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維新電信①
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雪女を封じた壺を高島に渡すと、両手でそっと触れて面白そうに笑っていた。
「ひんやりと冷たいから、確かに雪女だ。これを北国に送ればいいのだね?」
「あいすくりんのないところだよ」
「それなら北海道がいいだろう。こちらで手配をしておくよ」
雪女は納得したのか、壺が嬉しそうに揺れた。愛らしいあやかしだと、コンコもリュウも笑みをこぼした。
「そうだ、あやかしを預かってくれる神社が見つかったよ。小さなところだが、いい卦が出たから行くといい」
手配の早さもさることながら、何でも易断で決めてしまうのも驚かされた。よく当たると評判だそうだが、何より高島本人が心から好きなのだ。
神社へ向かう道すがら、黒く細長いものが列を成してブツブツと落ちていたので拾い上げた。
「何だろう、細巻きかな?」
「違う、これは電信線だ」
見上げてみれば、電信線を失った電信柱が無情に立ち尽くしていた。
「これはひどい……何ということを」
電信の運用開始当初、遠く離れたところの信号が電報になって届く仕組みが不気味だと、電信線を切ってしまう輩がいた。
しかしそれから6、7年が経った今となっては電信網は全国に普及して、海底ケーブルを介して世界ともつながっている。
生活や商売のみならず、国防や国際関係においても重要な役割を果たしており、不気味と感じる者は、もういないはずだ。
そのとき、ゴォッと風が鳴くと小さな渦が電信線に巻き付いた。それが電信柱を目掛けて進むと細切れになった電信線が、バラバラと地面に落下した。
どの電信線も、剣を扱うリュウの目にも見事と思える真っ直ぐな切り口だった。
そこへ、わらわらと警官が駆けつけた。リュウは明らかに嫌そうな顔をしている。
「オイコラ、電信線を切ったのは貴様らか」
「違うよ! あんな高いところ、届くはずがないじゃないか」
警官の尊大な態度と簡便な捜査、安易な容疑にコンコは怒り心頭である。
リュウは警官たちに背中を向けて、散らばった電信線を拾って見せた。
「これを見ろ。柱の間がそっくり細切れになっている。それと、この切り口だ。刀で言えば、太刀筋に迷いがない」
淡々と分析をする様子にカチンときた警官が、前へと回りサーベルの柄でリュウの顎をグイッと上げた。
「また貴様か。上野の山で吹き飛ばされた、死に損ないの小僧ではあるまいな」
辻斬りのときの警部だ。リュウは感情を悟られないよう、警部が薄っすら浮かべる不敵な笑みを睨みつけていた。
「気のせいだ、俺はお前のことを知らん」
リュウの顎を弾くようにサーベルを仕舞うと、荷物を改めよ! と部下に命じた。
刀はなまくらで、電信線など切れぬことを訴えたが、リュウへの追及は終わらない。
「なまくらなどを持ちおって、何のつもりか」
「西洋人に剣舞を見せるのを生業としている」
もし取り締まりを受けたら、そのように答えることに決めていた。それを警部は鼻で嘲笑った。
「ふん、ままごと侍か。しかしよく似ておるわ」
「人違いだ」
事件とは関係のない質問だ、そう言い聞かせて歯を食いしばり耐え忍んだ。
警官たちから離れた頃を見計らって、コンコが怒りを爆発させた。
「何っなの!! あいつらは偉そうにして!!」
しかしリュウは、反比例するかのような冷めた顔、冷めた声で一言だけボソッと放った。
「奴らは、薩摩の連中だ」
コンコはハッとした。
警部は元新政府軍兵士、上野の山で彰義隊士のリュウと睨み合っていたのだろう。
去年だったか、ようやく彰義隊士の墓が上野に移った。しかし未だに賊軍と見なされ風当たりが強いのだ。
「大丈夫だ、そんな顔をするな」
それは優しいとも、古傷をえぐられ力を失ったとも言える声だった。
心配と不安を胸に抱えて見上げる顔をリュウがそっと撫でると、ぺったり畳まれた狐耳がくしゃくしゃと折れて、コンコはくすぐったそうに肩をすくめた。
神社は元町の裏通りにひっそりと佇んでいた。
拝殿では狸が1匹、布団に包まって気持ち良さそうにいびきをかいている。
「あら、どなた?」
呆気にとられていると、おっとりした若い巫女が声を掛けてきた。
「巫女さん、狸が寝てるよ」
「もう、まだ寝ているんですか? それは宮司のたぬおです」
まさかの狸が宮司である。聞けば神職は狸1匹と巫女ひとりだけ、この神社で本当に合っているのだろうか。
「高島の紹介で来たのだが……」
「はい! 伺っております! コンコちゃんと、リュウさんね! 今、宮司を起こしますわ」
「コンコ、狸に化かされているのか?」
「たぬおさんは、ただの狸みたいだよ。化け狸の気配がないんだ」
たぬおは白い着物と浅葱色の袴を身にまとい、狐火と魔剣を封じた壺を受け取って、狭い拝殿下に潜り込んで納めていた。
「なるほど、これは人には出来ぬ」
「そうなんですよぅ、凄いでしょう、えへへ」
と喋るのだから、化け狸としか思えない。
信用していいものか悩むリュウに、霊力は確かだとコンコが言った。神社のことを稲荷狐が言うのだから、信じるしかなさそうだ。
「たぬおさーん! あーそーぼー!」
境内には、朝餉を済ませた子供たちが玩具を持って集っていた。
「待ってくださいよぅ。今、行きますよぅ」
たぬおは拝殿から玩具を取り出し、泥だらけのまま短い脚を跳ねさせて、子供たちと境内を出ていってしまった。
「ああ、宮司さん! もう、お菓子と玩具に目がないんだから」
困り顔でプンと怒っている巫女の袖を、コンコがちょいちょいと引いた。
「ここで遊べばいいのに、どこに行くのかな?」
「近頃は、どこでも遊べるわけではないんです。広いから、彼我公園にでも行くのかしら」
慶應2年の豚屋火事で、横浜は焼き尽くされてしまった。
日除け地として町を二分する日本大通り、港崎遊郭跡地を利用した洋の東西を問わぬ憩いの場、彼我公園が作られた。
「そうか、玩具か」
リュウの頭に策が浮かんだ。コンコも巫女も、ニヤリと吊り上がる口角を不思議そうに見つめていた。
「ひんやりと冷たいから、確かに雪女だ。これを北国に送ればいいのだね?」
「あいすくりんのないところだよ」
「それなら北海道がいいだろう。こちらで手配をしておくよ」
雪女は納得したのか、壺が嬉しそうに揺れた。愛らしいあやかしだと、コンコもリュウも笑みをこぼした。
「そうだ、あやかしを預かってくれる神社が見つかったよ。小さなところだが、いい卦が出たから行くといい」
手配の早さもさることながら、何でも易断で決めてしまうのも驚かされた。よく当たると評判だそうだが、何より高島本人が心から好きなのだ。
神社へ向かう道すがら、黒く細長いものが列を成してブツブツと落ちていたので拾い上げた。
「何だろう、細巻きかな?」
「違う、これは電信線だ」
見上げてみれば、電信線を失った電信柱が無情に立ち尽くしていた。
「これはひどい……何ということを」
電信の運用開始当初、遠く離れたところの信号が電報になって届く仕組みが不気味だと、電信線を切ってしまう輩がいた。
しかしそれから6、7年が経った今となっては電信網は全国に普及して、海底ケーブルを介して世界ともつながっている。
生活や商売のみならず、国防や国際関係においても重要な役割を果たしており、不気味と感じる者は、もういないはずだ。
そのとき、ゴォッと風が鳴くと小さな渦が電信線に巻き付いた。それが電信柱を目掛けて進むと細切れになった電信線が、バラバラと地面に落下した。
どの電信線も、剣を扱うリュウの目にも見事と思える真っ直ぐな切り口だった。
そこへ、わらわらと警官が駆けつけた。リュウは明らかに嫌そうな顔をしている。
「オイコラ、電信線を切ったのは貴様らか」
「違うよ! あんな高いところ、届くはずがないじゃないか」
警官の尊大な態度と簡便な捜査、安易な容疑にコンコは怒り心頭である。
リュウは警官たちに背中を向けて、散らばった電信線を拾って見せた。
「これを見ろ。柱の間がそっくり細切れになっている。それと、この切り口だ。刀で言えば、太刀筋に迷いがない」
淡々と分析をする様子にカチンときた警官が、前へと回りサーベルの柄でリュウの顎をグイッと上げた。
「また貴様か。上野の山で吹き飛ばされた、死に損ないの小僧ではあるまいな」
辻斬りのときの警部だ。リュウは感情を悟られないよう、警部が薄っすら浮かべる不敵な笑みを睨みつけていた。
「気のせいだ、俺はお前のことを知らん」
リュウの顎を弾くようにサーベルを仕舞うと、荷物を改めよ! と部下に命じた。
刀はなまくらで、電信線など切れぬことを訴えたが、リュウへの追及は終わらない。
「なまくらなどを持ちおって、何のつもりか」
「西洋人に剣舞を見せるのを生業としている」
もし取り締まりを受けたら、そのように答えることに決めていた。それを警部は鼻で嘲笑った。
「ふん、ままごと侍か。しかしよく似ておるわ」
「人違いだ」
事件とは関係のない質問だ、そう言い聞かせて歯を食いしばり耐え忍んだ。
警官たちから離れた頃を見計らって、コンコが怒りを爆発させた。
「何っなの!! あいつらは偉そうにして!!」
しかしリュウは、反比例するかのような冷めた顔、冷めた声で一言だけボソッと放った。
「奴らは、薩摩の連中だ」
コンコはハッとした。
警部は元新政府軍兵士、上野の山で彰義隊士のリュウと睨み合っていたのだろう。
去年だったか、ようやく彰義隊士の墓が上野に移った。しかし未だに賊軍と見なされ風当たりが強いのだ。
「大丈夫だ、そんな顔をするな」
それは優しいとも、古傷をえぐられ力を失ったとも言える声だった。
心配と不安を胸に抱えて見上げる顔をリュウがそっと撫でると、ぺったり畳まれた狐耳がくしゃくしゃと折れて、コンコはくすぐったそうに肩をすくめた。
神社は元町の裏通りにひっそりと佇んでいた。
拝殿では狸が1匹、布団に包まって気持ち良さそうにいびきをかいている。
「あら、どなた?」
呆気にとられていると、おっとりした若い巫女が声を掛けてきた。
「巫女さん、狸が寝てるよ」
「もう、まだ寝ているんですか? それは宮司のたぬおです」
まさかの狸が宮司である。聞けば神職は狸1匹と巫女ひとりだけ、この神社で本当に合っているのだろうか。
「高島の紹介で来たのだが……」
「はい! 伺っております! コンコちゃんと、リュウさんね! 今、宮司を起こしますわ」
「コンコ、狸に化かされているのか?」
「たぬおさんは、ただの狸みたいだよ。化け狸の気配がないんだ」
たぬおは白い着物と浅葱色の袴を身にまとい、狐火と魔剣を封じた壺を受け取って、狭い拝殿下に潜り込んで納めていた。
「なるほど、これは人には出来ぬ」
「そうなんですよぅ、凄いでしょう、えへへ」
と喋るのだから、化け狸としか思えない。
信用していいものか悩むリュウに、霊力は確かだとコンコが言った。神社のことを稲荷狐が言うのだから、信じるしかなさそうだ。
「たぬおさーん! あーそーぼー!」
境内には、朝餉を済ませた子供たちが玩具を持って集っていた。
「待ってくださいよぅ。今、行きますよぅ」
たぬおは拝殿から玩具を取り出し、泥だらけのまま短い脚を跳ねさせて、子供たちと境内を出ていってしまった。
「ああ、宮司さん! もう、お菓子と玩具に目がないんだから」
困り顔でプンと怒っている巫女の袖を、コンコがちょいちょいと引いた。
「ここで遊べばいいのに、どこに行くのかな?」
「近頃は、どこでも遊べるわけではないんです。広いから、彼我公園にでも行くのかしら」
慶應2年の豚屋火事で、横浜は焼き尽くされてしまった。
日除け地として町を二分する日本大通り、港崎遊郭跡地を利用した洋の東西を問わぬ憩いの場、彼我公園が作られた。
「そうか、玩具か」
リュウの頭に策が浮かんだ。コンコも巫女も、ニヤリと吊り上がる口角を不思議そうに見つめていた。
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