稲荷狐となまくら侍 -明治あやかし捕物帖-

山口 実徳

文字の大きさ
上 下
23 / 64

春風楼①

しおりを挟む
 気が進まない仕事には困ったものだが、断ってしまうと暮らしに困る。結局、依頼はふたつ返事で受けるしかない。
「ここがリュウの前の仕事場かぁ」
 高島嘉右衛門が埋め立てた海上線路沿いの高島町遊郭。しかもリュウの古巣、春風楼からの依頼である。

 コンコは格子越しの着飾った美女たちを、軒先にズラリと並んだ真っ赤な提灯を、贅沢に煌々と照らされる部屋の灯りを、そしてそんなくるわがひしめき合う不夜城の様相をポカンと見回して、開いた口が塞がらない。

 店に上がると暗く重たい雰囲気が漂っており、何故か番頭の姿がない。端々に目をやれば、塵や蜘蛛の巣が目につく。
 店自体に異変があったのは、間違いない。

 すると突然、嵐のような黄色い声に包まれた。格子の中にいた遊女たちが押し寄せてきたのだ。
「今までどこに行っていたの!?」
「ひどいわ、急にいなくなるなんて……」
「寂しくて、夜ごと枕を濡らしたわ……」
 女たちが一斉にリュウへとすり寄って、身体をピッタリ密着させて、艶めかしい眼差しを向けていた。リュウはほとほと困った様子で、女たちの肩を掴んで剥がしている。
「ところで何その、ちっちゃいの」
 打って変わって冷ややかな眼差しを向けられたコンコは、丸くしていた目を吊り上げ、ポカンと開いていた口からギリギリと歯を噛み鳴らした。
「高島の遣いの者です!!」

 怒り任せのコンコの声に遊女たちが慌てて格子の中へ戻ると、遊郭の主人が番頭に支えられつつやってきた。
「お前さんだったのかい、あやかし退治っていうのは」
 固く会釈するリュウを目にして、主人は幽霊に出くわしたような顔をした。クビにした男を頼る気不味さと、険が取れた顔つきに驚きを隠せないようである。

「話は高島から聞いております。大店おおだなの若旦那と西洋人が、神隠しに遭ったとか」
「……そうなんだよ。大旦那様も領事館も、えらい剣幕で毎日いらっしゃる。春風楼は吹けば飛ぶような小さな店だ。早くしなければお取り潰しになってしまう……」
 主人はほとほと困った様子で、額の汗を拭っている。眠れていないのか目には深いくまがあり、頬もゲッソリとけている。

「同じ女が相手をしたのか」
「それぞれ別の遊女だよ、格も部屋も違う。ふたりともかわやに行くと言ったきり、姿を消したと言っているんだ」
 そこまで話すと、主人の膝が力なく崩れ落ちたので、番頭が「お休みになってください」と奥の間へと連れていった。

「主人がいなければ仕方がない。頼みがあるのだが、聞いてくれるか」
 女たちはリュウにピッタリ身を寄せて、潤んだ瞳をまばゆいばかりに輝かせながら
「はい、何なりと」
「何でも命じてくださいまし」
「よかったら、お部屋でゆっくり伺いますわ」
 リュウはすり寄せられる柔肌を離し、やれやれ参ったなぁと頭をかいた。コンコは祟るような目つきでリュウを睨みつけ、ギリギリと歯を鳴らしていた。

 女たちは、ガックリとうなだれた。頼みというのが、禿かむろに扮したコンコが各部屋を改める、というものだったのだ。
 可愛い上等の着物に上機嫌のコンコであるが、リュウはハラハラしていて落ち着かない。
「異変があれば別だが、客でなければ男は部屋に入れない決まりになっている。今はコンコだけが頼りなのだ」
「そんなことより、リュウ様はずいぶんおモテになるんですのね」
 からかうようなコンコの言い方に、リュウは頬を染めつつムッとした。

「いい仲の方もいらしたのかしら、オホホホホ」
「……そんなものは、いない! クビになる!」
 歯切れの悪さに悪戯っぽく笑いつつ、目の奥で火を燻ぶらせているコンコであった。
「冗談言っている場合か! しらみ潰しに探すぞ!」
 ということで禿かむろのコンコが遊女にお茶を出し、神隠しについての情報を聞き出すこととなった。その間、リュウは廊下で待機する。

 まず1階で控える遊女からコンコが話を聞いて回ったが、有力な情報は得られなかった。
「みんな優しいお姉さんなんだけど……悲しそうに笑うんだ」
 重苦しそうに唇を噛むコンコの頭を、リュウはそっと撫でて慰めた。
「ここの女は、それぞれ理由があって来たのだ。家が貧しかったり、子が多かったり、食い扶持がなくなったり、幕府がなくなってから没落した家もある。親を思って、自ら売られに来た娘だっているほどだ」

 コンコが小さく「そうなんだ」と言って、うつむいた。
 300年に渡り天領を見守った稲荷狐だ。あの娘を見なくなったが、どこへ行ったのかと思うこともあっただろう。
 それが今になって気付かされて、自分の無知を恥じ、厳しい現実に打ちひしがれていた。

「望んで来るところではないし、大変な仕事だ。しかしお互いの苦労を分かち合い、家族のようにやっておる。高官や金持ちに見初められて幸せを掴んだ女もいる。悪いことばかりではないさ」

 姿を見なくなった娘たちが、そのような運命を辿っていたとしても、せめてリュウが言うような幸運に恵まれていればと、コンコは強く祈った。
「コンコ、今は行方知れずの者を探すのが先だ。2階に上がるぞ」
 ふたりは音を立てないよう、静かに階段を上がっていった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

東へ征(ゆ)け ―神武東征記ー

長髄彦ファン
歴史・時代
日向の皇子・磐余彦(のちの神武天皇)は、出雲王の長髄彦からもらった弓矢を武器に人喰い熊の黒鬼を倒す。磐余彦は三人の兄と仲間とともに東の国ヤマトを目指して出航するが、上陸した河内で待ち構えていたのは、ヤマトの将軍となった長髄彦だった。激しい戦闘の末に長兄を喪い、熊野灘では嵐に遭遇して二人の兄も喪う。その後数々の苦難を乗り越え、ヤマト進撃を目前にした磐余彦は長髄彦と対面するが――。 『日本書紀』&『古事記』をベースにして日本の建国物語を紡ぎました。 ※この作品はNOVEL DAYSとnoteでバージョン違いを公開しています。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...