唾と思ったけど、話を聞けば懇意にしているそうじゃないか」
ぬらりひょんの仕業に違いない。心に付け入るだけでなく、口も達者とは恐ろしい。
「何でも、その子も一緒だって言うじゃないか。百合も大喜びしているよ」
格子の向こうでは、百合が妖艶に舌舐めずりをしており、視線が合ったコンコは全身の毛を逆立てた。
横浜駅では、朧車《おぼろぐるま》の人力車夫がいた。何やら、とても機嫌がいい。
「その爺さんを乗せたのは、俺だよ。陸蒸気より速いとか、雲の上にいるようだとか、終始おだてるもんで、いやぁ参っちまったぜ」
「それで、お金はもらったの?」
車夫は、時が止まったように固まった。こんな時そばのような話は、ぬらりひょんの仕業に違いない。
「あの野郎、車代を踏み倒しやがって! 旦那、坊っちゃん、乗って下せい! 一緒にとっちめてやりやしょう!!」
元町を目指して走り出した人力車は、馬車道に差し掛かると男たちに止められた。氷水屋、写真館、泉平の主人である。
「あなたの知り合いの爺さんが、あいすくりんをツケで食べて行ったのですが、お支払いはいつでございますか?」
「うちも爺さんの写真を、あなたが払うと言って撮ったのですが」
「うちも、おいなりさんをあなたのツケで」
全部、ぬらりひょんの仕業に違いない。
何故かコンコが鬼の形相で、リュウの胸ぐらに飛びかかった。
「リュウ! いつ、おいなりさんを食べたの!? 抜け駆けは許さないからね!!」
「ずっと一緒にいたではないか、誰の仕業かよく考えろ」
我に返ったコンコはパッと手を離し、ストンと尻餅をついた。
そうだ、ぬらりひょんを追っていたんだ。
おいなりさんのツケを押し付けられたことに、コンコが激怒した。お稲荷様を怒らせると、本当に恐ろしい。
「ぬらりひょんめ! 生皮剥いで肉を削いで骨を砕いて血の池地獄に沈めてくれる!!」
「……すまぬが、おいなりさんはまだあるか?」
まったく、ぬらりひょんは、ろくでもないことばかりする。
すっかり寂しくなった財布を覗いて、リュウは海より深いため息をついた。
ぬらりひょんは、元町の方へと歩いていったという。
まさか、拝殿下に納めている、あやかしたちが狙いか!?
苦労して封じたあやかしたちを、解き放たれては一大事だ。
車夫に神社まで飛ばしてもらい、境内を走り、階段を駆け上がり、拝殿へと飛び込んだ。
「高島さん! ガス会社は横浜のものになったんじゃないんですか!?」
「まだ影響力をお持ちですか!? 手放したのは、嘘ですか!?」
「瓦斯局もガス代も、高島さんのものですか!?」
記者の騒ぎを聞きつけて、市井の人々が集まりだした。前の通りは、怒りに満ちて燃え盛る人垣で埋め尽くされた。
「瓦斯局を私物化するのか!!」
「鉄道も自分のものにする気だろう!!」
「横浜は高島ひとりのものではない!!」
「高島! 横浜を乗っ取るな!!」
「出てこい!! 高島!!」
横浜の開港と発展に貢献した名士は一転、横浜の共有財産を奪い、独占支配を企む黒幕の汚名を着せられた。
記者や住民に説明したいが、沸騰するまで加熱した彼らの前に出るのは、自殺行為でしかない。
たとえ説明出来たとしても、金は無理矢理押し付けられた、瓦斯局の者は帰ってしまった、それで納得させられるとは、到底思えない。
「コンコ、リュウさん、隣の家から逃げなさい。使いの者に案内させよう」
「でも、それじゃあ高島さんが……」
身を案じてオロオロするコンコの両肩を高島が掴み、力強い眼差しを真っ直ぐに向けた。信頼を表情にするならば、今の高島の顔だろう。
「コンコ。何をされたと言ったのは、あやかしの仕業という意味だろう?」
コンコは唇をギュッと結び瞳を燃え上がらせると、深く力強くうなずいた。
「時間は掛かるが、この場は私が何とかしよう。しかし私だけでは、どうにもならないことがあるんだ。コンコ、リュウさん、あやかし退治の依頼を受けてくれるかい?」
隣家を使って出た通りは、高島に罵声を浴びせる人々を、かき分けなければ進めなかった。
人は恐ろしい。特に、集団の暴走は脅威でしかない。正しくとも誤っていようとも、周りを呑み込んで膨れ上がり、判断力も目指す先も見失って突き進む、正義と憎悪の濁流だ。
その堰を切ったのは、ぬらりひょん。
コンコとリュウにとって高島は、ただの雇い主ではない。あやかし退治の世話に留まらず、気に掛け、身を案じ、心に寄り添ってくれた。それがいつしか、頼りにし合う間柄になっていた。
その高島を貶めたことは、コンコもリュウも、絶対に許せなかった。
ぬらりひょんの狙いは文明開化、横浜だ。
高島邸から坂を降りると、青木橋から人力車に乗って横浜駅の方へと向かった爺さんがいた、と聞かされた。
海上線路の側道を走っていると、高島町遊郭に差し掛かる。リュウの古巣、春風楼前で目を丸くした主人に引き止められた。
「すまぬ、先を急ぐのだが」
「つれないねぇ、お前さんは! うちの百合を身請けするってぇのに」
リュウはもちろん、コンコもギョッと顔を引きつらせた。そんなつもりも大金も、どこにあると言うのか。
「何かの間違いだ! 誰がそんなことを!」
「お前さんをよく知るっていう爺さんだよ。眉唾と思ったけど、話を聞けば懇意にしているそうじゃないか」
ぬらりひょんの仕業に違いない。心に付け入るだけでなく、口も達者とは恐ろしい。
「何でも、その子も一緒だって言うじゃないか。百合も大喜びしているよ」
格子の向こうでは、百合が妖艶に舌舐めずりをしており、視線が合ったコンコは全身の毛を逆立てた。
横浜駅では、朧車《おぼろぐるま》の人力車夫がいた。何やら、とても機嫌がいい。
「その爺さんを乗せたのは、俺だよ。陸蒸気より速いとか、雲の上にいるようだとか、終始おだてるもんで、いやぁ参っちまったぜ」
「それで、お金はもらったの?」
車夫は、時が止まったように固まった。こんな時そばのような話は、ぬらりひょんの仕業に違いない。
「あの野郎、車代を踏み倒しやがって! 旦那、坊っちゃん、乗って下せい! 一緒にとっちめてやりやしょう!!」
元町を目指して走り出した人力車は、馬車道に差し掛かると男たちに止められた。氷水屋、写真館、泉平の主人である。
「あなたの知り合いの爺さんが、あいすくりんをツケで食べて行ったのですが、お支払いはいつでございますか?」
「うちも爺さんの写真を、あなたが払うと言って撮ったのですが」
「うちも、おいなりさんをあなたのツケで」
全部、ぬらりひょんの仕業に違いない。
何故かコンコが鬼の形相で、リュウの胸ぐらに飛びかかった。
「リュウ! いつ、おいなりさんを食べたの!? 抜け駆けは許さないからね!!」
「ずっと一緒にいたではないか、誰の仕業かよく考えろ」
我に返ったコンコはパッと手を離し、ストンと尻餅をついた。
そうだ、ぬらりひょんを追っていたんだ。
おいなりさんのツケを押し付けられたことに、コンコが激怒した。お稲荷様を怒らせると、本当に恐ろしい。
「ぬらりひょんめ! 生皮剥いで肉を削いで骨を砕いて血の池地獄に沈めてくれる!!」
「……すまぬが、おいなりさんはまだあるか?」
まったく、ぬらりひょんは、ろくでもないことばかりする。
すっかり寂しくなった財布を覗いて、リュウは海より深いため息をついた。
ぬらりひょんは、元町の方へと歩いていったという。
まさか、拝殿下に納めている、あやかしたちが狙いか!?
苦労して封じたあやかしたちを、解き放たれては一大事だ。
車夫に神社まで飛ばしてもらい、境内を走り、階段を駆け上がり、拝殿へと飛び込んだ。
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