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桜の山の満開の下①
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桜の蕾がはち切れそうだよ。
そう言うコンコに、リュウは「そうだな」と形だけの返事をした。
台場で勝に会いコンコは気持ちを揺さぶられたが、リュウの様子が次第におかしくなってきた。どこへ行っても袋小路で、出口が見つからないような顔をしている。
眠りについても安寧は許されないらしく、うなされる声にコンコが目を覚ますことがある。
そうして夜を過ごした末、陽の出ぬうちに目を覚まし、鍛錬すると言い残して家を出ていってしまう。
余計な心配を掛けまいと、まだ寝てろと言ってくるが、それがコンコの悩みの種となる。
一度リュウの後を追ってみたものの、あまりに速く走るものだから、あっという間にその背中を見失ってしまった。
帰ってから朝餉の支度をするリュウに、どこへ行ったのか聞いてみても、ひとまわり走っただけだと返事は曖昧で、コンコの不安は益々募る。
リュウは、今夜もうなされていた。
* * *
慶應4年5月15日。
上野の山を緊張感が覆っていた。
籠城は有利と言うものの、新政府軍との圧倒的戦力差を前にして、この雰囲気に呑まれたら我ら彰義隊の負けだ。
そう思って、雨に濡れた青葉を見上げた。
「上野の桜は、見たことがあるか?」
「あるぜ! まだ餓鬼の時分にな」
隣の禄郎は、満面の笑みで俺の顔を覗き込んできた。すっかり子供の顔ではないかと、笑わずにはいられなかった。
「俺もだ。もしかしたら、会っていたのかもな」
そんなことを言う俺も、子供の顔に戻っているのかも知れない。
懐かしい情景は、五月雨のような銃声で木っ端微塵に砕け散った。音のする方では、真っ赤な霧が吹き上がっている。
「行くぞ、禄郎。銃声の合間に斬り込みだ」
「おう。奴らの銃を奪ってやろうぜ!」
* * *
跳ねるように目覚めたリュウは、頭の中身を払うように髪をかきむしり、刀を掴んで出ていこうとした。
「どこへ行くの……?」
か細く不安そうなコンコの声が、リュウの足にまとわりついた。
「走ってくるだけだ。コンコが起きるには早い、まだ寝ていろ」
「……こんな早くに? ……」
コンコは布団を引き上げて、顔の半分をもぐらせた。
「俺が未熟なせいだ、すまない」
玄関を飛び出すリュウを見るたび、もう帰って来ないのではと想像してしまう。コンコは頭の先まで布団にもぐり、赤子のように身体を丸めた。
* * *
そのうち銃声は金属音へと変わっていた。銃撃隊を払いのけ接近戦になったのか、仲間が銃弾に倒れて前線が破られようとしているのか。
「まず状況が知りたい、こっちに回るぞ」
前線を見下ろす崖に出た。そう高くないので、見つからないよう伏せて観察してみる。こちらの防御は手薄なのか、拮抗している様子である。
交わされる刃の下で、赤い霧を吹いた仲間たちが力なく横たわっている。
崖の下では銃撃隊が弾込めだか銃の手入れだかをしつつ、ひと息ついていた。
よく見てみると新型銃で、扱いに慣れていないのか手間取っている姿も散見される。
「ここは俺ひとりで行く。来れそうなら、後から来てくれ」
「馬鹿! お前、死ぬ気か!?」
とっくに死んだ俺に構うな、記憶に留めるならこの顔で、と別離のつもりで笑みを送った。
鉢巻を絞め直すと、禄郎が絶句した。
額には梵字の阿、後ろに垂れる部分には念仏と俺の戒名が書いてある。
「卒塔婆じゃないか……」
俺は、もう一度笑った。
今度は別離の挨拶ではない。目を泳がせる禄郎が、何ともおかしかったのだ。
「お前こそ、俺についていくと死ぬぞ。頃合いを見て来ればいい」
俺は刀を抜いて、宙に飛び上がった。
* * *
そっと開けられた扉の音で目が覚めた。今日もリュウの背中を見送るのだ。押し潰されそうな胸の苦しさに、コンコは身体をキュッと縮めた。
「リュウ……」
「また起こしてしまったか、すまない」
真っ暗闇の中なのにリュウの優しい目が微かに見えて、切なくなったコンコは身をよじった。
「お花見……」
「……ん?」
「お花見、行こうね」
リュウはふんわり笑うと、宵闇の中へ駆け出していった。
* * *
狙いどおり銃撃隊の中央に着地した。
悲鳴を上げる歩兵たちを、横一閃に刀を振って黙らせた。
ガチガチと歯を鳴らす歩兵は、唐竹割で震えを止めた。
慌てふためき銃を撃ち、同士討ちをする歩兵の戦いは、銃を斬り離して終わらせた。
残る歩兵たちは銃にすがり、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「待たせたな。まったくお前って奴は、一分の隙もありゃしないんだから」
呆れたように憎まれ口を叩きつつ、禄郎が崖を滑り降りてきた。
「いや、頃合いだ。しかし禄郎、斬りすぎたから俺の刀は、もうダメだ」
「刀? あそこに、わんさかあるじゃないか」
構えた刀を震わせる兵士たちに、俺たちは別離の笑顔を送ってやった。
* * *
起き上がったリュウは、荒い息を吐いていた。
コンコが心配して、葉を食む芋虫のように寄り添ってきたが、目を見開いたまま動けずにいる。
しばらくして動悸が収まり、呼吸も整ってきたので、コンコが声を掛けようとした。
が、リュウは刀を手に取って、おぼつかない足取りで玄関へと向かった。
「リュウ! 今日はやめておきなよ!」
「すまぬ、欠かしたくないのだ」
ピシャリと閉じられた玄関が、コンコにとっては越えられない壁にしか見えなかった。
心を閉ざしてしまったリュウに、僕は何をしてあげられるだろう……。
そう言うコンコに、リュウは「そうだな」と形だけの返事をした。
台場で勝に会いコンコは気持ちを揺さぶられたが、リュウの様子が次第におかしくなってきた。どこへ行っても袋小路で、出口が見つからないような顔をしている。
眠りについても安寧は許されないらしく、うなされる声にコンコが目を覚ますことがある。
そうして夜を過ごした末、陽の出ぬうちに目を覚まし、鍛錬すると言い残して家を出ていってしまう。
余計な心配を掛けまいと、まだ寝てろと言ってくるが、それがコンコの悩みの種となる。
一度リュウの後を追ってみたものの、あまりに速く走るものだから、あっという間にその背中を見失ってしまった。
帰ってから朝餉の支度をするリュウに、どこへ行ったのか聞いてみても、ひとまわり走っただけだと返事は曖昧で、コンコの不安は益々募る。
リュウは、今夜もうなされていた。
* * *
慶應4年5月15日。
上野の山を緊張感が覆っていた。
籠城は有利と言うものの、新政府軍との圧倒的戦力差を前にして、この雰囲気に呑まれたら我ら彰義隊の負けだ。
そう思って、雨に濡れた青葉を見上げた。
「上野の桜は、見たことがあるか?」
「あるぜ! まだ餓鬼の時分にな」
隣の禄郎は、満面の笑みで俺の顔を覗き込んできた。すっかり子供の顔ではないかと、笑わずにはいられなかった。
「俺もだ。もしかしたら、会っていたのかもな」
そんなことを言う俺も、子供の顔に戻っているのかも知れない。
懐かしい情景は、五月雨のような銃声で木っ端微塵に砕け散った。音のする方では、真っ赤な霧が吹き上がっている。
「行くぞ、禄郎。銃声の合間に斬り込みだ」
「おう。奴らの銃を奪ってやろうぜ!」
* * *
跳ねるように目覚めたリュウは、頭の中身を払うように髪をかきむしり、刀を掴んで出ていこうとした。
「どこへ行くの……?」
か細く不安そうなコンコの声が、リュウの足にまとわりついた。
「走ってくるだけだ。コンコが起きるには早い、まだ寝ていろ」
「……こんな早くに? ……」
コンコは布団を引き上げて、顔の半分をもぐらせた。
「俺が未熟なせいだ、すまない」
玄関を飛び出すリュウを見るたび、もう帰って来ないのではと想像してしまう。コンコは頭の先まで布団にもぐり、赤子のように身体を丸めた。
* * *
そのうち銃声は金属音へと変わっていた。銃撃隊を払いのけ接近戦になったのか、仲間が銃弾に倒れて前線が破られようとしているのか。
「まず状況が知りたい、こっちに回るぞ」
前線を見下ろす崖に出た。そう高くないので、見つからないよう伏せて観察してみる。こちらの防御は手薄なのか、拮抗している様子である。
交わされる刃の下で、赤い霧を吹いた仲間たちが力なく横たわっている。
崖の下では銃撃隊が弾込めだか銃の手入れだかをしつつ、ひと息ついていた。
よく見てみると新型銃で、扱いに慣れていないのか手間取っている姿も散見される。
「ここは俺ひとりで行く。来れそうなら、後から来てくれ」
「馬鹿! お前、死ぬ気か!?」
とっくに死んだ俺に構うな、記憶に留めるならこの顔で、と別離のつもりで笑みを送った。
鉢巻を絞め直すと、禄郎が絶句した。
額には梵字の阿、後ろに垂れる部分には念仏と俺の戒名が書いてある。
「卒塔婆じゃないか……」
俺は、もう一度笑った。
今度は別離の挨拶ではない。目を泳がせる禄郎が、何ともおかしかったのだ。
「お前こそ、俺についていくと死ぬぞ。頃合いを見て来ればいい」
俺は刀を抜いて、宙に飛び上がった。
* * *
そっと開けられた扉の音で目が覚めた。今日もリュウの背中を見送るのだ。押し潰されそうな胸の苦しさに、コンコは身体をキュッと縮めた。
「リュウ……」
「また起こしてしまったか、すまない」
真っ暗闇の中なのにリュウの優しい目が微かに見えて、切なくなったコンコは身をよじった。
「お花見……」
「……ん?」
「お花見、行こうね」
リュウはふんわり笑うと、宵闇の中へ駆け出していった。
* * *
狙いどおり銃撃隊の中央に着地した。
悲鳴を上げる歩兵たちを、横一閃に刀を振って黙らせた。
ガチガチと歯を鳴らす歩兵は、唐竹割で震えを止めた。
慌てふためき銃を撃ち、同士討ちをする歩兵の戦いは、銃を斬り離して終わらせた。
残る歩兵たちは銃にすがり、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「待たせたな。まったくお前って奴は、一分の隙もありゃしないんだから」
呆れたように憎まれ口を叩きつつ、禄郎が崖を滑り降りてきた。
「いや、頃合いだ。しかし禄郎、斬りすぎたから俺の刀は、もうダメだ」
「刀? あそこに、わんさかあるじゃないか」
構えた刀を震わせる兵士たちに、俺たちは別離の笑顔を送ってやった。
* * *
起き上がったリュウは、荒い息を吐いていた。
コンコが心配して、葉を食む芋虫のように寄り添ってきたが、目を見開いたまま動けずにいる。
しばらくして動悸が収まり、呼吸も整ってきたので、コンコが声を掛けようとした。
が、リュウは刀を手に取って、おぼつかない足取りで玄関へと向かった。
「リュウ! 今日はやめておきなよ!」
「すまぬ、欠かしたくないのだ」
ピシャリと閉じられた玄関が、コンコにとっては越えられない壁にしか見えなかった。
心を閉ざしてしまったリュウに、僕は何をしてあげられるだろう……。
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