稲荷狐となまくら侍 -明治あやかし捕物帖-

山口 実徳

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僕は、お稲荷様①

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 魔女と山姥を神社に納めたコンコとリュウは、港に泊まる百千ももちの船を横目に歩き、横浜駅を通り過ぎ、海上線路の側道を進み、青木橋から高台に上がった。
 向かっているのは、高島邸だ。

「ごめんね、僕からあやかし退治に誘ったのに」
「今まで懸命に努めておったのだ、気持ちが落ち着くまで休むとよい」

 コンコは、300年も続けてきたあやかし退治を辞めると言い出した。魔女と山姥の一件が、心に深手を負わせてしまったのだ。
 余程の被害を及ぼさなければ、たとえあやかしでも生けとし生きるもの、封印しないのがコンコの方針だ。
 人間に警鐘を鳴らすもの、天狗や座敷わらし、天神様のように神になるものもいる。
 そうと知っているから、何でも封じればいいと思っていないのだ。

 しかし、それが許される時代ではなくなった。
 あやかしは、不気味というだけで悪く見られ、あやかしというだけで封印する。
 そういう時代になってしまった。
 休め、と言ったが本当に辞めてしまうかも知れない。リュウには、そう思えてならなかった。

「リュウは、これからどうするの?」
「そうだな……そろそろ、俺も陽の当たるところに出るとするかな」
 あやかし退治を休むことがコンコの重荷にならないよう、リュウはあっけらかんと言い放った。
 コンコは哀しい目をしたまま、ほんの少しだけ笑ってみせた。
 僕が身を引いて、リュウが表舞台に戻るなら、それでいい。
 そういう微笑みだった。

 もし、リュウが陽の当たる場所に出たら、僕はどうなるだろう。
 リュウと出逢っていなければ、祠と運命をともにして、この世界から消えていた。
 そうだ、それが本来ある道だ。元の鞘に戻る、ただそれだけのこと。

 ……でも、リュウと離れるのは嫌だ!!

 募る想いに背中を押され、リュウの顔を見上げると、高島邸に着いていた。玄関で履物を脱ごうとすると草履が一足、行儀よく並んでいるのに気付かされた。
 こんな夜更けの先客に驚いていると、高島自ら出迎えてきた。困りごとから救われたような顔である。
 横浜や財界のよもやま、更には巨万の富をもたらした易断を頼りにされて、隠棲してもまだまだ忙しいのだ。

「いやいや、すまないね」
「高島さん、お客さんいるんじゃないの?」
「君たちが来たのを察してくれてね、適当に帰るから見送りはいいと言ってくれたんだよ。さあ、上がっておくれ」
 コンコとリュウに、心底安心して顔を緩ませる高島が気掛かりで仕方ない。一体、どんな客なのだろうか。

 居間に落ち着くなり、コンコの沈んだ顔を高島が心配そうに覗き込んだ。
 こんな顔を見るのは、電信の件以来だ。台場で勝に会ったことが尾を引いているのか。
 しかし、リュウに変わったところはない。
 いや、それは嘘だ。
 何某なにがしかの覚悟を決めた態度である。

 つまりコンコに何かがあった。
 そう解した高島は話しやすいようにと、いつものように声を掛けた。
「それで、今日はどんなあやかしの話だい?」
 パッと顔を上げたコンコは「魔女!」と言って口をつぐんで、消え入りそうな声で「あと山姥」とつぶやくと、唇を結んでうつむいた。

 あやかし退治で悲しいことがあったのだろう、コンコから聞いては可哀想だ。そう思った高島の期待に、リュウが袂からチョコレートを出して、応えようとした。
「山手公園での怪異で──」

 そのとき、襖がわずかに開かれた。先客が帰りの挨拶に来たようだ。
「突然上がって長居までして失礼した。これにておいとまするよ」
 席を立った高島が襖を大きく開くと、コンコとリュウは金縛りに遭ったように、ピクリとも動けなくなってしまった。

「いいえ、こちらこそ中座して申し訳なかった。せめて見送りだけでも」
 先客がチラリとこちらに目を向けた。ふたりを冷笑するような視線に、思考が停止させられる。
「いいや、お構いなく。今は、そちらのおふたりの方が大事な客人でしょう」

 先客は、ぬらりひょんだった。

 高島邸に上がるという思わぬ事態に、コンコもリュウも焦りを見せたが、身体も口も言うことを聞いてくれない。
 出来ることといえば、立ち去るぬらりひょんに会釈をするだけだ。

 玄関扉が閉まる音を合図にして、ふたりの呪縛は解き放たれた。穏やかさに支配された心が張り詰め、張り詰めて動けなかった身体が緩んだ。
 やれやれ、やっと帰ってくれた。そういう顔をする高島に、コンコとリュウが詰め寄った。
「高島さん! 奴に何をされたの!?」
 焦燥を隠さぬコンコの言葉に、高島はキョトンとするばかりだ。
「何って……手放した瓦斯ガス局から来たとかで」
 ガス会社は2年前の明治8年から、公営の横浜瓦斯局になっている。

 すぐさま客間に行くと、うなるほどの金が積み上げられていた。
「ああ、結局置いていってしまったか……」
「このお金は、何?」
「謝礼を渡したいと言ってきてね、それを断っていたんだ。あちらも引かないものだから、ずっと押し問答をしていたんだよ」
 これだけの大金を持ってきた相手から目を離すなど、とてもじゃないが考えられない行動だ。
 高島も、ぬらりひょんにすっかり心を呑まれてしまったのだ。

「これは、受け取っていい金なのか……?」
 リュウのひと言に、高島も呪縛から放たれた。事態を把握して顔面蒼白になったその瞬間、玄関から凄まじい怒号が轟き、使用人が血相を変えて飛んできた。
「旦那様! 瓦斯局から受け取った金子きんすについて聞きたいと、新聞記者が押し寄せております!」
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