稲荷狐となまくら侍 -明治あやかし捕物帖-

山口 実徳

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花と蛇①

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 高島からの依頼はその人脈から要人や領事館、そして新政府に関わるものになりがちだ。元彰義隊士で身を隠し続けたリュウにとっては、あまり好ましくない仕事である。
「あやかしが現れるのは、どこなの?」
「神奈川台場だよ。ここからすぐの場所だ」
 神奈川宿本陣辺りから、海に浮かぶように突き出た砲台だ。ふたつの細い堤で陸地とつながっており、間は船溜まりとなっている。

 神奈川台場は、海軍の管轄である。
 横須賀のあやかし退治でドライドックを使った恨みを買っているから、リュウの表情もつい固くなってしまう。
「それで、どんなあやかしなのかな?」
「大鰻が出るそうだ」
「江戸前だから穴子かもね」
 コンコの冗談に、救われた気がして笑みがこぼれた。

 しかし高島の顔は強張って、叩くような勢いで机に手をついた。唇を噛み身体を前のめりにした姿は、まるで懇願しているようだ。
「リュウさん! 海軍の依頼だから断れなかったが、良くない卦が出ているんだ! あなたの身に何か起こるかも知れない。遠慮なく断ってくれていい!」

 コンコとリュウは丸く開いた目を合わせると、ふたり揃って深くうなずいて、自信に満ちた笑みを高島に見せつけた。
 コンコとリュウにとって魂である妖刀を遣い、横浜を脅かすあやかしを退治するのが、ふたりの務めだという強い意志が、何よりも勝っていた。
「心遣いには感謝するが、引き受けよう」
「大丈夫だって! リュウは僕が守るから!」
「コンコが俺を?」
「リュウはいつも無茶ばかりするんだから」
 ふたりの責任感と朗らかなやり取りを前にしても、高島の心配は晴れることがなかった。

 その日の夜、神奈川台場。
 海に突き出た人工島が松明たいまつに照らされて、ぼんやりと浮かび上がっている。
 高島の遣いと申し出ると、衛兵は門をすんなり開けた。横須賀のときとは、だいぶ違う。

 長い堤を歩いて台場に渡る。
 函館五稜郭を半分に切ったような蝙蝠形の台場では、何門もの大砲が真っ暗な海面をじっと睨みつけていた。
 やはり横須賀のときとは、だいぶ違う。台場の中央に案内されるなり、四方八方から兵士が姿を現した。

 囲まれた!!

 リュウが刀に手を掛けると、コンコがピタリと身体を寄せて、固く身構えた。ここは人目につかない海軍の島、人ひとりを闇や波間に隠すなど、容易いことに違いない。
 兵士たちが躊躇なく抜いたサーベルが、松明の明かりに浮かび上がる。
「横須賀が、ずいぶん世話になったそうだな」
 皮肉しかない礼に続いて、兵士たちから怒号をこれでもかと浴びせられた。
「海軍を馬鹿にしおって!」
「ドライドックを何だと思っている!」
「この死にぞこないが!」
 この一言で、雄叫びはピタリと止んだ。リュウが元彰義隊士ということも伝わっていたのだ。

 ひとりの男が、獲物を狙う肉食獣にも似たゆっくりとした足取りで歩み寄ってきた。今にも牙を剥きそうな薄い笑いを浮かべている。
「俺のことを覚えておらんか?」
「さあな、暗くて見えん」
「そうか。だが我々は10年、貴様のことを忘れておらぬ」

 炎に染まる切っ先が向けられると、リュウは柄を強く握って身を屈め、コンコは食いしばった歯を開き、張り裂けんばかりに啖呵を切った。
「こんな大勢でなます斬りなんて、卑怯だぞ!!」
「お稲荷さんの言うとおりだ!」

 台場の船溜まり側に建つ番所から、ひとりの男が飄々と歩いてきた。その風貌から50代半ば、といったところだろうか。
 スッと通った鼻筋、真っ直ぐに生えた太い眉、落ち窪んでギョロリとした垂れ目、一度目にしたら忘れない顔立ちの男である。
 コンコの隣で立ち止まり、ニカッと笑いかけると兵士たちが腰だけを曲げて頭を下げた。
 コンコは釣られて、ニヘッと笑っている。
「すまねぇな、俺があやかし退治の依頼主だ」
「海軍のお願いじゃなかったんだ」

 コンコを稲荷狐と見抜いた男は、立て板に水を流すように、つらつらと喋りだした。
「まったく、こいつらには参っちまうぜ。今更、俺に頼ってきた癖に、あやかしじゃねぇかっつったら違ぇと言いやがる。しょうがねぇから、つてを使って俺が頼んだってぇわけよ」

 こてこての江戸訛りな上、よく喋るものだからコンコは圧倒されていた。
 寡黙なリュウとは真逆である。
「おじさん、海軍の人じゃないの?」
「昔はいたんだぜ。この台場の形を考えたのは俺なんだ、凄えだろ? 近頃はつまんねぇから辞めちまったけどな」

 リュウは、この男に思い当たる名前があって、眉を寄せずにはいられない。
 疑念を晴らしたのは、コンコだった。
「おじさん、誰なの?」
「勝安芳あんほうだ、宜しくな」
 通称は麟太郎、いみなは義邦、幕臣としての官位は安房守あわのかみ、号は海舟。
 大政奉還で安房守が使えなくなったので、今は音を似せた安芳を名乗っている。
 高島の言っていた意味が、今わかった。
 徳川の世を終焉に導いた男の依頼だったのだ。

 勝はリュウをチラリと見ると、誰ということもなく兵士たちに呼びかけた。
「あやかしが出るまで、ふたりと打ち合わせだ! 番所を借りるぜ! 出てきたら教えてくんな!」
 自分の家か庭のように、コンコとリュウを番所へと案内した。
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