稲荷狐となまくら侍 -明治あやかし捕物帖-

山口 実徳

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プルガサリ①

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 ピンと張った糸を歯で切って、針山に針を刺す様子を、コンコが恨めしそうに指を咥えて見つめていた。
「簡単そうに見えたのになぁ……」
 かまいたちに切られたリュウの着物を、コンコがつくろうと言ったのだ。やらせてみれば糸を針に通せない、指を何度となく刺すといった有様で、結局リュウが繕った。
「やったこともないのに、どうしてできる」
「リュウって器用なんだね」
「俺がやらなければ、誰がやると言うのだ」
 そう言うリュウも、指を刺していた。侍らしく痩せ我慢をしていたのだ。
 プツリと浮かぶ赤い点を見て、コンコがリュウの指をパクリと咥えた。
「お、おい。やめろ」
「へっへぇ、お揃いだ」

 照れ隠しでもするように、リュウが顔をそらして畳をさすった。
「しかし、うちの針はどこへいったのか、見つけなければ危なくて仕方ない」
「ヤモリが食べちゃったのかなぁ」
 食べたかどうかは別にして、コンコの言うようにヤモリが壁を這っていた。
「そんな馬鹿な、ヤモリが針を食うか」

 借りた針を隣家に返すと、ちょうど朝餉を済ませたところだった。
パク殿、かたじけない」
「お侍さん、気にしないで。助け合いだよ」
「ああっ! 坊やがご飯で遊んでる! めっ!」
「コンコ、朝鮮では食べ残すのが礼儀だ。この子は残った飯粒で、よく遊んでいるぞ」
 リュウに諭されても、農耕の神として少し腑に落ちないコンコである。

 横浜港の発展で、みすぼらしい家ばかりだったリュウの近所にも立派な家が建ってきた。
 大岡川沿いにぶらぶら歩くと今日も家を建てていた。大工の会話が聞こえてくる。
「おい、釘が無ぇんだが知らねぇか」
「そこにあるだろうよ」
「違う違う、使おうとして出した釘だよ」
 うろうろと釘を探し回っていると「うわっ」と言って両手を広げて片足立ちをした。
「トカゲを踏んづけちまった」
「気のせいだろ? ピンピンしてやがるぞ」
 確かにトカゲは、大工の足元から物陰へササッと走って消えていった。
「へへっ、釘はトカゲが食っちまったんだ」
と、もうひとりの大工がコンコと同じ冗談を言ったので、リュウがプッと笑いを漏らすと、コンコが頬を膨らせた。

 日ノ出町までやってきた頃には、昼餉の時間である。味噌汁の匂いが漂ってきて、何を食べようかと話していると、道端で七輪を出す人がいた。
 夕餉には魚を焼こうか伊勢佐木町で買おうかと話していると、また失せ物があった様子だ。
「火箸が無いよ、あんた知らないかい?」
「知らねぇよ、出し忘れたんだろう」
「んなわけないよ、いっつもここに挿してるよ。まいったねぇ、火を起こしちまったってぇのに」
「しょうがねぇなぁ、隣に借りなよ。おーい、善さんよぉ!」
 そんな様子をコンコとリュウと、その向かいで日向ぼっこしている蛇が横目に見ていた。

 細かな失せ物は珍しくないが、こうも続くと心に引っ掛かるものがある。
 妙なこともあるものだ、そういう厄日なんだよと話しつつ、伊勢佐木町でめぼしい飯屋か屋台がないかと探す。

 風鈴の音がチリンチリンと耳をくすぐった、蕎麦の屋台だ。昼間から歩いているとは、ありがたい。
「蕎麦をくれ、ふたつだ」
「僕、きつねがいい!」
 へぇ、と言って蕎麦を鍋に投じた。ぐらぐらと沸いた鍋の中で、蕎麦がぐるぐる踊っている。
 コンコはそれを夢中になって見つめているが、リュウは慣れぬ音色が気になっていた。
「鉄風鈴か」
「へぇ、南部の特注にございます」
「それは珍しい。ならば南部の蕎麦なのか」
「もちろん! 殿様に献上したものと同じです。稼いで店を構えるつもりでやっておりますので、どうぞご贔屓に。ささ、できました」
 南部鉄風鈴が世に出るのは、大正・昭和以降である。関東に出て南部の蕎麦で身を立てると故郷を後にした折に、餞別にと作ってくれたそうだ。

 蕎麦を食い勘定をして、激励してから後にすると、屋台の軒から短い紐が垂れていた。
「風鈴が無い!!」
 蕎麦屋が血相を変えて、地べたを這って風鈴を探すがどこにもない。店の看板にして象徴であり贈ってもらった特注だから大慌てである。
 大事な品だからとコンコもリュウも探していると、漬物石のような大きなカエルとコンコの目が合った。
 すると大きな口から鉄風鈴が「ばぁっ」と吐き出された。
「あったよ」
 ベタベタになった風鈴をつまみ上げ、蕎麦屋に返すと何度も何度も頭を下げられた。

 伊勢佐木町で魚を買って家へと帰る道すがら、カエルが風鈴を食べていたと言ったから、リュウは呆れた顔をした。
「そう見えただけだろう」
「だって、カエルのよだれでベタベタだったよ」
「紐が切れて、濡れたところに落ちたのだろう」
「本当にカエルが食べていたのに……」
 いくら言ってもリュウは信じてくれず、コンコは少しムッとしていた。

 そんなふたりを走って追い抜く男がいた。彼が一軒の飯屋に飛び込むと、ドタンバタンガチャンガチャンと激しい物音が鳴り響き、続いて怒号が轟いた。
 どうしたものかと覗いて見ると、先ほどの男と店の主が取っ組み合いの喧嘩をしていた。
「一体どうした」
 リュウの声掛けに、襟袖を掴み合ったまま手を止めて、目尻を吊り上げ訴えた。
「うちの店から鍋が無くなったんですよ。きっとこいつの仕業に違いない」
「誰が手前の鍋なんぞ盗むか! 地の利だけで味は大したことない癖に」
「言ってくれたな! この野郎!!」
 リュウが「やめろ!」と一喝した。
 鍋を探せばよかろうと、店を改めてみたものの男の鍋は見つからない。あらぬ疑いを掛けたことを詫びさせて店を出ると、真っ青な顔を引きつらせた男が走っていた。

 伊勢佐木町は賑やかな町だが、今日はいつもと違って、どうもおかしい。
 走る男を目で追うと「化け物だ!」と叫ぶものだから、コンコとリュウは彼を追い掛ける羽目になった。
「化け物はどこだ! どんな奴だ!」
「大岡川に浮島みたいなトカゲが泳いで、背中はゴツゴツで、口はこーんなに! 大きくて……」
 目を剥いてあたふた喋る男は、口の話で両手を広げた。男が走ってきた方へ、コンコとリュウは向かっていった。
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