18 / 64
人力車テンマツ②
しおりを挟む
朧車には隠れてもらい、建物の陰で震えていた車夫に人力車を返した。
「あやかしはいなくなったよ」
「ありがてえ、ありがてえ。タダで構いません、今から乗りやすか?」
「すまぬ、野暮用が出来た。他を当たってくれ」
米つきバッタのようにペコペコと頭を下げて、商売しなきゃと車を引いて、夜の街へと飛んでいった。
車夫の姿が見えなくなると、入れ替わりに朧車がゴロゴロと車輪を鳴らして現れた。
牛車いっぱいの顔は、しょんぼりとしていた。
『悪いことをしちゃったなぁ。人力車の椅子に、今まで拾った金目のものを置いたけど、あの車夫は気付いてくれますかね』
「まさか、物取りではないだろうな」
すると、牛車ごとブンブンと頭を振った。
人力車より大きいので、ぶつかってしまいそうになり、コンコとリュウは後ろへ飛び退いた。
『違います! 違います! あっしが驚かせたら落としたもので、返せなかったものでさぁ』
「返すこともあるのか、案外律儀だな」
『ビックリさせれば満足ですから、返せるものはキッチリ返します』
朧車のように、驚かせるだけのあやかしは沢山いるのだ。悪さと言えば悪さだが、封じるか否かは悩むところだ。
「どうして人力車に取り憑いたの?」
『そんなの決まっているじゃねぇですか! 牛車なんて、今どきどこにも走ってねぇ』
確かにその通りだ。公家がわんさかいた頃の、かつての京都ならいざ知らず、貴族華族の明治では横浜はもちろん東京にだって、どこを探しても牛車はいない。
『牛車が段々珍しくなり、街角にいるだけで不審に思われるようになりました。簾を開けて、顔を見せるまでもないんです』
朧車にとって、不遇の時代が長年続いたというわけだ。道端に牛車がポツンといるだけで、朧車だと気付かれてしまうこともあっただろう。
『そうしたら、牛車によく似た人力車が現れた。これに取り憑けば、もう一花咲かせると思ったんです』
「しかし人力車には生活がかかっている。車夫が可哀想だから、もうやめろ」
すると朧車は泣きそうな顔で、リュウの鼻先に迫ろうとした。またぶつかりそうになったので、慌てて飛び退いた。
『それじゃあ、あっしは用済みですか!? 行き場がないから、封じられるしかありませんか!?』
巨大な顔が大粒の涙を流しはじめた。ごつごつした頬を伝うと、埃っぽい地面に大きな水溜りを作った。
このままだと、自ら封じられる雰囲気である。
それはそれで構わないが、この世に未練が残るには違いない。
泣き止んだ頃を見計らい、朧車に尋ねてみた。
「封じるのは構わんが、それでいいか?」
『へぇ。あっしはもう用済みで、どこにも行き場はございません。一思いに封じてください』
コンコが虚空から素焼きの壺を取り出したが、なんとなく躊躇しているように見えた。
見守っていた天領が開港後の発展で町になり、忘れ去られて祠が荒れ果てた自身に重なるものがあったのだ。
リュウだって、新政府に用済みとされた侍だ。上野の山で抗って、吹き飛ばされて臥せったのちに五稜郭陥落の報を耳にして、武士の世の終わりを知って愕然とした。
時代に取り残された、と言われてしまえばそれまでだ。しかし思いが強ければ強いほど、生き方を変えるのは楽ではない。
しかし、用もなく為す術もない生涯は、きっとつらいことだろう。
コンコも高島と会っていなければ、どうなっていたかわからない。
リュウだって、遊郭の用心棒として雇われず、あやかし退治に誘われなければ、今頃どうなっていただろう。
朧車に活躍の場を与えてやりたい気もするが、どうにも思いつかないし、封印を望んでしまっている。
リュウが苦々しく刀を構えると、コンコが寂しそうに祝詞を唱えはじめた。
すると、宵闇の中から感嘆する声が響いた。
西洋人の紳士が、嬉しそうに両手を広げて朧車に近付いてきたのだ。
朧車は、これは好機だ驚かそうと簾を降ろしてみたものの、紳士は牛車の周りをぐるぐる回って感嘆していた。
「Beautiful!!」
コンコとリュウは、キョトンとした。
しかし、まじまじと見つめれば艷やかな黒漆で塗られた牛車は、ところどころに金銀細工や螺鈿があしらわれており、日本の美が詰まっている。
ずいぶん凝ったものに化けたものだ。
紳士は牛車と自身を交互に指差し、興奮して
「Please! Please! How much!?」
と言っていた。
「何を言っておるのだ?」
「わからないけど、欲しいんじゃないの?」
コンコとリュウが朧車をちらりと見ると、簾をちょっとだけ開けて、輝く瞳を覗かせていた。
どうぞどうぞ遠慮なくと手の平を差し出すと、大喜びで朧車に飛びついて、ポケットからありったけの金を出し、リュウに握らせた。
紳士が引いて帰ろうとすると、朧車はひとりで転がりついていったので、紳士は益々感激した。
「Wow……Fantastic!」
手の平いっぱいに掴まされた金を見て、リュウは戸惑っていた。
「コンコ、この金はどうする。こんなもの、受け取れないぞ」
「さっきの車夫にあげたら? 迷惑を掛けたお詫びに朧車が置いていったことにしようよ」
「そうだな、それがいい。さっそく探して、今日は人力車に乗って帰ろう」
コンコとリュウは、車夫が走っていった方向に歩き出した。
数日後、簾を降ろし大人しくしている朧車を、港で見掛けた。
ふたりの姿に気付いて、朧車は簾を上げて巨大な顔を見せた。ごつごつして腫れぼったい不気味な顔は、旅立ちを前に晴れやかである。
『旦那、お狐様、この度はお世話になりました』
朧車はギシギシと音を立てて、頭を下げた。
「世話などしておらん。結局、異国に行くのか」
「綺麗にした甲斐があったね。どこへ行くの?」
『なんでも、イギリスとか言う国だそうですが、どんな国かご存知ですか?』
「イギリスと言えば、陸蒸気を作った国だ」
『へぇ、そうですか。陸蒸気ねぇ……』
何を考えているのか知らないが、朧車は頭の上に浮かび上がった光景を見つめていた。
「異国に行っても元気でね」
「達者でな。悪さはするなよ」
『もちろんですとも。喜んで引き取られたのは、初めてですから。驚かしてばかりでしたが、喜ばれるってのは、いいものですねぇ』
朧車は、ひとりで艀に乗り込んだ。
遠くイギリスで何をしようと考えたのかは、誰にもわからない。
「あやかしはいなくなったよ」
「ありがてえ、ありがてえ。タダで構いません、今から乗りやすか?」
「すまぬ、野暮用が出来た。他を当たってくれ」
米つきバッタのようにペコペコと頭を下げて、商売しなきゃと車を引いて、夜の街へと飛んでいった。
車夫の姿が見えなくなると、入れ替わりに朧車がゴロゴロと車輪を鳴らして現れた。
牛車いっぱいの顔は、しょんぼりとしていた。
『悪いことをしちゃったなぁ。人力車の椅子に、今まで拾った金目のものを置いたけど、あの車夫は気付いてくれますかね』
「まさか、物取りではないだろうな」
すると、牛車ごとブンブンと頭を振った。
人力車より大きいので、ぶつかってしまいそうになり、コンコとリュウは後ろへ飛び退いた。
『違います! 違います! あっしが驚かせたら落としたもので、返せなかったものでさぁ』
「返すこともあるのか、案外律儀だな」
『ビックリさせれば満足ですから、返せるものはキッチリ返します』
朧車のように、驚かせるだけのあやかしは沢山いるのだ。悪さと言えば悪さだが、封じるか否かは悩むところだ。
「どうして人力車に取り憑いたの?」
『そんなの決まっているじゃねぇですか! 牛車なんて、今どきどこにも走ってねぇ』
確かにその通りだ。公家がわんさかいた頃の、かつての京都ならいざ知らず、貴族華族の明治では横浜はもちろん東京にだって、どこを探しても牛車はいない。
『牛車が段々珍しくなり、街角にいるだけで不審に思われるようになりました。簾を開けて、顔を見せるまでもないんです』
朧車にとって、不遇の時代が長年続いたというわけだ。道端に牛車がポツンといるだけで、朧車だと気付かれてしまうこともあっただろう。
『そうしたら、牛車によく似た人力車が現れた。これに取り憑けば、もう一花咲かせると思ったんです』
「しかし人力車には生活がかかっている。車夫が可哀想だから、もうやめろ」
すると朧車は泣きそうな顔で、リュウの鼻先に迫ろうとした。またぶつかりそうになったので、慌てて飛び退いた。
『それじゃあ、あっしは用済みですか!? 行き場がないから、封じられるしかありませんか!?』
巨大な顔が大粒の涙を流しはじめた。ごつごつした頬を伝うと、埃っぽい地面に大きな水溜りを作った。
このままだと、自ら封じられる雰囲気である。
それはそれで構わないが、この世に未練が残るには違いない。
泣き止んだ頃を見計らい、朧車に尋ねてみた。
「封じるのは構わんが、それでいいか?」
『へぇ。あっしはもう用済みで、どこにも行き場はございません。一思いに封じてください』
コンコが虚空から素焼きの壺を取り出したが、なんとなく躊躇しているように見えた。
見守っていた天領が開港後の発展で町になり、忘れ去られて祠が荒れ果てた自身に重なるものがあったのだ。
リュウだって、新政府に用済みとされた侍だ。上野の山で抗って、吹き飛ばされて臥せったのちに五稜郭陥落の報を耳にして、武士の世の終わりを知って愕然とした。
時代に取り残された、と言われてしまえばそれまでだ。しかし思いが強ければ強いほど、生き方を変えるのは楽ではない。
しかし、用もなく為す術もない生涯は、きっとつらいことだろう。
コンコも高島と会っていなければ、どうなっていたかわからない。
リュウだって、遊郭の用心棒として雇われず、あやかし退治に誘われなければ、今頃どうなっていただろう。
朧車に活躍の場を与えてやりたい気もするが、どうにも思いつかないし、封印を望んでしまっている。
リュウが苦々しく刀を構えると、コンコが寂しそうに祝詞を唱えはじめた。
すると、宵闇の中から感嘆する声が響いた。
西洋人の紳士が、嬉しそうに両手を広げて朧車に近付いてきたのだ。
朧車は、これは好機だ驚かそうと簾を降ろしてみたものの、紳士は牛車の周りをぐるぐる回って感嘆していた。
「Beautiful!!」
コンコとリュウは、キョトンとした。
しかし、まじまじと見つめれば艷やかな黒漆で塗られた牛車は、ところどころに金銀細工や螺鈿があしらわれており、日本の美が詰まっている。
ずいぶん凝ったものに化けたものだ。
紳士は牛車と自身を交互に指差し、興奮して
「Please! Please! How much!?」
と言っていた。
「何を言っておるのだ?」
「わからないけど、欲しいんじゃないの?」
コンコとリュウが朧車をちらりと見ると、簾をちょっとだけ開けて、輝く瞳を覗かせていた。
どうぞどうぞ遠慮なくと手の平を差し出すと、大喜びで朧車に飛びついて、ポケットからありったけの金を出し、リュウに握らせた。
紳士が引いて帰ろうとすると、朧車はひとりで転がりついていったので、紳士は益々感激した。
「Wow……Fantastic!」
手の平いっぱいに掴まされた金を見て、リュウは戸惑っていた。
「コンコ、この金はどうする。こんなもの、受け取れないぞ」
「さっきの車夫にあげたら? 迷惑を掛けたお詫びに朧車が置いていったことにしようよ」
「そうだな、それがいい。さっそく探して、今日は人力車に乗って帰ろう」
コンコとリュウは、車夫が走っていった方向に歩き出した。
数日後、簾を降ろし大人しくしている朧車を、港で見掛けた。
ふたりの姿に気付いて、朧車は簾を上げて巨大な顔を見せた。ごつごつして腫れぼったい不気味な顔は、旅立ちを前に晴れやかである。
『旦那、お狐様、この度はお世話になりました』
朧車はギシギシと音を立てて、頭を下げた。
「世話などしておらん。結局、異国に行くのか」
「綺麗にした甲斐があったね。どこへ行くの?」
『なんでも、イギリスとか言う国だそうですが、どんな国かご存知ですか?』
「イギリスと言えば、陸蒸気を作った国だ」
『へぇ、そうですか。陸蒸気ねぇ……』
何を考えているのか知らないが、朧車は頭の上に浮かび上がった光景を見つめていた。
「異国に行っても元気でね」
「達者でな。悪さはするなよ」
『もちろんですとも。喜んで引き取られたのは、初めてですから。驚かしてばかりでしたが、喜ばれるってのは、いいものですねぇ』
朧車は、ひとりで艀に乗り込んだ。
遠くイギリスで何をしようと考えたのかは、誰にもわからない。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
東へ征(ゆ)け ―神武東征記ー
長髄彦ファン
歴史・時代
日向の皇子・磐余彦(のちの神武天皇)は、出雲王の長髄彦からもらった弓矢を武器に人喰い熊の黒鬼を倒す。磐余彦は三人の兄と仲間とともに東の国ヤマトを目指して出航するが、上陸した河内で待ち構えていたのは、ヤマトの将軍となった長髄彦だった。激しい戦闘の末に長兄を喪い、熊野灘では嵐に遭遇して二人の兄も喪う。その後数々の苦難を乗り越え、ヤマト進撃を目前にした磐余彦は長髄彦と対面するが――。
『日本書紀』&『古事記』をベースにして日本の建国物語を紡ぎました。
※この作品はNOVEL DAYSとnoteでバージョン違いを公開しています。

鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
陸のくじら侍 -元禄の竜-
陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた……
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる