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東の魔女が死んだ②
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コンコは狐耳をペッタリと畳んで、しょんぼりしていた。その様子がおかしくてリュウも魔女も山姥も、笑いをこらえて肩を震わせていた。
経緯は、こうだ。
コンコは腰を抜かして椅子から滑り落ち、号泣しながら後退り、金切り声を上げ続けた。
あまりに怖がるものだからリュウはもちろん、魔女も山姥さえもキョトンとしてしまっている。
怯えた末、とうとうコンコが山姥に土下座をしはじめた。
「ごめんなさい! ごめんなさい! 僕たちは、いじめるつもりは無いんです!」
魔女と目を合わせた山姥が、丸めた背中と尻尾を震わせるコンコに朴訥と尋ねてきた。
「お前たちは、何をしに来たのじゃ?」
コンコは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。命乞いでもしているようだ。
「夜に、羽根つき遊びをしているお婆さんがいるから、調べに来たんですぅぅぅあああ!」
山姥と魔女が、ギョロリとした目を合わせた。お互い、だから何だという顔をしている。
「それは確かに、わしらじゃ。それがどうかしたのか?」
テニスに興じる理由を尋ねると、山姥と魔女が共同生活した経緯から聞くことになった。
「しかしコンコ、いくら何でも怖がり過ぎだぞ」
「だって、本当に怖かったんだもん……」
山姥は上機嫌にヒィッヒィッヒィッと怪しげな笑い声を上げていた。稲荷狐を怖がらせたのが、自信につながったらしい。
何故、魔女が日本に来たのかを問うと、鷲鼻が口が隠すほどうつむいた。
「西洋では、どこもかしこも魔女狩りをしていてのう……」
「それで逃げてきた、というわけか」
魔女は悲痛に顔を歪めて、身を乗り出した。
「それだけではない! 罪なき者が無茶な裁きを受け、魔女とされて命を落とした。わしがいなくなれば、裁きも無くなると──」
山姥が慰めにと、魔女の背中を優しく撫でた。このふたりは、仲がいいようだ。
これ以上、魔女に喋らせるのは可哀想に思ったのだろう。続きを話したのは、山姥だった。
「わしも山を追われてのう。放浪して流れついたのが横浜じゃ。そこで船を降りて来た魔ぁちゃんに出会ったわけじゃ」
「まぁちゃん?」
「魔女だから魔ぁちゃん。わしは、やっちゃんと呼ばれておる」
お互い住処を追われた老婆同士。意気投合するまでは、あっという間の出来事だったのだろう。
「追って追われる暮らしには、疲れた。ふたりで暮せば寂しくない、特技を活かして細々と日銭を稼ぎ、ゆっくりと余生を過ごそう。そう決めて、この家を借りたわけじゃ」
魔女の特技がチョコレート作り、ということは山姥の特技とは何だろう。
そう考えたリュウの背筋が凍りつき、左手が刀へと伸びていった。
「お前たち、腹は減っておらんか? 西洋料理をこしらえたのじゃ、食っていくか?」
安心して腹が減ったのか、コンコは今すぐ食べたそうな顔をした。
「お腹空いちゃった。何を作ったの?」
山姥は台所の前でピタリと止まり、ゆっくりと顔を向けて不敵な笑みを浮かべた。
「お前たち、肉は好きか?」
リュウはガバッと立ち上がった。テーブル下に隠した刀はいつでも抜ける。
「まさか! 人の肉ではあるまいな!」
「馬鹿を言うな! 人なんかより、牛や豚の方がずっと美味い!」
コンコとリュウは一瞬安堵したが人なんかよりということは、食べたことがあるという意味だ。
ふたりから血の気が引き、青ざめたまま一分も動けなくなってしまった。
台所に引っ込んだ山姥が、包丁を手にこちらを覗き込んできた。
「食うのか? 食わんのか?」
ふたり揃って首をブンブン縦に振り「食べます食べます」と返事をすると、山姥はヒィッヒィッヒィッと嬉しそうに笑っていた。
いちいち不気味だから、心臓に良くない。
山姥が作ったという、シチューという肉の汁物は美味かった。肉の塊は匙で軽く押すだけでホロホロと崩れるので、什器の扱いに慣れていないリュウも、食べやすいと喜んでいる。
チョコレート同様、この界隈でも知る人ぞ知る存在だそうだが、その評判も上々らしい。
「どうして夜中なんかにテニスをしているの?」
「あやかしは陽が落ちてからが本番じゃ。身体を動かさなければ、なまってしまうからのう」
魔女はどうか知らないが、山姥は起伏の激しい山で人を追い回していたから、身体を動かすのが好きなのだ。
このふたりは、このような細々とした暮らしをひっそりと続けていくつもりなのだろうか。料理を通じて近隣と関わっているのだから、本音は人と交流したいのではないか。
そんな疑問が、コンコを突き動かした。
「魔ぁちゃんとやっちゃんは、どう過ごしていきたいの?」
「独りの頃より寂しくないが、作ったものを気に入ってくれた人と、交わっていければのう」
やっぱりそうかと思ったコンコは、シチューをかき込みスクッと立ち上がると、婆さんたちの手を引いた。
「僕たちが力になるよ! 羽根つきみたいな遊びを、僕にも教えて!」
魔女と山姥は驚いた顔を見合わせた後、コンコに優しく笑顔を送った。こういう顔も出来るのかと、リュウは静かに驚いていた。
「ええぞ! お前たちにテニスを教えてやろう。ただし、皿を片付けてからじゃ」
「チョコレートも持って行け、金はいいから付き合ってくれ」
コンコが跳ねるように皿を片付けると、婆さんたちはいそいそとテニスラケットを取り出した。リュウは、この勢いに乗ることが出来ず狼狽えていた。
経緯は、こうだ。
コンコは腰を抜かして椅子から滑り落ち、号泣しながら後退り、金切り声を上げ続けた。
あまりに怖がるものだからリュウはもちろん、魔女も山姥さえもキョトンとしてしまっている。
怯えた末、とうとうコンコが山姥に土下座をしはじめた。
「ごめんなさい! ごめんなさい! 僕たちは、いじめるつもりは無いんです!」
魔女と目を合わせた山姥が、丸めた背中と尻尾を震わせるコンコに朴訥と尋ねてきた。
「お前たちは、何をしに来たのじゃ?」
コンコは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。命乞いでもしているようだ。
「夜に、羽根つき遊びをしているお婆さんがいるから、調べに来たんですぅぅぅあああ!」
山姥と魔女が、ギョロリとした目を合わせた。お互い、だから何だという顔をしている。
「それは確かに、わしらじゃ。それがどうかしたのか?」
テニスに興じる理由を尋ねると、山姥と魔女が共同生活した経緯から聞くことになった。
「しかしコンコ、いくら何でも怖がり過ぎだぞ」
「だって、本当に怖かったんだもん……」
山姥は上機嫌にヒィッヒィッヒィッと怪しげな笑い声を上げていた。稲荷狐を怖がらせたのが、自信につながったらしい。
何故、魔女が日本に来たのかを問うと、鷲鼻が口が隠すほどうつむいた。
「西洋では、どこもかしこも魔女狩りをしていてのう……」
「それで逃げてきた、というわけか」
魔女は悲痛に顔を歪めて、身を乗り出した。
「それだけではない! 罪なき者が無茶な裁きを受け、魔女とされて命を落とした。わしがいなくなれば、裁きも無くなると──」
山姥が慰めにと、魔女の背中を優しく撫でた。このふたりは、仲がいいようだ。
これ以上、魔女に喋らせるのは可哀想に思ったのだろう。続きを話したのは、山姥だった。
「わしも山を追われてのう。放浪して流れついたのが横浜じゃ。そこで船を降りて来た魔ぁちゃんに出会ったわけじゃ」
「まぁちゃん?」
「魔女だから魔ぁちゃん。わしは、やっちゃんと呼ばれておる」
お互い住処を追われた老婆同士。意気投合するまでは、あっという間の出来事だったのだろう。
「追って追われる暮らしには、疲れた。ふたりで暮せば寂しくない、特技を活かして細々と日銭を稼ぎ、ゆっくりと余生を過ごそう。そう決めて、この家を借りたわけじゃ」
魔女の特技がチョコレート作り、ということは山姥の特技とは何だろう。
そう考えたリュウの背筋が凍りつき、左手が刀へと伸びていった。
「お前たち、腹は減っておらんか? 西洋料理をこしらえたのじゃ、食っていくか?」
安心して腹が減ったのか、コンコは今すぐ食べたそうな顔をした。
「お腹空いちゃった。何を作ったの?」
山姥は台所の前でピタリと止まり、ゆっくりと顔を向けて不敵な笑みを浮かべた。
「お前たち、肉は好きか?」
リュウはガバッと立ち上がった。テーブル下に隠した刀はいつでも抜ける。
「まさか! 人の肉ではあるまいな!」
「馬鹿を言うな! 人なんかより、牛や豚の方がずっと美味い!」
コンコとリュウは一瞬安堵したが人なんかよりということは、食べたことがあるという意味だ。
ふたりから血の気が引き、青ざめたまま一分も動けなくなってしまった。
台所に引っ込んだ山姥が、包丁を手にこちらを覗き込んできた。
「食うのか? 食わんのか?」
ふたり揃って首をブンブン縦に振り「食べます食べます」と返事をすると、山姥はヒィッヒィッヒィッと嬉しそうに笑っていた。
いちいち不気味だから、心臓に良くない。
山姥が作ったという、シチューという肉の汁物は美味かった。肉の塊は匙で軽く押すだけでホロホロと崩れるので、什器の扱いに慣れていないリュウも、食べやすいと喜んでいる。
チョコレート同様、この界隈でも知る人ぞ知る存在だそうだが、その評判も上々らしい。
「どうして夜中なんかにテニスをしているの?」
「あやかしは陽が落ちてからが本番じゃ。身体を動かさなければ、なまってしまうからのう」
魔女はどうか知らないが、山姥は起伏の激しい山で人を追い回していたから、身体を動かすのが好きなのだ。
このふたりは、このような細々とした暮らしをひっそりと続けていくつもりなのだろうか。料理を通じて近隣と関わっているのだから、本音は人と交流したいのではないか。
そんな疑問が、コンコを突き動かした。
「魔ぁちゃんとやっちゃんは、どう過ごしていきたいの?」
「独りの頃より寂しくないが、作ったものを気に入ってくれた人と、交わっていければのう」
やっぱりそうかと思ったコンコは、シチューをかき込みスクッと立ち上がると、婆さんたちの手を引いた。
「僕たちが力になるよ! 羽根つきみたいな遊びを、僕にも教えて!」
魔女と山姥は驚いた顔を見合わせた後、コンコに優しく笑顔を送った。こういう顔も出来るのかと、リュウは静かに驚いていた。
「ええぞ! お前たちにテニスを教えてやろう。ただし、皿を片付けてからじゃ」
「チョコレートも持って行け、金はいいから付き合ってくれ」
コンコが跳ねるように皿を片付けると、婆さんたちはいそいそとテニスラケットを取り出した。リュウは、この勢いに乗ることが出来ず狼狽えていた。
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