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プルガサリ②
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大岡川に人だかりがあった。
あそこに違いないと人混みをかき分けて川面を見ると、細長くゴツゴツした黒っぽい浮島が海に向かって流れていた。
よく見てみると、短い手足が生えている。前の方へと回ってみると、ズラリと並ぶ鋭く尖った歯がわかる。
「あれはワニだ、書物で見たぞ」
「ワニって、海にいるんじゃないの?」
リュウが言うのは鰐であり、コンコが言うのは因幡の白兎に欺かれ皮を剥いだ鮫である。
横浜駅近くまで追い掛けると、ワニは荷揚げ場から陸に上がり、のっしのっしと駅へ向かった。
人々は逃げ惑い、遠巻きに恐る恐る見つめている。
警察官が集まってワニを取り囲み、一斉にサーベルを抜いて斬りつけた。しかし黒光りする身体にはちっとも効かず傷のひとつもつけられない。それどころかサーベルは刃こぼれし、警官たちは悔しそうに刃を見つめている。
警官が近くにいた郵便配達夫を呼びつけた。
「郵便屋さんに何の用かな?」
「現金を運ぶだろう。護衛のために小さな鉄砲を持っているのだ」
郵便配達夫が拳銃をワニに向けると、凄まじい爆音が轟いた。野次馬は耳を塞ぎ、身体を丸めて目を白黒させている。
しかしワニは血の一滴も流すことなく、弾丸が当たったところを蚊に食われたようにボリボリとかいている。
野次馬連中に聞かれないよう、コンコがリュウに耳打ちをした。
「あのワニ、あやかしじゃないかな?」
「俺もそう思う。この刀で斬れるだろうか」
「わからないけど、警官がいるから今はやめた方がいいよ」
白昼堂々妖刀を振って、斬れたら後が面倒だ。なまくら刀だと見せてみても、何故斬れたのだと連行されるに違いない。
ワニは立ち上がり、警官たちのサーベルを手に取ってバリバリと食べはじめた。
「鉄を食うのか、コンコが言った通りだな」
郵便配達夫の拳銃をむんずと掴むとポイッと口に放り込み、サーベルの柄と銃把だけをププッと吐き捨てた。
心なしか、ワニが一回り大きくなったように見える。
「しばらく様子を見た方がよさそうだね」
コンコもリュウも顔を固く引きつらせていた。
ワニが横浜駅に入ると、乗客も鉄道員も悲鳴を上げて逃げ惑った。銃が効かず、サーベルを食べられたことに警官たちは尻込みし、遠巻きに追うだけである。
陸蒸気の前まで這うと、ワニはヒョイッと立ち上がり、煙突を掴み大きな口をガバっと開けた。
コンコとリュウが駆けつけて、尻尾を掴み引き止めた。
「やめろ! 食うな!」
「熱いよ! 火傷しちゃうよ!?」
するとワニは残念そうに口を閉じ、再び這って歩きはじめた。
コンコとリュウは尻尾を掴んだままであるが、凄い力で引きずられている。このままでは草履も靴も擦り減ってしまう。
「この尻尾で叩かれたら死ぬだろうな」
「怖いことを言わないでよ。話が通じるあやかしでよかったね」
ワニが向かった先は居留地・関内と日本人街の関外・伊勢佐木町を結ぶ鉄の橋、吉田橋である。
「ダメだ! 橋は困る!」
ぱっくりと口を開くワニの尻尾を強く引いて、見ていただけの警官たちにも加勢させた。
「横浜がふたつに分かれちゃう! そんなのは嫌だよぉ!!」
コンコの叫びが届いたようで、ワニは名残惜しそうに吉田橋を渡り、コンコとリュウと警官たちを引きずって馬車道を闊歩した。
悲鳴に包まれてたどり着いたのは、横浜港だ。
ワニは首をもたげて一隻の船を見つめていた。
「雲揚……?」
「これは軍艦だ」
去年の明治8年、朝鮮西岸海域を測量して武力衝突を起こした船である。戦闘は日本が勝利し、中国との条約締結を拒んでいた李氏朝鮮が日本、そして西洋諸国と不平等条約を結ぶことになる。
コンコとリュウは、ワニの頭の方へと回った。
「お前は、朝鮮のあやかしか?」
「やめなよぉ、あんなに大きな船なんか食べられないよぉ」
しかしワニの意思は強いのか、コンコの説得に耳を貸さず、黄色い目玉を船に向けたままだ。
さざ波が押し寄せる海面を睨みつけ、短い足を浮かせると、そこからギシギシと音がして、赤い破片がポロポロと剥がれ落ちた。
尻尾を引いた警官たちが、後ろの方へと飛んでいった。ついに弾き飛ばされたのかと思ったが、ワニの尻尾が抜けたようで、三角錐の物体に押し潰されそうになっていた。
尻尾を失ったワニは、そちらの方から順番に、ガランガランと音を立てて崩れていった。
最後に残った頭が地べたに落ちると、噂を聞きつけた朴一家が、ワニの残骸に駆け寄った。
光を失い、ただの虚になった目のそばで、すがりついて泣いた。
「プルガサリ……」
「それが、これの名か」
「プルガサリは悪人から鉄を奪う」
「そうなのか……。いや、俺は針を食われたぞ」
「釘と火箸と、鍋も食べられちゃったんだ」
朴が円筒形をしたプルサガリの胴体を開くと、赤錆まみれの輪っかの中から、大量の鉄製日用品が現れた。
朴は持ち主を探して返すと言って、プルガサリの足跡を戻っていった。
ちょうど身体の中心にリュウの縫い針があり、そのすぐそばでヤモリがひっくり返って足をピクピクと痙攣させていた。
コンコが壺を取り出して、ヤモリを入れて封印すると、ちょっと首を傾げた。
「封じてよかったのかな、朴さんたちにとっては神様みたいなものでしょう?」
コンコが、狐火退治のときに言っていたことが思い出された。
『封じるばかりが能じゃないよ、神様になるあやかしだっているんだから』
針をつまんで、雲揚号に目をやった。
プルガサリの狙いは、雲揚号だったのだろう。この船に挑むため、大きな身体を欲して針や釘や火箸や鍋を食べたのだ。
しかし長く潮風にさらされて、潮混じりの川を泳いだせいで、志半ばで力尽きてしまった。
「朝鮮に帰せないか、高島に聞こう」
「それがいいよ! そうしよう!」
雲揚号はこの後、家禄の廃止による士族反乱を制圧するため萩に向かうが、その途中の遠州灘で暴風雨に破壊される。
あそこに違いないと人混みをかき分けて川面を見ると、細長くゴツゴツした黒っぽい浮島が海に向かって流れていた。
よく見てみると、短い手足が生えている。前の方へと回ってみると、ズラリと並ぶ鋭く尖った歯がわかる。
「あれはワニだ、書物で見たぞ」
「ワニって、海にいるんじゃないの?」
リュウが言うのは鰐であり、コンコが言うのは因幡の白兎に欺かれ皮を剥いだ鮫である。
横浜駅近くまで追い掛けると、ワニは荷揚げ場から陸に上がり、のっしのっしと駅へ向かった。
人々は逃げ惑い、遠巻きに恐る恐る見つめている。
警察官が集まってワニを取り囲み、一斉にサーベルを抜いて斬りつけた。しかし黒光りする身体にはちっとも効かず傷のひとつもつけられない。それどころかサーベルは刃こぼれし、警官たちは悔しそうに刃を見つめている。
警官が近くにいた郵便配達夫を呼びつけた。
「郵便屋さんに何の用かな?」
「現金を運ぶだろう。護衛のために小さな鉄砲を持っているのだ」
郵便配達夫が拳銃をワニに向けると、凄まじい爆音が轟いた。野次馬は耳を塞ぎ、身体を丸めて目を白黒させている。
しかしワニは血の一滴も流すことなく、弾丸が当たったところを蚊に食われたようにボリボリとかいている。
野次馬連中に聞かれないよう、コンコがリュウに耳打ちをした。
「あのワニ、あやかしじゃないかな?」
「俺もそう思う。この刀で斬れるだろうか」
「わからないけど、警官がいるから今はやめた方がいいよ」
白昼堂々妖刀を振って、斬れたら後が面倒だ。なまくら刀だと見せてみても、何故斬れたのだと連行されるに違いない。
ワニは立ち上がり、警官たちのサーベルを手に取ってバリバリと食べはじめた。
「鉄を食うのか、コンコが言った通りだな」
郵便配達夫の拳銃をむんずと掴むとポイッと口に放り込み、サーベルの柄と銃把だけをププッと吐き捨てた。
心なしか、ワニが一回り大きくなったように見える。
「しばらく様子を見た方がよさそうだね」
コンコもリュウも顔を固く引きつらせていた。
ワニが横浜駅に入ると、乗客も鉄道員も悲鳴を上げて逃げ惑った。銃が効かず、サーベルを食べられたことに警官たちは尻込みし、遠巻きに追うだけである。
陸蒸気の前まで這うと、ワニはヒョイッと立ち上がり、煙突を掴み大きな口をガバっと開けた。
コンコとリュウが駆けつけて、尻尾を掴み引き止めた。
「やめろ! 食うな!」
「熱いよ! 火傷しちゃうよ!?」
するとワニは残念そうに口を閉じ、再び這って歩きはじめた。
コンコとリュウは尻尾を掴んだままであるが、凄い力で引きずられている。このままでは草履も靴も擦り減ってしまう。
「この尻尾で叩かれたら死ぬだろうな」
「怖いことを言わないでよ。話が通じるあやかしでよかったね」
ワニが向かった先は居留地・関内と日本人街の関外・伊勢佐木町を結ぶ鉄の橋、吉田橋である。
「ダメだ! 橋は困る!」
ぱっくりと口を開くワニの尻尾を強く引いて、見ていただけの警官たちにも加勢させた。
「横浜がふたつに分かれちゃう! そんなのは嫌だよぉ!!」
コンコの叫びが届いたようで、ワニは名残惜しそうに吉田橋を渡り、コンコとリュウと警官たちを引きずって馬車道を闊歩した。
悲鳴に包まれてたどり着いたのは、横浜港だ。
ワニは首をもたげて一隻の船を見つめていた。
「雲揚……?」
「これは軍艦だ」
去年の明治8年、朝鮮西岸海域を測量して武力衝突を起こした船である。戦闘は日本が勝利し、中国との条約締結を拒んでいた李氏朝鮮が日本、そして西洋諸国と不平等条約を結ぶことになる。
コンコとリュウは、ワニの頭の方へと回った。
「お前は、朝鮮のあやかしか?」
「やめなよぉ、あんなに大きな船なんか食べられないよぉ」
しかしワニの意思は強いのか、コンコの説得に耳を貸さず、黄色い目玉を船に向けたままだ。
さざ波が押し寄せる海面を睨みつけ、短い足を浮かせると、そこからギシギシと音がして、赤い破片がポロポロと剥がれ落ちた。
尻尾を引いた警官たちが、後ろの方へと飛んでいった。ついに弾き飛ばされたのかと思ったが、ワニの尻尾が抜けたようで、三角錐の物体に押し潰されそうになっていた。
尻尾を失ったワニは、そちらの方から順番に、ガランガランと音を立てて崩れていった。
最後に残った頭が地べたに落ちると、噂を聞きつけた朴一家が、ワニの残骸に駆け寄った。
光を失い、ただの虚になった目のそばで、すがりついて泣いた。
「プルガサリ……」
「それが、これの名か」
「プルガサリは悪人から鉄を奪う」
「そうなのか……。いや、俺は針を食われたぞ」
「釘と火箸と、鍋も食べられちゃったんだ」
朴が円筒形をしたプルサガリの胴体を開くと、赤錆まみれの輪っかの中から、大量の鉄製日用品が現れた。
朴は持ち主を探して返すと言って、プルガサリの足跡を戻っていった。
ちょうど身体の中心にリュウの縫い針があり、そのすぐそばでヤモリがひっくり返って足をピクピクと痙攣させていた。
コンコが壺を取り出して、ヤモリを入れて封印すると、ちょっと首を傾げた。
「封じてよかったのかな、朴さんたちにとっては神様みたいなものでしょう?」
コンコが、狐火退治のときに言っていたことが思い出された。
『封じるばかりが能じゃないよ、神様になるあやかしだっているんだから』
針をつまんで、雲揚号に目をやった。
プルガサリの狙いは、雲揚号だったのだろう。この船に挑むため、大きな身体を欲して針や釘や火箸や鍋を食べたのだ。
しかし長く潮風にさらされて、潮混じりの川を泳いだせいで、志半ばで力尽きてしまった。
「朝鮮に帰せないか、高島に聞こう」
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