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白鯨②
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サーベルはリュウを嘲笑うように、微かに揺れている。なまくらは士官に睨みを利かせるようにシンと静止して、浅く長い呼吸をしていた。
「吹き飛ばされて逃げたくとも、アームストロング砲はここまで届かんぞ」
「逃げたのは、そっちじゃないのか?」
瞬間、刃が交わされた。強く押し込まれたサーベルが、恥辱に打ち震えた。
「あれは退却命令だ! 貴様らを砲弾で吹っ飛ばすためのな!」
「それまでに斬れなかった己を恨め」
お互いパッと離れ、間合いを取った。
「貴様の一物、なまくらか!!」
「当然だ、廃刀令を知らんのか」
この腰抜けめ! 士官が雄叫びを上げた。
襲いかかるサーベルを、なまくらが受けた。
「9年も経って、何故俺を斬ろうとする」
「馬鹿め、10年経っておらんのだぞ。貴様に我々新政府軍が、どれだけ苦しめられたのか知らんのか!!」
お互いの刃に力がこもり、額はぶつかりそうなほど迫っていた。
刀だけで戦っているのではない。
交わしているのは、刃だけではない。
相手を斬るのは、刀だけではないのだ。
再び間合いがとられると、士官は恨み言を語りだした。
「武士の世は終わりと思い、新政府軍についた。武士の世にすがる者が上野に集っていると聞き、斬り捨てて時代の幕を開けなければと向かった」
サーベルは横に低く構えられた。リュウも呼応するように刃を下げた。
「するとどうだ、まだ侍がいるではないか。元服前の小僧がな!!」
士官は身を屈めて、リュウの懐を目掛けて駆け出した。艦船の舳先のように突き出された帽章に切っ先を向ける。士官は紙一重のところでピタリと止まり、更に一段低く構えた。
下段から振り上げられた刀は、既のところで受け止められた。
二振りが夜空を突く。
さあ、次の斬撃だ。
そう考えた分だけ、士官の方が遅かった。
リュウのなまくらが士官を袈裟懸けにすると、階級章も勲章も真っ二つに斬り捨てられた。
物陰から窺っていたコンコが駆け寄り、リュウに抱きついた。
「もう……心配させないでよ……」
「何だ、コンコまで水兵の格好をして」
「へへっ似合う? こんなに可愛い服だったら、女の子も着ればいいのに。そう思わない? それにこれ、便利なんだよ。襟をこうして立てると音が……」
肩に垂れていた襟をつまんで後頭部にピッタリつけると、湾内をゆっくりと見渡しはじめた。
しばらくするとピタリと止まり、クワッと目を見開いた。
「来る!」
狭い湾の中央に水柱が立った。
そのすべてが落ち切ると、係留している艦船が波より先に激しく揺れて、互いの船体をぶつけ合った。
海面にぼんやりとした白い影が浮かび上がり、それが舐めるようにゆっくりと湾内を一巡した。
中央に戻ってくると、破裂するような水飛沫が跳ね上がり、傷だらけの白い尾鰭が現れた。
鯨……?
係留された艦船が慌ただしくなった。水兵たちが甲板を駆け回り、それぞれが大砲の元へと向かった。
それから間もなく爆音を伴い、砲弾が水面へと打ち込まれた。確かに当たったようだが、白鯨はびくともせず悠々と泳いだままである。
白鯨の背中から、勢いよく潮が吹いた。
いや、吹いたのは潮だけではない。
打ち込まれた砲弾も一緒に放たれて、操舵室の屋根を剥ぎ取った。操舵室内も甲板も、潮でずぶ濡れである。
ざわつく海面を尾鰭が叩き、混乱する水兵たちに飛沫を浴びせた。再び尾鰭が立ち上がり、艦船からの悲鳴が響くと、白鯨は何をするということもなく、トプンと深くへ沈んでいった。
「迷い鯨が暴れておる。銛も銃も、あのとおり大砲さえ効かんのだ」
「あんなもの、あやかしの類に決まっておろう」
「そんな! 非科学的なものがいるか!」
士官の雄叫びは、怒りではない。困惑だ。
「その目で見ただろう、それは何と説明する」
「文明開化したくらいで、あやかしはいなくならないよ。むしろ、物珍しさに集まっているくらいなんだ」
ついに士官は、何も言えなくなってしまった。
翌朝、昨日まで修理していたものと入れ替わるように、1隻の軍艦がドックに収められた。剥がされた操舵室の屋根や、側面についた大きな傷が痛々しい。沈まなかったことだけが不幸中の幸いであった。
ドックの排水を観察しているコンコとリュウの元へ、士官がよろよろとやって来た。
「昨日は大変な失礼をしてしまった。どうか我々海軍に、力を貸して欲しい。鯨1匹に国の存亡を脅かされるなど、あってはならんのだ」
「俺たちは漁師ではない。あやかしでなければ、退治できぬ」
非科学と現実の狭間に挟まれて、士官は握った拳を震わせた。
「宜しく頼む」
ついに観念した士官は、悔しさに歪む顔を見せないように深く深く頭を下げた。
コンコとリュウは、目線を合わせた。
わかってくれれば、それでいい。
お互いそれで納得したので、自身に満ちた顔を士官に見せつけた。
「もちろんだよ! 僕たちは、そのために来たんだから!」
「ただ相手が大きすぎる。海軍の協力を願いたいが、よいか」
「退治できるならば、何なりと……」
「何なりと、そう言ったな?」
リュウがニヤリと不敵な笑みを浮かべたので、不味いことを言ってしまったのかも知れないと、士官は血の気が引いて真っ青になった。この侍、とんでもない策に出るのは間違いない。
リュウの頼みに耳を傾けて、一体何をするのだと、止まない動悸に苦しめられた。
「吹き飛ばされて逃げたくとも、アームストロング砲はここまで届かんぞ」
「逃げたのは、そっちじゃないのか?」
瞬間、刃が交わされた。強く押し込まれたサーベルが、恥辱に打ち震えた。
「あれは退却命令だ! 貴様らを砲弾で吹っ飛ばすためのな!」
「それまでに斬れなかった己を恨め」
お互いパッと離れ、間合いを取った。
「貴様の一物、なまくらか!!」
「当然だ、廃刀令を知らんのか」
この腰抜けめ! 士官が雄叫びを上げた。
襲いかかるサーベルを、なまくらが受けた。
「9年も経って、何故俺を斬ろうとする」
「馬鹿め、10年経っておらんのだぞ。貴様に我々新政府軍が、どれだけ苦しめられたのか知らんのか!!」
お互いの刃に力がこもり、額はぶつかりそうなほど迫っていた。
刀だけで戦っているのではない。
交わしているのは、刃だけではない。
相手を斬るのは、刀だけではないのだ。
再び間合いがとられると、士官は恨み言を語りだした。
「武士の世は終わりと思い、新政府軍についた。武士の世にすがる者が上野に集っていると聞き、斬り捨てて時代の幕を開けなければと向かった」
サーベルは横に低く構えられた。リュウも呼応するように刃を下げた。
「するとどうだ、まだ侍がいるではないか。元服前の小僧がな!!」
士官は身を屈めて、リュウの懐を目掛けて駆け出した。艦船の舳先のように突き出された帽章に切っ先を向ける。士官は紙一重のところでピタリと止まり、更に一段低く構えた。
下段から振り上げられた刀は、既のところで受け止められた。
二振りが夜空を突く。
さあ、次の斬撃だ。
そう考えた分だけ、士官の方が遅かった。
リュウのなまくらが士官を袈裟懸けにすると、階級章も勲章も真っ二つに斬り捨てられた。
物陰から窺っていたコンコが駆け寄り、リュウに抱きついた。
「もう……心配させないでよ……」
「何だ、コンコまで水兵の格好をして」
「へへっ似合う? こんなに可愛い服だったら、女の子も着ればいいのに。そう思わない? それにこれ、便利なんだよ。襟をこうして立てると音が……」
肩に垂れていた襟をつまんで後頭部にピッタリつけると、湾内をゆっくりと見渡しはじめた。
しばらくするとピタリと止まり、クワッと目を見開いた。
「来る!」
狭い湾の中央に水柱が立った。
そのすべてが落ち切ると、係留している艦船が波より先に激しく揺れて、互いの船体をぶつけ合った。
海面にぼんやりとした白い影が浮かび上がり、それが舐めるようにゆっくりと湾内を一巡した。
中央に戻ってくると、破裂するような水飛沫が跳ね上がり、傷だらけの白い尾鰭が現れた。
鯨……?
係留された艦船が慌ただしくなった。水兵たちが甲板を駆け回り、それぞれが大砲の元へと向かった。
それから間もなく爆音を伴い、砲弾が水面へと打ち込まれた。確かに当たったようだが、白鯨はびくともせず悠々と泳いだままである。
白鯨の背中から、勢いよく潮が吹いた。
いや、吹いたのは潮だけではない。
打ち込まれた砲弾も一緒に放たれて、操舵室の屋根を剥ぎ取った。操舵室内も甲板も、潮でずぶ濡れである。
ざわつく海面を尾鰭が叩き、混乱する水兵たちに飛沫を浴びせた。再び尾鰭が立ち上がり、艦船からの悲鳴が響くと、白鯨は何をするということもなく、トプンと深くへ沈んでいった。
「迷い鯨が暴れておる。銛も銃も、あのとおり大砲さえ効かんのだ」
「あんなもの、あやかしの類に決まっておろう」
「そんな! 非科学的なものがいるか!」
士官の雄叫びは、怒りではない。困惑だ。
「その目で見ただろう、それは何と説明する」
「文明開化したくらいで、あやかしはいなくならないよ。むしろ、物珍しさに集まっているくらいなんだ」
ついに士官は、何も言えなくなってしまった。
翌朝、昨日まで修理していたものと入れ替わるように、1隻の軍艦がドックに収められた。剥がされた操舵室の屋根や、側面についた大きな傷が痛々しい。沈まなかったことだけが不幸中の幸いであった。
ドックの排水を観察しているコンコとリュウの元へ、士官がよろよろとやって来た。
「昨日は大変な失礼をしてしまった。どうか我々海軍に、力を貸して欲しい。鯨1匹に国の存亡を脅かされるなど、あってはならんのだ」
「俺たちは漁師ではない。あやかしでなければ、退治できぬ」
非科学と現実の狭間に挟まれて、士官は握った拳を震わせた。
「宜しく頼む」
ついに観念した士官は、悔しさに歪む顔を見せないように深く深く頭を下げた。
コンコとリュウは、目線を合わせた。
わかってくれれば、それでいい。
お互いそれで納得したので、自身に満ちた顔を士官に見せつけた。
「もちろんだよ! 僕たちは、そのために来たんだから!」
「ただ相手が大きすぎる。海軍の協力を願いたいが、よいか」
「退治できるならば、何なりと……」
「何なりと、そう言ったな?」
リュウがニヤリと不敵な笑みを浮かべたので、不味いことを言ってしまったのかも知れないと、士官は血の気が引いて真っ青になった。この侍、とんでもない策に出るのは間違いない。
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