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桜の山の満開の下②
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辺りからは音が消えていた。足元は、敵も味方も死体になって入り乱れている。
「これを地獄と言わずして、何と言う」
「何言ってんだ、これが現世なんだぜ」
斬らなければ斬られる、そうして俺はこの地獄絵図を描いたのだ。己の罪深さに、呼吸することさえ許されないように思えてしまう。
永久の眠りついた志士たちに手を合わせ、陣に引き上げることにした。
陣では悲鳴が上がった。
血みどろになった俺たちを目にして、まだ昼だというのに幽霊が来たと勘違いして、逃げ惑う者まであったのだ。
「どうした!? ひどい怪我じゃないか!」
「いや、これは返り血でして、怪我はしておりませぬ」
こんな姿でも落ち着き払った俺たちは、突然水をぶっかけられた。
「それでは怪我か返り血か、わからん! 身体を拭け! それと飯の差し入れがある、後で食え」
顔の水を手で払うと、そこかしこに女がいるのに気が付いた。悲鳴を上げていたのは、彼女たちだった。
流れ弾が飛んでくるほどの近所から、命懸けで支援に来てくれたことに、感謝しかない。
礼を言って握り飯を掴み取ると、女が話し掛けてきた。
「あら、ずいぶんお若いのね」
たっぷり血を浴びながら怪我ひとつない俺が、元服前の小僧というのが信じられないようだ。
さっき、俺たちを叱りつけた男が寄ってきた。今度は怒っていないので、禄郎は安堵して白湯を口にした。
「不忍池の戦況が報じられたが、お前たちはそこから来たのか?」
飯を頬張って、もぐもぐと口を動かす禄郎と目を合わせた。俺が話さなければいけないらしい。
「そちらより参りました」
「ふむ……お前たち、また黒門口に来ては……」
そのとき、破裂音が聞こえた。そちらを見ると土煙が上がっている。
「大砲……?」
「どこからだ!?」
「怪我はないか!?」
手を震わせて湯呑を落とした禄郎が、不忍池の向こうを指差した。
「……本郷から飛んできた……」
「そんな馬鹿な!」
耳を疑う禄郎の証言は、その目が真実だと証明した。確かに、本郷から野太い爆発音が轟いた。黒い弾が姿を見せると、瞬く間に膨れ上がった。
違う! 高速で飛来している!
砲弾が陣に襲いかかった。
爆裂は一角を吹き飛ばし、隊士も女も分け隔てなく立ち上る土煙に乗せた。
次々と放たれる砲弾は、俺たちを取り囲むように炸裂していった。
次は、俺たちの番だ。
「禄郎!! 逃げ……」
握り飯をくれた女が宙を舞った。
その姿を、俺はいつまでも追いかけている。
そうか、俺も吹き飛ばされたのか。
一瞬、崖の上で背中を向ける禄郎を見た。
それでいい、お前は生き残る奴だ。
落下がはじまると、鉢巻に記した俺の戒名が視界に入った。この死に様では相応しくないと、鉢巻を捨てた。
これで俺は、この世でもあの世でも名無しだ。呼びたければ、好きに呼べばいい。
まぁ、死にゆく俺の名を呼ぶ者など……。
「リュウ!!」
一瞬、地獄へ旅立つ俺の手を、小さな手が掴み取った、そんな気が──。
「……コンコ?」
* * *
目を開くと、心配そうに瞳を潤ませるコンコの顔が、視界いっぱいに映った。
身体を起こすとコンコは巫女装束に変化して、すがるように御幣を握っているのに気付かされた。
その脇では、蹴鞠ほどの丸い獣が護符まみれになって、短い足をバタつかせている。
「……何だ? これは」
「獏だよ! こいつがリュウの美味しい夢だけを食べていたんだ」
なるほど、食い残された悪夢ばかりを見せられていた、というわけだ。
獏の全身には、そのうち窒息すると思えるほどに隙間なく、二重三重に護符が貼られていた。
畳に手をつくと弾力のある玉に触れた。取ってみると、ちっとも熱くない炎を上げる稲荷宝珠であり、これが部屋のそこかしこに転がっている。
「これをコンコがやったのか?」
「さぁ! 祝詞を唱えるから、早くとどめを刺して!」
必死なコンコと、もがく獏を見ているうちに、プッと吹き出してしまい、それから笑いが止まらなくなった。
「な、何がおかしいのさ!」
真っ赤な顔をするコンコに、リュウは泣き笑いしながら謝った。こんなに笑ったのは、いつ以来だろう。
「笑ってすまなかった。せっかく早起きしたのだから、獏を封じたら弁当を作って花見に行こう」
元町百段の桜の下を、一番乗りで陣取った。
山手の丘から望む横浜港は、朝日を浴びて黄金色に輝いている。
「美しいな」
「僕たちは、この町を守っているんだよ」
誇らしく胸を張るコンコの視線は、チラチラと弁当箱に向けられた。夜通し獏と戦って、コンコは腹が減っているのだ。
「さて、朝餉とするか! 今日はコンコのお手柄だ、好きなだけ食べるといい」
黄金色の艶を放った弁当箱のおいなりさんは、コンコにとっては横浜港よりも麗しかった。
朝から食べる大好物に、コンコはとろけそうなほど緩んだ表情をしてみせた。
「獏がいい夢だけを食ったと言ったが、コンコは食われた俺の夢を見たのか?」
リュウが些細な疑問をつぶやくと、港を撫でた突風が町を駆け抜け、崖を吹き上がり、満開の桜に襲いかかった。
舞い上げられた桜の花がハラリハラリと落ちていき、ふたりの姿を覆い隠した。
「へへっ……内緒」
リュウの世界は、色を持って塗り替えられた。
「これを地獄と言わずして、何と言う」
「何言ってんだ、これが現世なんだぜ」
斬らなければ斬られる、そうして俺はこの地獄絵図を描いたのだ。己の罪深さに、呼吸することさえ許されないように思えてしまう。
永久の眠りついた志士たちに手を合わせ、陣に引き上げることにした。
陣では悲鳴が上がった。
血みどろになった俺たちを目にして、まだ昼だというのに幽霊が来たと勘違いして、逃げ惑う者まであったのだ。
「どうした!? ひどい怪我じゃないか!」
「いや、これは返り血でして、怪我はしておりませぬ」
こんな姿でも落ち着き払った俺たちは、突然水をぶっかけられた。
「それでは怪我か返り血か、わからん! 身体を拭け! それと飯の差し入れがある、後で食え」
顔の水を手で払うと、そこかしこに女がいるのに気が付いた。悲鳴を上げていたのは、彼女たちだった。
流れ弾が飛んでくるほどの近所から、命懸けで支援に来てくれたことに、感謝しかない。
礼を言って握り飯を掴み取ると、女が話し掛けてきた。
「あら、ずいぶんお若いのね」
たっぷり血を浴びながら怪我ひとつない俺が、元服前の小僧というのが信じられないようだ。
さっき、俺たちを叱りつけた男が寄ってきた。今度は怒っていないので、禄郎は安堵して白湯を口にした。
「不忍池の戦況が報じられたが、お前たちはそこから来たのか?」
飯を頬張って、もぐもぐと口を動かす禄郎と目を合わせた。俺が話さなければいけないらしい。
「そちらより参りました」
「ふむ……お前たち、また黒門口に来ては……」
そのとき、破裂音が聞こえた。そちらを見ると土煙が上がっている。
「大砲……?」
「どこからだ!?」
「怪我はないか!?」
手を震わせて湯呑を落とした禄郎が、不忍池の向こうを指差した。
「……本郷から飛んできた……」
「そんな馬鹿な!」
耳を疑う禄郎の証言は、その目が真実だと証明した。確かに、本郷から野太い爆発音が轟いた。黒い弾が姿を見せると、瞬く間に膨れ上がった。
違う! 高速で飛来している!
砲弾が陣に襲いかかった。
爆裂は一角を吹き飛ばし、隊士も女も分け隔てなく立ち上る土煙に乗せた。
次々と放たれる砲弾は、俺たちを取り囲むように炸裂していった。
次は、俺たちの番だ。
「禄郎!! 逃げ……」
握り飯をくれた女が宙を舞った。
その姿を、俺はいつまでも追いかけている。
そうか、俺も吹き飛ばされたのか。
一瞬、崖の上で背中を向ける禄郎を見た。
それでいい、お前は生き残る奴だ。
落下がはじまると、鉢巻に記した俺の戒名が視界に入った。この死に様では相応しくないと、鉢巻を捨てた。
これで俺は、この世でもあの世でも名無しだ。呼びたければ、好きに呼べばいい。
まぁ、死にゆく俺の名を呼ぶ者など……。
「リュウ!!」
一瞬、地獄へ旅立つ俺の手を、小さな手が掴み取った、そんな気が──。
「……コンコ?」
* * *
目を開くと、心配そうに瞳を潤ませるコンコの顔が、視界いっぱいに映った。
身体を起こすとコンコは巫女装束に変化して、すがるように御幣を握っているのに気付かされた。
その脇では、蹴鞠ほどの丸い獣が護符まみれになって、短い足をバタつかせている。
「……何だ? これは」
「獏だよ! こいつがリュウの美味しい夢だけを食べていたんだ」
なるほど、食い残された悪夢ばかりを見せられていた、というわけだ。
獏の全身には、そのうち窒息すると思えるほどに隙間なく、二重三重に護符が貼られていた。
畳に手をつくと弾力のある玉に触れた。取ってみると、ちっとも熱くない炎を上げる稲荷宝珠であり、これが部屋のそこかしこに転がっている。
「これをコンコがやったのか?」
「さぁ! 祝詞を唱えるから、早くとどめを刺して!」
必死なコンコと、もがく獏を見ているうちに、プッと吹き出してしまい、それから笑いが止まらなくなった。
「な、何がおかしいのさ!」
真っ赤な顔をするコンコに、リュウは泣き笑いしながら謝った。こんなに笑ったのは、いつ以来だろう。
「笑ってすまなかった。せっかく早起きしたのだから、獏を封じたら弁当を作って花見に行こう」
元町百段の桜の下を、一番乗りで陣取った。
山手の丘から望む横浜港は、朝日を浴びて黄金色に輝いている。
「美しいな」
「僕たちは、この町を守っているんだよ」
誇らしく胸を張るコンコの視線は、チラチラと弁当箱に向けられた。夜通し獏と戦って、コンコは腹が減っているのだ。
「さて、朝餉とするか! 今日はコンコのお手柄だ、好きなだけ食べるといい」
黄金色の艶を放った弁当箱のおいなりさんは、コンコにとっては横浜港よりも麗しかった。
朝から食べる大好物に、コンコはとろけそうなほど緩んだ表情をしてみせた。
「獏がいい夢だけを食ったと言ったが、コンコは食われた俺の夢を見たのか?」
リュウが些細な疑問をつぶやくと、港を撫でた突風が町を駆け抜け、崖を吹き上がり、満開の桜に襲いかかった。
舞い上げられた桜の花がハラリハラリと落ちていき、ふたりの姿を覆い隠した。
「へへっ……内緒」
リュウの世界は、色を持って塗り替えられた。
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