稲荷狐となまくら侍 -明治あやかし捕物帖-

山口 実徳

文字の大きさ
上 下
8 / 64

シンカンカクスゴイカタイアイス②

しおりを挟む
 吹雪の中心を凝視すると、着物も肌も髪さえも真っ白な女が姿を表した。
 雪女か。
 急速に冷やされる店内は氷が張り、霜が降り、氷柱つららが垂れて、端々に粉雪が積もっていった。
「リュウ……寒いよぉ」
 寒さに震えるコンコは、我慢できずしゃがんで小さく縮こまってしまった。
「我慢しろ! 早く祝詞……」
 刀を抜こうとしたが凍りついてしまい、びくともしない。
 何ということだ、すぐにでも斬れる間合いだというのに。リュウは微塵も動かない刀に焦った。

 雪女が直立したまま滑るように向かってきた。
 いかん、このままでは凍らされてしまう。鞘を付けたまま叩いて牽制をするか。しかしそれは気休めの悪あがきにしかならず、いずれ氷中に閉じ込められるのが目に見えている。
 何ということだ、こんなにあっけなく終わってしまうのか!

 雪女は、あいすくりんの前で立ち止まった。
 立ったままになったヘラを掴み、歯を食いしばって動かそうとしている。
 もちろん、びくともしない。
 何度となく挑んでみたが、その努力が報われることはなく、雪女は息を切らせていた。
『そなたや』
「な、何だ」
『これを、ちいとばかし温めてやくれぬか』

 厨房で火を起こし、凍りついたあいすくりんを温めた。店内が極寒なので温めすぎるということはなく、適度にゆるくなってきた。
『それをわらわに寄越し給え』
 尊大な物言いは不快極まりなかったが、これは雪女なので仕方ない。
 それに、へそを曲げて渡さなかっただけで凍らされてしまっては、たまったものではない。

 雪女は、あいすくりんをヘラの先端に載せて、ゆっくりと口へ運んだ。
『おおお! あいすくりん……やはり甘く濃厚で』
「冷たくて美味しいよね」
 あいすくりんを溶かすために起こした火で暖を取りながら、コンコが雪女に同意した。
 しかし雪女は、予想外のことを言ったのだ。
『そして、温かい』
「温かいだって!?」
「そうか、あいすくりんよりも雪女の方が冷たいのだ」

 きっと、人間が温かいと思う食べ物は熱すぎて食べられないのだろう。
 彼女には雪女であるゆえの苦労や寂しさがあるのだろう。
 温かいものが食べられる、あいすくりんがそれを満たしてくれた。そうに違いない。
 雪女は「美味しい、美味しい、温かい」と嬉しそうに、あいすくりんを食べていた。

 コンコは暖を取ったまま「あれ?」と首を傾げた。
「やはりっていうことは、あいすくりんを食べたことがあるの?」
『決まっておろう』
 変な話ではないか。
 雪女が現れた途端、あいすくりんは凍りついてしまった。雪女はそれを食べられなかったのに、あいすくりんの味を知っている。
「わからん、どのように食っておったのだ」
『それは……客に供した残りが、器に付くじゃろう』
 氷に漬けて混ぜていた容器のことだ。ほどよく固くなってから客に供するが、どうしても容器に薄く残るのだ。
「それをこそげ取っていたのか?」
『そ、そうじゃ』
 真っ白だった顔が、ほんのり赤くなった。

 尊大な喋り方をする雪女が、はしたない食べ方をしていたことがおかしくて、リュウは笑いをこらえて肩を震わせた。
『わらわに恥をかかせたな、おのれ!』
 強烈な吹雪が襲ってきたので、リュウは必死になって謝った。
「すまない! 申し訳ない! このあいすくりんは全部やるから、命だけは!」
『おお、そうか』
 吹雪は止み、雪女は再びあいすくりんを温かいと言いながら食べはじめた。

 すべて食べ終えると床に座り、一息ついて幸せそうに遠くを見つめていた。
『文明開化とは素晴らしいのう、こんなに温かく美味なるものが現れるとは』
 温かいは同意できなかったが、文明開化を謳歌し満足してくれて、何よりだ。
『そなたらのお陰で、あいすくりんをたっぷりと食す夢が叶ったわい。恩に着るぞよ』
 それが目的で起こった怪現象だったのか。
 店はもちろん困っていたが、雪女自身も困っていたのだ。

 さて、問題は雪女を封じるか。
 主人に事情を話して、毎日お供えをすれば悪さはしないだろうし、店が冷えるのなら氷が保ち、あいすくりんも早く固まりそうだ。
 これは、このままでもいいのではないか?
 そう思った矢先である。

 立ち上がろうとした雪女が突然、悲痛な叫び声を上げた。
『おおお……何たることじゃ……』
 十分に暖まったコンコが、厨房からヒョコッと顔を出した。
「どうしたの?」
『あああ……稲荷狐よ……』
 雪女は袖を使って涙を拭うように顔を隠して、コンコにすがってきた。
 触れると凍ってしまうかも知れないと、コンコは少し仰け反って、寒さに震えた。
『太ってしもうた……』
 リュウはズッコケそうになるのを必死になってこらえた。今度、逆鱗に触れたら命がない。

 悲しみに打ち震える雪女を、コンコはまじまじと見て「そうかなぁ」と言った。
「痩せすぎていると心配になって、綺麗だと思えなくなっちゃうよ。今くらいが一番いいよ」
 しかし雪女は片手で顔を隠し、もう片手で腹をさすりながら悲壮感をたっぷり醸し出していた。
『わらわの美貌は儚さあってのことじゃ。太った雪女など、あり得ぬのじゃ。およよよよ……』
 確かに太った雪女を想像できないが、彼女がそこまで体型にこだわりを持っていたとは思わなかった。

『稲荷狐よ、わらわを封じてくれ』
 雪女からの思わぬ申し出に、ふたりは動揺して顔を見合わせた。
『わらわを封じて、あいすくりんがない北国へと送ってくれ給え。さあ、早く!』
 大好物のあいすくりんを断つなど、並々ならぬ決意である。
 コンコが困った顔のまま素焼きの壺を取り出すと、雪女自らそれに足を突っ込んで、あっという間に吸い込まれていった。
 稲荷狐よ頼んだぞ、という微かな声を壺の口から聞いて蓋をして、封印を貼った。

 朝になり、店を開けにきた主人に事情を説明しあやかし退治……いや、自ら封じられたので退治と言っていいのだろうか。悩むところではあったが、一応終わった。
 あやかしがいなくなった安堵と、あいすくりんや氷が保つ好機を逃してしまった落胆が、複雑に入り混じった感謝を述べられて、謝礼の金を受け取った。

「やっぱり、あのままでもよかったみたいだね」
「しかし北国に送るよう頼まれたが、どうする」
「それは、高島さんにお願いしよう」
 ならば神奈川宿へ、と向かうリュウの袖をコンコが引いた。
「それより、おいなりさんが先だよ」
 コンコの真剣な顔に、リュウはクスッと笑ってから泉平いずへいへと足を向けた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

東へ征(ゆ)け ―神武東征記ー

長髄彦ファン
歴史・時代
日向の皇子・磐余彦(のちの神武天皇)は、出雲王の長髄彦からもらった弓矢を武器に人喰い熊の黒鬼を倒す。磐余彦は三人の兄と仲間とともに東の国ヤマトを目指して出航するが、上陸した河内で待ち構えていたのは、ヤマトの将軍となった長髄彦だった。激しい戦闘の末に長兄を喪い、熊野灘では嵐に遭遇して二人の兄も喪う。その後数々の苦難を乗り越え、ヤマト進撃を目前にした磐余彦は長髄彦と対面するが――。 『日本書紀』&『古事記』をベースにして日本の建国物語を紡ぎました。 ※この作品はNOVEL DAYSとnoteでバージョン違いを公開しています。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...