稲荷狐となまくら侍 -明治あやかし捕物帖-

山口 実徳

文字の大きさ
上 下
3 / 64

ガス燈①

しおりを挟む
 コンコとリュウのふたりを雇う高島嘉右衛門は、開港に伴う横浜の発展に欠かせなかった人物である。

 江戸の材木商の家に生まれ、寺子屋通いで抜群の記憶力をあらわし、父の仕事を手伝うと商売の才覚を発揮、安政地震を予知して莫大な利益を生む。
 佐賀藩の要請で伊万里焼を販売することをきっかけに横浜へ進出。

 しかし金銀為替の闇取引で牢獄に入る。
 罪を償ってから、再び材木商として横浜で活躍するようになる。
 異国人の建物を建設し、サロンを兼ねた旅館を作り、神奈川宿付近から横浜港付近までの海上に鉄道線路を作り上げた。
 すぐに火災で焼失してしまったが、洋式学校を作るなど教育にも関心がある。

 これだけの偉業を成し遂げながら財閥にも政界にも関心がなく隠棲し、自ら築いた海上線路と横浜港をのぞむ神奈川宿そばの高台に暮らし、ひとりで易断を楽しんでいる。

「このガス燈も、高島さんのお仕事なんだよ」
 コンコは自分のことのように誇らしげに言っているが、そんなことは知っているとリュウは冷めた目で燈火を見つめた。
 今は高島の手を離れ、横浜瓦斯ガス局という。リュウが先日まで務めていた先は海上線路沿い、埋め立てを指揮した嘉右衛門にちなんだ高島町の遊郭だ。

 夕暮れ空が燃えるような色になった頃である。法被の点灯夫がガス燈を周り、火を点けた竿を使って燈火をひとつひとつ灯している。
 コンコとリュウが暮らす横浜の奥の隅までは、ガス燈が届いていないので、夜は暗いのが当たり前だと思っている。ガス燈が灯る通りを歩くと、眩しくて仕方ない。
 コンコもリュウも、慣れない灯りに目を細めていた。吊り目がちなコンコは狐らしく見える。

「それで、どんな仕事なんだ?」
「ちょうどこの辺りで、夜になると海や川に落ちる人がたくさん出るんだ」
「酔っ払いじゃないのか?」
「酔った人もいるけど、そうじゃない人もいるんだよ」

 空は次第に暗くなり、ガス燈の効果がみるみる発揮されていった。
 ちょうど酔っ払った外国人が、聴いたことのない歌を歌いながらひとりでフラフラ歩いてきた。少し離れた場所ではあるが、ガス燈のお陰でその様子がよくわかる。
 そして海に落ちた。

「ね? 言ったとおりでしょう?」
「うむ、そうだな。ところで」
「なぁに?」
「助けなくていいのか?」
 コンコは慌てて外国人に駆け寄って、近くに綱や網はないかと左右をあたふた見渡した。
 やれやれまったくと刀を手渡し、リュウが海に飛び込んだ。

 異国の言葉で礼を言われて、着物を脱いで絞るリュウに、コンコは背中を向けていた。
「潮水まみれじゃないか……」
「さっすがぁ! 格好良かったよ、リュウ」
 神には人間とは違う羞恥心があるのだろうが、わざわざ背中を向けることはないだろう。見られるのはともかく、他人の身体を見るのも恥ずかしいのか。こんなに暗いのだから、足元しか見えやしない。
 暗い、だと?

「コンコ! ガス燈が消えているぞ!」
 言われてコンコもハッとした。
 外国人が海に落ちた騒動と、慣れた宵闇だったので、ガス燈があったことなど忘れていたのだ。
 あの外国人は燈火をたどって歩いて落ちた。今その燈火は消えている。
 付近を見渡しても、点灯消灯かかわらずガス燈は1本も建っていない。
 すると、遠くの方からこちらに向かい、点火夫もなしにガス燈が灯りはじめた。
 あやかしだ!

 リュウが刀に手を掛けて、コンコは巫女装束に変化した。
「何奴!」
 ガス燈たちがケケケケケッと嘲笑った。この声は、まさか……
「お前ら、狐火だな!?」
 ガス燈の炎は、みんな白狐に姿を変えた。コンコの睨んだとおりである。

『さすが300年の稲荷狐、よくぞ見破った』
 あやかしらしい雰囲気に、リュウは刀の鍔を押し上げた。さあ、いつでも抜けるぞ。
 しかしコンコは、手で制した。
「こんなバラバラにいるようじゃダメだ。ひとりずつ斬ったところで、ほとんどの狐火が逃げてしまう」
 確かに、ズラリと並んだ狐火をすべて斬るのは無理な話だ。

「僕に考えがある。だから斬らないでくれないか」
 上野戦争も用心棒の仕事も、まず刀を抜くことからはじまった。
 しかし、あやかし退治はそうではないらしい。知略で斬ると言うのだろうか。
 まぁ、ここは300年に渡り横浜を守った稲荷狐に従おう。
「わかった、コンコに任せる」
 任せてくれと言わんばかりに、鋭い目つきで笑ってみせた。
 巫女装束だが、キリッとすると男らしい。
 女と思っていたが、コンコは男なのだろうか。

「それで、念のため聞くが……」
「何だい?」
「同じ狐だからって、情けは掛けていないよな」
 コンコは、ぷうっと膨れた。どうやら怒らせてしまったようだ。
「狐火の奴らは、悪戯のことばかり考えているんだ。狐の風上にも置けないよ」
 なるほど、同じ狐でも神とあやかしでは違うようだ。お互い、難しく複雑な感情があるのかも知れない。

「それとだな」
「何だい?」
「コンコは男か女か、どっちなんだ?」
「どっちでもないよ、神様だからね」
 なるほど、同じ狐でも神と獣では違うようだ。いや、よくわからんと、リュウは首をひねった。

「さあ、狐火たち! 僕に着いてきて!」
 悪戯好きの狐火を、一体どうするつもりなのだろう。コンコの考えが見当もつかないと、リュウは首をひねったまま、無数の狐火と一緒に横浜駅へ向かっていった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

東へ征(ゆ)け ―神武東征記ー

長髄彦ファン
歴史・時代
日向の皇子・磐余彦(のちの神武天皇)は、出雲王の長髄彦からもらった弓矢を武器に人喰い熊の黒鬼を倒す。磐余彦は三人の兄と仲間とともに東の国ヤマトを目指して出航するが、上陸した河内で待ち構えていたのは、ヤマトの将軍となった長髄彦だった。激しい戦闘の末に長兄を喪い、熊野灘では嵐に遭遇して二人の兄も喪う。その後数々の苦難を乗り越え、ヤマト進撃を目前にした磐余彦は長髄彦と対面するが――。 『日本書紀』&『古事記』をベースにして日本の建国物語を紡ぎました。 ※この作品はNOVEL DAYSとnoteでバージョン違いを公開しています。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...