稲荷狐となまくら侍 -明治あやかし捕物帖-

山口 実徳

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東の魔女が死んだ④

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 山姥が爪を立てて牙を剥き、神父目掛けて飛びかかる。
 コンコは恐怖を噛み殺しつつ、神父の前で両手を広げて仁王立ちをする。
 真っ直ぐで純粋な眼差しが山姥の胸に深く突き刺さり、その勢いに躊躇いを生じさせる。

 どけ! 子狐!!

 神父は小瓶を構える、聖水はもう残り少ない、絶対に外せない。
 小柄なコンコを避けるため、山姥は爪を頭上に振り上げた。
 山姥が速すぎた、狙いを定める隙がない。

 死ね! 魔女のかたき!!

 神父は固くまぶたを閉じて、神に無言の祈りを捧げる。
 もうダメだ! ……
 死を覚悟して、生を諦め、ほんのわずかな奇跡を願った時間が長すぎる。

 リュウだ。
 刀を上段で横たえて、山姥を制している。
 なまくらを掴む山姥は、剥いた白目から溢れる涙で皺だらけの頬を濡らしていた。
「どけ! 侍! 子狐! この南蛮人を八つ裂きにしてくれる!!」

 友を失った山姥の怒りは凄まじく、なまくらを飴細工のように曲げてしまうのでは、そう思えるほどだった。
 ひと振りの刀に掛けられた力を、全身を使って受け止めるリュウには、微塵の余裕もない。
 構えた刀を押すことも引くことも、声を発することさえも、一切合切出来ずにいた。

 守りの構えを崩せないリュウと、小瓶を構えたまま動向を見守る神父の間に挟まれて、コンコは神父に、山姥に睨み合いを終えるよう懇願し続けていた。
「神父さん、もうやめて! 僕たちはやっちゃんを封じないから、刀から手を離して!」
 しかしコンコの願い虚しく、誰ひとり微動だにしない。

 山姥がいつ襲い掛かるか、わからない。魔女を殺した恨みは、そう簡単に晴れるとは思えない。命を狙うあやかしを封印するのは、当然のこと。
 だから聖水を構える姿勢は崩せない。

 魔女の死に怒り狂った山姥は、なまくらを握る力を増している。刀を引けば、間違いなく神父に襲いかかり、そうなればコンコも危ない。
 だから刀を構える姿勢は崩せない。

 余生を共にすると決めた魔女を殺されて、そうやすやすと許せるものか。この子狐を信用したいが、神父の構えは変わらない。間に立つ侍に阻まれて動けずにいるが、変化があれば小瓶を振るのは間違いない。
 侍が姿勢を変える前に、この状況を何とかしなければ……。

 思考した分、山姥にわずかな隙が生じた。
 と言ってもリュウが言葉を発するだけ、糸1本分の隙である。
「コンコ、もうたん……祝詞……」
 なまくらが霊力を放てば、山姥は傷つき形勢が変わる。神父は、コンコが制してくれれば良い。山姥が観念するなら、共に暮らす道を探そう。それでも襲いかかるなら無念、斬るまでだ。

 何とか発したリュウの言葉に、コンコは愕然とした。どうして神父を止めないのかと。
「嫌だ! 僕は祝詞を唱えない! やっちゃんは絶対に封じない!」
 コンコの頑なな意志を、リュウは理解した。
 そうだ、俺たちは今までそうやってきた。
 あやかしだからと問答無用で封じなかった。
 魔女と山姥の静かな余生を、寂しくないようにしたかった。
 作ったものを買ってくれる人たちと、交流していけるよう手伝うと約束した。
 まずはテニスを通じて仲良くなろう、そういう矢先の出来事だった。

 山姥が刀を押し込み、リュウは余裕を失った。
 また隙が生まれたら、俺からも神父を説き伏せよう。ひと言ふた言しか放てないだろうが、神父を止めなければコンコの願いは叶わない。

 眼前のなまくらが、わずかにしなった。
 リュウは息を呑み、血の気が引いた。
 不味い、刀が折れる。
 全力で前進して押し返す。
 これが最後だと言わんばかりにリュウは地面を睨みつけ、雄叫びを上げた。

 山姥の力が緩んだ。
 いや、抜けたのだ。
 全力で停滞を続けていたリュウは、突然のことに転倒しそうになる。すかさず前に踏み出して、既のところで留まった。

 何があった!?

 ……まさか!?

 顔を上げると山姥は断末魔の叫びを上げ、すぐに途絶えさせた。
 肉が溶け、皮が落ち、骨が砂となり丘を優しく撫でる風に吹かれて消えていった。
 山姥の身体が消えると、擦り切れそうなみすぼらしい着物が地面に落ちて、軽い音を立てた。

 神父は小瓶の口を前に向けたまま、石のように硬直していた。
 その足元でコンコは、ぺったりと座って、魂を抜かれたように呆然としていた。
 心臓をえぐられそうな後悔がリュウを襲った。

 テニスの誘いを断っていれば。
 魔女の封印を止めていれば。
 神父に言葉を放っていれば。
 俺が頭を下げていなければ。

 あやかし退治をしなければ、こんな思いはしなかった、コンコにこんな思いをさせなかった。
 わかっている、今更どうにもならないのだ。

 ふらふらと力なく立ち上がったコンコは、動揺のあまり錯乱していた。見るも痛々しいその様に胸が押し潰されて、今にも張り裂けてしまいそうだ。
「魔ぁちゃんも、やっちゃんも、静かに暮らしたいって、みんなと仲良くしたいって、そう言ったんだよ? 魔女だから? あやかしだから?」

 黒衣を何度も引っ張られながら、神父は神妙な顔つきでコンコを諭した。
「魔女を封印する、私の務めデス」
 納得することが出来ない答えに、コンコは黒衣を強く握って神父を見つめた。その目には、何も映っていない。
「それじゃあ、僕を封じてよ。僕、稲荷狐なんかじゃない、化け狐なんだ。さぁ神父さん、その水を僕にかけて。僕のことなんか消しちゃっ……」

 リュウはコンコを抱きしめた。残る力をすべて使って、強く強く抱きしめた。
「コンコ、お前は嘘が下手だな……」
 コンコの涙も嗚咽も悲しみも受け止めたリュウの胸は、槍で貫かれたように痛かった。
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