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月に吠える①
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買い物に来た青物屋で、前掛けをつけた禄郎に会った。何とか仕事が見つかったことに、コンコもリュウもホッと安堵していた。
「良かったね、禄郎さん」
「なかなか様になっているではないか」
「頑張って稼いで店を持って、今にお前を表舞台に引き出してやるよ」
「何を言うか……。それで、今日は何がある」
「今日は南瓜がいい、甘いぞ。ひとつどうだ?」
これは確かに良いものだと買って帰ろうとしたところ、大きなあくびを禄郎がかいた。
「みっともないぞ、ここは店先だ」
「いや、すまん。まだ慣れていないせいか、このところ寝ても疲れが取れなくてな」
「昨日、遠吠えがうるさかったもんね。禄郎さんの家、近かったんじゃないの?」
目をこすり、頬を叩いて眠気を払った禄郎は、はてな? と首を傾げた。
「そうなのか? いや、知らんなぁ。それより、困っていることがあってだな」
今度はこちらの仕事かと、コンコが前のめりになり目を見開いた。
あれだ、と禄郎が指差した向かいの壁に、痛々しい引っかき傷がつけられていた。手の平ほどの長さが4本、触れてみると案外深い。
「うわっ、ひどい。熊かなぁ」
「あちこちにあるんだ。ほら、そこにも」
「ここに熊は出んだろう。しかし獣の仕業だな」
そう言いながら、コンコとリュウはチラリと目を合わせた。
あやかしの仕業に違いない。
ということで、早速の夜警である。
陽のあるうちは賑やかな界隈だが、夜ともなれば人気はなく、辺りの人々も寝静まっている。
「コンコはどう見る?」
「爪がつけた傷は、立っていないとつけられない高さだったよね? だから熊によく似たあやかしじゃないかな?」
熊のあやかしなど、いるのだろうか。コンコに思い当たる節はないらしい。もしや、北海道から来たというのか。
すると見慣れた顔が、珍しい顔をしてノロノロと歩いて来た。
禄郎だ。
朝早い商売なのに、こんな遅くにどうしたのかと声を掛けようとしたが、落ち窪んだ虚ろな目、力なくポカンと開いた口、重だるく丸まった背中に躊躇ってしまった。
気の病かと思い、恐る恐る名前を呼ぶがピクリとも反応せず、ふたりの前を漂うように通り過ぎていく。
急に立ち止まると夜空を仰ぎ、月を見つめた。
すると突然、身体を歪めて頭を抱え、苦しそうにうめき声を上げだした。
「禄郎!」
「禄郎さん!」
そばに寄ろうとしたところで禄郎の身体に目を疑うような異変が起こり、コンコはおろかリュウでさえも、凍りついたように足が止まった。
手を、顔を、ついには全身を灰色の毛がみっしりと包み、指が縮むと鋭い鉤爪が生え、鼻が伸び口から何本もの牙が覗き、頭の上には三角形の耳が生えた。
変化が終わると、それを知らしめるように夜空に向かって遠吠えを上げた。
狼だ、人の形をした狼だ。
町中の傷も遠吠えも、禄郎の仕業だったのだ。
リュウは刀に手を掛けたが、コンコは戸惑い、躊躇っていた。
「コンコ、祝詞だ」
「でも、そうしたら禄郎さんが……」
「これは憑き物だろう。祝詞を唱えれば禄郎からあやかしが浮き出るはずだ」
と、策を練っていると禄郎が消えた。
どこへ行ったのかと辺りを見回すと、投網の端が足元をズルズルと這っており、そのうち建物の隙間に吸い込まれた。
浜で使うはずの投網が、何故か陸を這っていたことに、ふたりは呆気に取られてしまった。
「……何これ?」
「わからん、禄郎を捕らえたのかも知れぬ。とりあえず追うぞ」
投網が消えた先を覗くと、禄郎の唸り声が聞こえてきた。やはり、捕らえられたのは間違いないらしい。
こうなると、禄郎の身が心配だ。あやかしの姿だからと痛めつけられ、禄郎自身が大怪我をしてしまうかも知れない。
投網の端を追い掛けた先は、裏の民家だった。
その窓から、家の中で蝋燭が灯されていることがわかる。行灯ではなく、蝋燭だ。何やら、儀式めいたものを感じずにはいられない。
「禄郎さん、大丈夫かな……」
「うむ……中に入る他なかろう」
意を決して玄関扉に手を掛けると、中から勢いよく開けられた。
そこには経文を書いた襷を首から下げた婆さんが立っており、品定めをするような目で、上から下まで舐めるように見られた。
「あんたたち、何の用だね」
「俺たちは網「様のお導きで参りました!」
コンコが利かせた機転の狙い通り、網様が神様に聞こえてくれたらしく、婆さんは目を丸くして顔を緩めた。
機嫌を良くした婆さんの導きで、どうぞどうぞと奥に案内された。
奥の居間は座布団が敷き詰められており、そこに座っている人は皆、正面にある輿《こし》のような祭壇を、誰かが来るのを待つ様子で見つめている。
末席に座ったコンコとリュウは、周りを見ては目と目を合わせて無言の会話をした。
勾玉が組み合わさったような、陰陽魚太極図と清明紋の五芒星。あれは陰陽道だ。
天狗の面のそばには、錫杖と法螺貝が飾られている。あれは修験道だ。
皆が首から下げている襷のお題目。好き勝手に書いたのか、梵字も漢字も入り乱れている。
そこへさっきの婆さんが祭壇の向かいに座ると香木だか護摩木だかを焚き、ムニャムニャと何かを唱えはじめ、弓を弾き鳴らした。何だか違う気もするが、梓巫女の託宣ではないか。
これは、新政府により規制されたものばかりではないか!
ハッとして、コンコとリュウが横目を合わせると、次の展開がはじまった。
「犬神様じゃ!」
「犬神様ー!!」
「良かったね、禄郎さん」
「なかなか様になっているではないか」
「頑張って稼いで店を持って、今にお前を表舞台に引き出してやるよ」
「何を言うか……。それで、今日は何がある」
「今日は南瓜がいい、甘いぞ。ひとつどうだ?」
これは確かに良いものだと買って帰ろうとしたところ、大きなあくびを禄郎がかいた。
「みっともないぞ、ここは店先だ」
「いや、すまん。まだ慣れていないせいか、このところ寝ても疲れが取れなくてな」
「昨日、遠吠えがうるさかったもんね。禄郎さんの家、近かったんじゃないの?」
目をこすり、頬を叩いて眠気を払った禄郎は、はてな? と首を傾げた。
「そうなのか? いや、知らんなぁ。それより、困っていることがあってだな」
今度はこちらの仕事かと、コンコが前のめりになり目を見開いた。
あれだ、と禄郎が指差した向かいの壁に、痛々しい引っかき傷がつけられていた。手の平ほどの長さが4本、触れてみると案外深い。
「うわっ、ひどい。熊かなぁ」
「あちこちにあるんだ。ほら、そこにも」
「ここに熊は出んだろう。しかし獣の仕業だな」
そう言いながら、コンコとリュウはチラリと目を合わせた。
あやかしの仕業に違いない。
ということで、早速の夜警である。
陽のあるうちは賑やかな界隈だが、夜ともなれば人気はなく、辺りの人々も寝静まっている。
「コンコはどう見る?」
「爪がつけた傷は、立っていないとつけられない高さだったよね? だから熊によく似たあやかしじゃないかな?」
熊のあやかしなど、いるのだろうか。コンコに思い当たる節はないらしい。もしや、北海道から来たというのか。
すると見慣れた顔が、珍しい顔をしてノロノロと歩いて来た。
禄郎だ。
朝早い商売なのに、こんな遅くにどうしたのかと声を掛けようとしたが、落ち窪んだ虚ろな目、力なくポカンと開いた口、重だるく丸まった背中に躊躇ってしまった。
気の病かと思い、恐る恐る名前を呼ぶがピクリとも反応せず、ふたりの前を漂うように通り過ぎていく。
急に立ち止まると夜空を仰ぎ、月を見つめた。
すると突然、身体を歪めて頭を抱え、苦しそうにうめき声を上げだした。
「禄郎!」
「禄郎さん!」
そばに寄ろうとしたところで禄郎の身体に目を疑うような異変が起こり、コンコはおろかリュウでさえも、凍りついたように足が止まった。
手を、顔を、ついには全身を灰色の毛がみっしりと包み、指が縮むと鋭い鉤爪が生え、鼻が伸び口から何本もの牙が覗き、頭の上には三角形の耳が生えた。
変化が終わると、それを知らしめるように夜空に向かって遠吠えを上げた。
狼だ、人の形をした狼だ。
町中の傷も遠吠えも、禄郎の仕業だったのだ。
リュウは刀に手を掛けたが、コンコは戸惑い、躊躇っていた。
「コンコ、祝詞だ」
「でも、そうしたら禄郎さんが……」
「これは憑き物だろう。祝詞を唱えれば禄郎からあやかしが浮き出るはずだ」
と、策を練っていると禄郎が消えた。
どこへ行ったのかと辺りを見回すと、投網の端が足元をズルズルと這っており、そのうち建物の隙間に吸い込まれた。
浜で使うはずの投網が、何故か陸を這っていたことに、ふたりは呆気に取られてしまった。
「……何これ?」
「わからん、禄郎を捕らえたのかも知れぬ。とりあえず追うぞ」
投網が消えた先を覗くと、禄郎の唸り声が聞こえてきた。やはり、捕らえられたのは間違いないらしい。
こうなると、禄郎の身が心配だ。あやかしの姿だからと痛めつけられ、禄郎自身が大怪我をしてしまうかも知れない。
投網の端を追い掛けた先は、裏の民家だった。
その窓から、家の中で蝋燭が灯されていることがわかる。行灯ではなく、蝋燭だ。何やら、儀式めいたものを感じずにはいられない。
「禄郎さん、大丈夫かな……」
「うむ……中に入る他なかろう」
意を決して玄関扉に手を掛けると、中から勢いよく開けられた。
そこには経文を書いた襷を首から下げた婆さんが立っており、品定めをするような目で、上から下まで舐めるように見られた。
「あんたたち、何の用だね」
「俺たちは網「様のお導きで参りました!」
コンコが利かせた機転の狙い通り、網様が神様に聞こえてくれたらしく、婆さんは目を丸くして顔を緩めた。
機嫌を良くした婆さんの導きで、どうぞどうぞと奥に案内された。
奥の居間は座布団が敷き詰められており、そこに座っている人は皆、正面にある輿《こし》のような祭壇を、誰かが来るのを待つ様子で見つめている。
末席に座ったコンコとリュウは、周りを見ては目と目を合わせて無言の会話をした。
勾玉が組み合わさったような、陰陽魚太極図と清明紋の五芒星。あれは陰陽道だ。
天狗の面のそばには、錫杖と法螺貝が飾られている。あれは修験道だ。
皆が首から下げている襷のお題目。好き勝手に書いたのか、梵字も漢字も入り乱れている。
そこへさっきの婆さんが祭壇の向かいに座ると香木だか護摩木だかを焚き、ムニャムニャと何かを唱えはじめ、弓を弾き鳴らした。何だか違う気もするが、梓巫女の託宣ではないか。
これは、新政府により規制されたものばかりではないか!
ハッとして、コンコとリュウが横目を合わせると、次の展開がはじまった。
「犬神様じゃ!」
「犬神様ー!!」
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