稲荷狐となまくら侍 -明治あやかし捕物帖-

山口 実徳

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東の魔女が死んだ①

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 薩摩藩士が乗馬中の西洋人を殺傷した生麦事件の補償として、安心してピクニック出来る場所が幕府に要求された。
 幕府には遊歩道も公園も理解出来なかったが、領事たちの粘り強い交渉の結果、新政府により明治2年に建設許可が下り、翌明治3年に散策路と洋式公共公園が居留民の手によって完成した。
 これが山手公園だ。

 また近代テニスの成立とほぼ同じ明治9年に、この公園で日本で初めてテニスが行われた。
 この山手公園で、良からぬ噂が立っている。
 夜な夜な、テニスに興じる怪しい老婆が現れるらしい。

 時は明治10年、テニスはまだ日本人に知られていない。当然、コンコもリュウも依頼した高島さえも、そういう遊興があるそうだ、ということしかわからなかった。
 夜回りで公園を訪れてみたが、わけもわからずぼんやりと眺めているだけだ。
「よくわからんが、不気味というだけだろう?」
「よくわからないから、調べる意味があるんじゃないかな」

 どこもかしこも誰も彼もが眠りについた夜の底で、1軒だけ明かりを灯す小さな洋館があることに気が付いた。深夜、遊興にふけるなら、あの家の者であるに違いない。
 コンコとリュウはその家に向かい、扉の金輪を打ちつけた。

 嘲笑のような音を立てながら、扉がゆっくりと開かれた。迎えたのは、全身黒ずくめの服を着た鷲鼻ギョロ目、西洋人の婆さんだ。
「こんな夜更けに、何の用だい?」
 西洋人であるにも関わらず流暢な日本語を話すのに驚かされた。西洋のあやかしは、どういうわけか語学堪能。つまりこの婆さんは、あやかしということだ。
「聞きたいことが「しょくらあと! この辺で、しょくらあとを作っているって聞いたんだ!」
 リュウの正攻法を遮って、コンコが明らかな嘘をついた。こんな遅くに菓子を買い求めるなど、嘘にもほどがある。

 婆さんは息を呑み、目を丸く見開いた。青い瞳がよく見える。やはり嘘だとわかってしまった。
「それは、うちだよ。さぁ、お入り」
 まさかの当たりが信じられず、コンコとリュウはポカンと顔を見合わせた。

 玄関には槍か薙刀のように、竹箒が誇らしげに飾られている。
 壁には毒蛇や毒虫、蝙蝠に牛頭馬頭の絵までが貼られている。
 わずかに開いた扉から小部屋を覗くと、色とりどりの液体が入ったガラス管がズラリと並び、奥の棚には小瓶がギッシリと押し込められている。
 脚に絡みつくものがあって、コンコがヒッ! と悲鳴を上げた。
「おやおや、悪戯はいけないよ? この人らは、お客様だ」
 黒猫だった。コンコは額の冷や汗を拭い、長い長いため息をついた。

 奥の居間に通されると、つば広のとんがり帽子が掛けられていた。
 リュウがハッとした、これは見たことがある。コンコとはじめて会ったとき、この格好に変化していた。
 コンコにチラリと目をやると、緊張した面持ちで、今すぐにでも巫女装束に変化しそうだ。

 婆さんの正体を聞こうとすると、アンヌにもらったものと同じチョコレートが手渡された。
 偶然にも、ここで買ったのか。ならば二口女の騒動、その後のコンコも大変だったが、その原因はこのチョコレートではないかと、リュウは疑念を抱いた。
「お前たちが欲しいのは、これだろう?」
 婆さんは続けてヒェッヒェッヒェッと、身体を歪めて怪しい笑い声を上げていた。
「しょくらあとには、何か入れているの?」

 婆さんは、疑われるとは心外だと仰け反った。
「まさか! 何かを入れるなど考えたこともないわ。むしろ聞きたい、何をどう入れたらいい」
 真面目にチョコレートを作っているような否定の仕方だが、コンコとリュウは疑いを晴らさず、厳しい視線を向けている。
「酒は入れておらぬか? 実は、これを食った者が酔ったのだ」
「入れない入れない! どうやって入れたらいいのか、教えて欲しいくらいじゃ」

 婆さんの正体に感づいたコンコは、感情を押し殺して問い掛けた。
「おまじないは、していないのかな?」
 婆さんは小さくうめくと顔を歪ませ、身体を強張らせて仰け反った。何故わかった! と身体で答えている、わかりやすくて助かる。

 そわそわと手遊びをしながら天井の片隅に目を逸らし、言葉を探して上ずった声で話す婆さんの態度は、本当にわかりやすい。
「そりゃあ、バレンタインのチョコレートには、恋人たちが結ばれるよう祈りながら作っておる、それをまじないとは心外じゃのう」
 やはり、まじないをしながら作ったのだ。そうでなければ、媚薬のようなチョコレートが出来るはずがない。

 コンコがスクッと立ち上がり、婆さんの鷲鼻に人差し指を向けた。婆さんはギクリと固まって、丸くした目で指先を見つめている。
「お婆さん! その正体は、魔女だね!?」

 そのとき、台所を照らすランプが居間に人影を映し出した。
 痩せた身体、ぼさぼさの髪、緩くまとう着物、そして手に握られた包丁。
 コンコもリュウも、その影に思い当たるものがあって戦慄した。
 リュウはテーブルの下で刀に触れて、いつでも抜けるよう体勢を整えた。
 魔女を言い当て自信満々だったコンコは、今は青い顔を引きつらせ、小刻みに震えている。
「お前たち!! 魔女をいじめるなら、食っちまうぞー!!」
「ぎゃあああああああああああああああ!!」
 コンコはひたすら悲鳴を上げていた。
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