稲荷狐となまくら侍 -明治あやかし捕物帖-

山口 実徳

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人魚姫①

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 港のはしけが潰された。
 そう教えてくれたのは、甲斐から塩を買い求めにやって来た水虎だった。
 コンコとリュウが港へ向かってみると、蒸気船が舳先へさきを岸壁に向けて留まっており、その周りでは艀の残骸が虚しく漂っていた。接岸を試みたのか、いかりを下ろさず流されたのか、そのようにして艀を押し潰したのだろう。
 舳先を飾る女神の彫像が、今は憎らしい。

 横浜港は、大型船が接岸できなかった。
 蒸気船は沖に係留され、港との人や荷物の輸送は艀が担う。木の葉のような小さな舟だが、日本と世界を結ぶ架け橋なのだ。
 大型船が接岸できるようになるのは明治27年の鉄桟橋、今で言う大さん橋完成まで待たなければならない。今は明治9年だから、まだ先だ。

 警官と話をする船長は、ほとほと参った様子である。
 よく見ると蒸気船は錨を下ろしていたが、船尾へと流れて海に沈んでいる。艀に当たってから下ろしたわけではなく、下ろしていたが流されたのだ。
 かなり大きな力が掛けられて、蒸気船が進んでしまったようだ。
 これは、あやかしの仕業かも知れない。

 早速その夜、コンコとリュウは港を見回りしたが、そこで妙な女に出会った。
 岸壁に腰掛け、海を月をぼんやり眺めていた。こちらに背中を向けており、夜風になびく洗い髪が月明かりを浴びて、蒼く艷やかに輝いている。何かひどい目に遭ったのだろうか、胸を布で隠しているほかは裸だった。露わになった白い肌は、陶磁器のような美しさだ。
 何より目を引いたのは、腰より下が魚になっていたことだった。

 言うなれば人魚だろうが、コンコが知る人魚といえば般若の顔をした魚、頭が魚の八百比丘尼やおびくに。はじめて見る姿、その美しさに言葉を失っていると人魚が振り返り、声を掛けてきた。

 吸い込まれそうな青い瞳、スッと通った鼻筋、小さな唇、少し幼さが残る顔立ちに息を呑んだ。
「あなたたち、誰?」
 見た目によく似合う、小鳥のさえずりのような高く澄んだ声である。
「僕はコンコ、こっちはリュウ。君は?」
「私は人魚姫、遠くの海から連れられて来たの」
 見たままの名前だった。しかし連れて来られたとは、穏やかではない。

 詳しく話を聞こうとしたが、また人魚姫から話がはじまった。
「私が暮らした遠くの海は、それはそれは綺麗なところ。色とりどりの魚たち、珊瑚や真珠に飾られた、とっても素敵なお城にいたの」
 なるほど姫を自称するのだから海の城にいたのかと、コンコはうなずいていた。
 一方リュウは、人魚姫の芝居がかった調子に眉を寄せた。

 そんなことを気にすることなく話が続く。
「海岸そばまで泳いできたら、私を捕える悪い人たち。私の肉が目当てなの、不老長寿の薬になるぞ、高く売れるぞヒェッヒェッヒェ」
 何てひどいことを! とコンコは憤っていた。
 リュウもそう思うと同時に、普通に喋れないのか、わざわざ悪い顔まで作ってと閉口していた。

 悪人面から、悲愴感をたっぷり込めた顔へと変わる人魚姫。話が止まる様子はない。
「艀に乗った隙を狙って、私は海に飛び込んだ。悪い人が諦めるまで、息をひそめる海の底。顔を出したら知らない景色。ああっ! ここは何という港町なの!?」
 救いを求めるように月に手を伸ばす人魚姫に、コンコは「横浜だよ」と教えたが無視され、少しムッとしていた。この状況に水を差す方が悪い。

 人魚姫が胸にそっと手を当て、微笑んだ。場面の転換である。
「そんなとき、私に王子様が現れたの。優しく手を差し伸べて、横浜のことを教えてくれた。ここには世界から船が来る、帰れる船を待てばいい。王子様はそう仰って、名前も言わず立ち去った」
 これは恋をしているんだと、ひと目でわかる。コンコは乙女の顔で瞳を輝かせているが、リュウは芝居がかった調子が続いてうんざりしている。

「君を救った王子様、一体どんなお方なの?」
 コンコまでも台詞のような言葉遣いをすると、人魚姫は頬を染めてから、ゆっくり語りだした。こういう話し方がいいらしい。
「凛々しくも愛嬌のある眼差し、どんなときにも揺るがない強い心をお持ちで、頼れば必ず応えて頂ける優しいお方……」
 人魚姫は胸の前で両手を組んで、瞳を潤ませ月を見上げた。今夜は満月、きっとそこに王子様を映しているのだろう。

 人魚姫は、急に神妙な顔になった。再びの場面転換だ、佳境であって欲しいとリュウは望んだ。
「故郷に帰る船に乗っても、売られてしまうかも知れない。帰れないならこの国で、生きてこうと決めました」
 突然、ガバっと両手を上げた。救いではない、それは苦痛に歪んでいるようである。リュウも、苦痛でならない様子だ。
「もう一度お逢いしたい、ひと言でいい、お礼を言わせて! 私の王子様!!」

 これで終わりだろうと思い、リュウは人魚姫に声を掛けた。
「しかし、その身体では王子とやらについていくのは無理だろう。人力車にでも乗っていくのか」
 すると人魚姫は、胸元から小瓶を取り出した。
「魔女にもらったこの薬、声を失い脚を得ます。薬を飲んでも愛されなければ、泡となって消える運命……。私は悲しい人魚姫、ああ!! 何と残酷なのでしょう!」
 問いに応えてくれたが、台詞のような話し方はやめられないらしい。

 人魚姫は真顔になった、今度は何がはじまるのだろう。
「地上の星とは あなたのことです
 私だけの王子様 
 ふたりで歩む脚を得るのか
 この歌声と引き換えに
 さあ、想いを込めて歌います。人魚姫で
『異種族間でも好きなものは好きなんだけど脚を得たのに声を失って愛を告げられず振られて泡と消えるのは嫌だから今の私を愛して欲しい。でも一緒に歩けないのも嫌で何とかしたいのに人魚姫ざまあwwwなんて言わないで欲しい件』」
 歌の題名なのか説明なのかわからないが、それだけ言えば十分じゃないか、と思ってしまう。

 とにかく、人魚姫は歌うらしい。
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