29 / 64
倉庫番②
しおりを挟む
入ってきたのは仏像だった。自ら歩いているのではない、誰かが後ろから押しているのだ。
そんなことを微塵も気にすることなく、リュウは仏像を眺めはじめた。
「これは吽形、あの阿形の片割れか!」
「見とれている場合じゃないよ! リュウ、刀を構えて!」
「これを斬れとは、酷なことを……」
惜しそうな顔をするリュウに、コンコは苛立ちを隠せなかった。まったく、どれだけ仏像が好きなんだ。
「そうじゃないよ! この仏像を誰かが押しているんだって!」
「そうだ、わしが押しておるのだ」
吽形の影から姿を現せたのは、見覚えある老人だった。
「赤い靴……」
そう、コンコに赤い靴を贈った老人。
「にゃんにゃんの水瓶……」
そう、禄郎に水母娘々の水瓶を贈った老人。
「そして今度は金剛力士像だ。ここの主人が廃寺のものを買い付けた」
リュウは柄に手を掛けたまま、動けずにいる。
コンコも祝詞が思い浮かばず、青ざめている。
そうしているうちに、吽形は蔵の中へと運び込まれた。
老人は額の汗を拭うと、吽形をしげしげと眺めはじめた。
「ここの主人は、ものの価値がよくわかっておるわい。どの仏像も一級品だ。しかしお若いのも、ずいぶん詳しいのう」
「仁王は慶派が一番だ。たくましい身体、憤怒の表情、今にも動き出しそうではないか」
違う! こんなことを言いたいのではない!
「そのとおり、見向きもしない日本の民の気が知れぬ。まったく、嘆かわしいことだ」
口を開こうとすると、舌がしびれそうになる。放つ言葉を選ばされているようだ。
「この仏像は、みんなお前が売ったのか」
「左様、すべて廃寺にあったものだ。二束三文の値しかつけられないが、打ち捨てられるより遥かにマシだ。ふたりとも、そう思うだろう」
確かにコンコもリュウも同じことを思っていたが、今はこの老人に同調するのは危険に感じて、言葉を発せぬようにギュッと口を結んだ。
コンコが唇を震わせながら、必死になって自分の言葉を発した。
「人を、襲う秘…仏を売り、つけたな!?」
それだけ言うとコンコは目を見開いて、苦しそうに肩を上下させていた。
老人は片眉を上げ、知らぬ素振りをしている。
「人を襲う? 秘仏? さあ、どうだろうな」
言葉にならぬ言葉の代わりに、コンコは老人を睨みつけた。それでも老人は喜怒哀楽のひとつもなく、淡々とした態度を変えずにいる。
「何、西洋人の信心が足らぬだけだ」
立ち去ろうとする老人に、コンコは胸を抑えながら声を掛けた。
「何、者なん…だ! 名を……名乗れ!」
扉に手を掛けたところで足を止め、チラリと目をやりポツリとつぶやいた。
「人はわしを、ぬらりひょんと呼ぶ」
扉が閉められた瞬間、強張っていた身体から力が抜けて、吊り糸が切れるように崩れ落ちた。
「コンコ、ぬらりひょんとは何者だ」
「人の心に入り込むあやかしだよ。勝手に人の家に上がり込んで、知り合いとして振る舞うんだ。家の人も、知り合いと思って接してしまう。ある意味、一番恐ろしいあやかしだよ」
「コンコ! 逃げろ!」
ついに吽形が動き出した。
棚の隙間に逃げ込むコンコは諦めて、リュウに狙いを定めてきた。
リュウを目掛けて拳が幾度となく飛んでくる。
紙一重で何とか躱しているが、これがリュウの精一杯だ。
耳元を嬲る風切音に戦慄させられる。
これが当たれば命はない。
「コンコ! ここに厨子が無いか探してくれ! 秘仏ならば、扉があるはずだ!」
小さな身体を隙間隙間に潜り込ませて、コンコは厨子を探し回った。
厨子と言っても、その大きさは様々だ。大きなものは大人の背丈ほど、小さなものなら手で提げられる。
ふと、赤い光が目についた。
厨子に納められた手の平ほどの仏像が、その目を輝かせていたのだ。
あれだ! あれに違いない!
「リュウ! 見つけたよ!」
「扉を閉じて封じろ!」
吽形の拳を躱すリュウの姿が遮られた。
毘沙門天が立ちはだかって剣を抜き、切っ先をコンコに向けてきた。
ヒィッ! とコンコはうめくと厨子の扉を勢いよく閉め、護符を取り出し貼り付けた。
コンコ目掛けて振りかざした剣は、リュウの頭を砕こうとした拳は、既のところでピタリと止まって固まった。
ふたりともヘナヘナヘナとへたり込み、力ない乾いた笑いを上げていた。
朝になったら蔵の主人が来る約束だ。異様な形の仁王像と不動明王、毘沙門天に囲まれて、秘仏を前に時が過ぎるのを待っていた。
「お世話になったお坊さんって、東京の?」
「……うむ。幼い頃から世話になっていたのだ。動乱の折には仏門に入るか相談したこともある」
リュウは寝転び、幼い頃に思いを馳せた。
「へぇ。リュウにも、そんなときがあったんだ」
「今は廃仏毀釈だ、どうなっていることか……」
ゴロンと横を向き、閉ざされ封じられた厨子を見つめた。
「しかし、何が納められていたのか……」
「手がいっぱい生えていて、怒った顔で」
ガバっと起き上がったリュウは「阿修羅か!」と声を上げ興奮していた。
「御開帳はいつなのか……是非とも見たい」
子供のようにワクワクしているリュウの姿に、コンコはやれやれと両手を広げた。
「リュウのは信心じゃなくて、煩悩だよ」
「同じことを坊主に言われて、諦めたのだ」
リュウは再び寝転び、ガッカリしていた。本気で仏門に入ることを考えていたらしい。
「今は稲荷神の氏子でしょう? 僕をもっと敬ってよね」
「コンコをか?」
リュウは意外そうな顔を見せてから、いたずらっぽく笑いかけた。
コンコは怒った素振りをしてみたが、どうしても笑顔がこぼれてしまうのだった。
そんなことを微塵も気にすることなく、リュウは仏像を眺めはじめた。
「これは吽形、あの阿形の片割れか!」
「見とれている場合じゃないよ! リュウ、刀を構えて!」
「これを斬れとは、酷なことを……」
惜しそうな顔をするリュウに、コンコは苛立ちを隠せなかった。まったく、どれだけ仏像が好きなんだ。
「そうじゃないよ! この仏像を誰かが押しているんだって!」
「そうだ、わしが押しておるのだ」
吽形の影から姿を現せたのは、見覚えある老人だった。
「赤い靴……」
そう、コンコに赤い靴を贈った老人。
「にゃんにゃんの水瓶……」
そう、禄郎に水母娘々の水瓶を贈った老人。
「そして今度は金剛力士像だ。ここの主人が廃寺のものを買い付けた」
リュウは柄に手を掛けたまま、動けずにいる。
コンコも祝詞が思い浮かばず、青ざめている。
そうしているうちに、吽形は蔵の中へと運び込まれた。
老人は額の汗を拭うと、吽形をしげしげと眺めはじめた。
「ここの主人は、ものの価値がよくわかっておるわい。どの仏像も一級品だ。しかしお若いのも、ずいぶん詳しいのう」
「仁王は慶派が一番だ。たくましい身体、憤怒の表情、今にも動き出しそうではないか」
違う! こんなことを言いたいのではない!
「そのとおり、見向きもしない日本の民の気が知れぬ。まったく、嘆かわしいことだ」
口を開こうとすると、舌がしびれそうになる。放つ言葉を選ばされているようだ。
「この仏像は、みんなお前が売ったのか」
「左様、すべて廃寺にあったものだ。二束三文の値しかつけられないが、打ち捨てられるより遥かにマシだ。ふたりとも、そう思うだろう」
確かにコンコもリュウも同じことを思っていたが、今はこの老人に同調するのは危険に感じて、言葉を発せぬようにギュッと口を結んだ。
コンコが唇を震わせながら、必死になって自分の言葉を発した。
「人を、襲う秘…仏を売り、つけたな!?」
それだけ言うとコンコは目を見開いて、苦しそうに肩を上下させていた。
老人は片眉を上げ、知らぬ素振りをしている。
「人を襲う? 秘仏? さあ、どうだろうな」
言葉にならぬ言葉の代わりに、コンコは老人を睨みつけた。それでも老人は喜怒哀楽のひとつもなく、淡々とした態度を変えずにいる。
「何、西洋人の信心が足らぬだけだ」
立ち去ろうとする老人に、コンコは胸を抑えながら声を掛けた。
「何、者なん…だ! 名を……名乗れ!」
扉に手を掛けたところで足を止め、チラリと目をやりポツリとつぶやいた。
「人はわしを、ぬらりひょんと呼ぶ」
扉が閉められた瞬間、強張っていた身体から力が抜けて、吊り糸が切れるように崩れ落ちた。
「コンコ、ぬらりひょんとは何者だ」
「人の心に入り込むあやかしだよ。勝手に人の家に上がり込んで、知り合いとして振る舞うんだ。家の人も、知り合いと思って接してしまう。ある意味、一番恐ろしいあやかしだよ」
「コンコ! 逃げろ!」
ついに吽形が動き出した。
棚の隙間に逃げ込むコンコは諦めて、リュウに狙いを定めてきた。
リュウを目掛けて拳が幾度となく飛んでくる。
紙一重で何とか躱しているが、これがリュウの精一杯だ。
耳元を嬲る風切音に戦慄させられる。
これが当たれば命はない。
「コンコ! ここに厨子が無いか探してくれ! 秘仏ならば、扉があるはずだ!」
小さな身体を隙間隙間に潜り込ませて、コンコは厨子を探し回った。
厨子と言っても、その大きさは様々だ。大きなものは大人の背丈ほど、小さなものなら手で提げられる。
ふと、赤い光が目についた。
厨子に納められた手の平ほどの仏像が、その目を輝かせていたのだ。
あれだ! あれに違いない!
「リュウ! 見つけたよ!」
「扉を閉じて封じろ!」
吽形の拳を躱すリュウの姿が遮られた。
毘沙門天が立ちはだかって剣を抜き、切っ先をコンコに向けてきた。
ヒィッ! とコンコはうめくと厨子の扉を勢いよく閉め、護符を取り出し貼り付けた。
コンコ目掛けて振りかざした剣は、リュウの頭を砕こうとした拳は、既のところでピタリと止まって固まった。
ふたりともヘナヘナヘナとへたり込み、力ない乾いた笑いを上げていた。
朝になったら蔵の主人が来る約束だ。異様な形の仁王像と不動明王、毘沙門天に囲まれて、秘仏を前に時が過ぎるのを待っていた。
「お世話になったお坊さんって、東京の?」
「……うむ。幼い頃から世話になっていたのだ。動乱の折には仏門に入るか相談したこともある」
リュウは寝転び、幼い頃に思いを馳せた。
「へぇ。リュウにも、そんなときがあったんだ」
「今は廃仏毀釈だ、どうなっていることか……」
ゴロンと横を向き、閉ざされ封じられた厨子を見つめた。
「しかし、何が納められていたのか……」
「手がいっぱい生えていて、怒った顔で」
ガバっと起き上がったリュウは「阿修羅か!」と声を上げ興奮していた。
「御開帳はいつなのか……是非とも見たい」
子供のようにワクワクしているリュウの姿に、コンコはやれやれと両手を広げた。
「リュウのは信心じゃなくて、煩悩だよ」
「同じことを坊主に言われて、諦めたのだ」
リュウは再び寝転び、ガッカリしていた。本気で仏門に入ることを考えていたらしい。
「今は稲荷神の氏子でしょう? 僕をもっと敬ってよね」
「コンコをか?」
リュウは意外そうな顔を見せてから、いたずらっぽく笑いかけた。
コンコは怒った素振りをしてみたが、どうしても笑顔がこぼれてしまうのだった。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
東へ征(ゆ)け ―神武東征記ー
長髄彦ファン
歴史・時代
日向の皇子・磐余彦(のちの神武天皇)は、出雲王の長髄彦からもらった弓矢を武器に人喰い熊の黒鬼を倒す。磐余彦は三人の兄と仲間とともに東の国ヤマトを目指して出航するが、上陸した河内で待ち構えていたのは、ヤマトの将軍となった長髄彦だった。激しい戦闘の末に長兄を喪い、熊野灘では嵐に遭遇して二人の兄も喪う。その後数々の苦難を乗り越え、ヤマト進撃を目前にした磐余彦は長髄彦と対面するが――。
『日本書紀』&『古事記』をベースにして日本の建国物語を紡ぎました。
※この作品はNOVEL DAYSとnoteでバージョン違いを公開しています。

鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
陸のくじら侍 -元禄の竜-
陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた……
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる