稲荷狐となまくら侍 -明治あやかし捕物帖-

山口 実徳

文字の大きさ
上 下
2 / 64

横浜②

しおりを挟む
 ハンチングを脱ぐと三角形の狐耳が、くるりと回るとふさふさの尻尾が生えていた。洋装の飾りではない、機嫌よく動いているから本物だ。
 呆気に取られる侍をよそに、稲荷狐はやれやれと両手を広げた。
「村の畑を守っていたら、急な文明開化だもん。人は増えるし蒸気船に陸蒸気、乗合馬車まで押し寄せる。余計な奴らも一緒にね」
「余計な奴ら? 罪人か」
 稲荷狐は、不敵な笑みを浮かべた。
「違うよ、あやかしさ」

 ずっと見ていたにも関わらず、稲荷狐はいつの間にやら巫女装束になっていた。
「日本中、いや世界中からやって来る悪戯好きなあやかしたちを、何とかしなきゃと思った矢先にこのとおり。みんなは今、神様よりも西洋文化を信じているんだ」
 祠にそっと触れると、ギシッ…と潰れてしまいそうな悲鳴が聞こえた。そのうち崩れて、腐った板切れになってしまうのだろう。

「祠がいよいよダメになったとき、その霊力を刀に封じ込めたんだ。お侍さんが持っている、その刀だよ」
 なるほど。虎はもちろん刀があったのも、稲荷狐が仕組んだことか。
「なまくらだから、振っただけじゃ斬れないよ。僕が祝詞を唱えている間だけ、あやかしに限って斬れるんだ」
 刃に触れてみたが、確かに研いでいなかった。これでは人は斬れないし、蝦蟇がまの油も売れないだろう。これなら廃刀令も免れる。
 また祝詞が必要ということは、斬る斬らないは稲荷狐次第というわけだ。
 いや、祝詞があっても刀を振らなければ、あやかしは倒せない。
 ふたりの息が合わなければ、あやかしたちが横浜を荒らし回るというわけだ。

 ちょっと待て。退治したはずの甲斐の虎は蘇り、塩を背負って帰っていった。
「あの虎は何故、蘇った」
「水虎ちゃんは小さいけど神様だもん。神の力で斬ったところで死にはしないさ」
 八百万やおよろずとは言うものの、あんな姿でも神なのか。世の中は、自分さえも疑いたくなることばかりのようだ。

「それに刀の霊力とは……」
「気付かないのは耐えられている証拠なんだよ。さあ、構えて」
 疑わしく思いつつ刀を構えると、稲荷はニヤリと笑ってから歌うように祝詞を唱えはじめた。

高天原たかまがはら神留かむづます 皇親神漏岐すめらがむつかむろなぎ 神漏美かむろみみこと──

 すると刀に光の粒が集まって、みるみる輝きを放ち、柄を握る両手が、両腕が暖かな光に包まれて、全身に巡ると血が沸き上がるような感覚になった。
 祝詞が止まると荒い血流は収まって、辺りは再び暗闇となった。
「耐えられない人は吹き飛ばされたり、バラバラの粉々になっちゃうんだ」
 耐えられる身体で良かったと、冷や汗を垂らして刀を仕舞った。

「高島のおじさんも、恐ろしいあやかしが横浜を襲うって言っているんだ」
「高島……? 高島嘉右衛門かえもんか!?」
 今度は、つば広のとんがり帽子に黒尽くめの服になっていた。侍は知らなかったが、魔女の格好である。
 横浜開港で行われた、高島主導の埋立事業や発展があまりに早く、まるで魔法の杖だと評されたから、この服装なのだろう。
 その高島は今年、財界から身を引いた。巨万の富をもたらした易断えきだんを、ひとりで楽しんでいると聞く。そこで稲荷狐が言うような、悪いが出たのだろう。

「ねぇ、僕と一緒に悪いあやかしを封じよう! 高島さんも雇いたいって言っているし、僕には君しかいないんだ!」
 手を握られてぶんぶん振られ、ねぇねぇねぇと懇願されて、顎に手を当て考えた。

 この9年、世を忍ぶような仕事をして、日々の暮らしがやっとの毎日に辟易としていた。
 そこへ剣の道しか知らない俺が、廃刀令による失職である。

「僕はこの祠から横浜を300年間、見守っていたんだ……。やっと迎えた繁栄を、あやかしたちに壊されるのは嫌なんだ」
 容姿も中身も子供だが、横浜を長く見守って、その思いは誰にも負けていない。
 手を握る力が強くなり瞳が潤んで、ふるふると震えだした。

「わかった、一緒にやろう」
 稲荷狐はパァッと明るい顔になり、涙を拭って笑顔を見せた。
 用心棒の仕事がなくなってすぐ、稲荷狐に請われたのならば、これは良縁かも知れない。
 世間から見捨てられた者同士、手を取り合って生きていこうではないか。
 やったぁ! と喜びピョンピョンと跳ねる様は子狐だ。とても300歳には見えないが、これでも稲荷狐の中では若い方なのだろうか。

「それじゃあ僕のことは、そうだなあ……コンコって呼んで!」
 ニッコリ笑って名前を伝えるコンコの様子に、侍は顔を引つらせた。
「君の名前は、確か……」
「名前は捨てたんだ!」
 元服前にも関わらず彰義隊に加わろうと決めた際、上野の山に名前を葬った。こんな親不孝者は最初からいなかったのだと、親に思って欲しかったのだ。
「名前がないと不便だよ?」
「いらないんだ! 名前など……」

 コンコは唇に指を当て、んー……と唸りながら侍をまじまじと見つめて考えた。
「きん」
「はっ?」何だその商人のような名は。
「こつ」
「はぁあ!?」子狐め、何を考えている。
「りゅうりゅう」
 侍の身体を観察し、よく鍛錬されていると思い筋骨隆々から名付けたようだ。
 しかし何とも安直な……。
「それじゃあ、リュウだ。リュウって呼ぶね!」

 いつか、どこかで聞いた名前にリュウはハッとしているが、コンコは甘えるように身体を預け、機嫌よく尻尾を振っていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

東へ征(ゆ)け ―神武東征記ー

長髄彦ファン
歴史・時代
日向の皇子・磐余彦(のちの神武天皇)は、出雲王の長髄彦からもらった弓矢を武器に人喰い熊の黒鬼を倒す。磐余彦は三人の兄と仲間とともに東の国ヤマトを目指して出航するが、上陸した河内で待ち構えていたのは、ヤマトの将軍となった長髄彦だった。激しい戦闘の末に長兄を喪い、熊野灘では嵐に遭遇して二人の兄も喪う。その後数々の苦難を乗り越え、ヤマト進撃を目前にした磐余彦は長髄彦と対面するが――。 『日本書紀』&『古事記』をベースにして日本の建国物語を紡ぎました。 ※この作品はNOVEL DAYSとnoteでバージョン違いを公開しています。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...