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10.皇妃になんてなるものですか
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「ち、ちがうんです。これには複雑な事情があってですね……! 婚約は何かの間違いなんですっ」
「そうなのですか? わたくしどもは聖剣を抜いた方を未来の妃殿下として丁重にお迎えせよと仰せつかっておりますが」
エリダは上品に微笑む。
「私、聖剣を陛下にお返ししたらここから出ていきますので、どうぞおかまいなく」
「かしこまりました……? ですが、祝賀会にご出席する準備を進めよと皇太后陛下より命じられておりますので、そちらを進めてまいりますね」
疑問形で了承しつつ、エリダは己の使命を全うしようとしていた。どこの馬の骨ともわからないような娘の言い分より、皇帝の母親の命令の方が絶対なのだろう。
――あの『冷血皇帝』のお母さんかぁ、厳しい人なのかな。あんまり波風は立てないでおこう。
「湯浴みの準備ができたようでございますから、あちらへまいりましょう。それからお支度に取り掛かります」
エリダに促されて奥の続き間を進むと、浴室には大きな浴槽があり、すでに湯が張られている。浴槽の縁には金色の装飾が施されていて、細かいところまで贅が尽くされていた。
普段、川で水浴びをするか、布を濡らして体を拭くくらいしか経験のないリンネアにとって、溢れるほどの湯に浸かるのは贅沢すぎる。
「ところで祝賀会……ってなんのことですか?」
浴槽の中で彼女は首を傾げた。
湯浴みを終えてさっぱりしたリンネアの身を包んでくれたのは、シルクのローブである。蕩けるようになめらかで軽い。
「建国祭にいらっしゃった貴人、要人の方々を招いての夜会になります」
エリダがにこりと微笑みながらリンネアの髪を拭いてくれる。
「そこに出席させられるんですか……?」
不安になりながらエリダの後をついていくと、そこはさきほど説明のあった両陛下の寝室という部屋だ。
――結婚したら、ここであの冷血漢と……?
リンネアは何かを想像しかけて慌てて首を横振った。
――絶対、絶対、皇妃になんてなるものですか!
「あれ、私の服はどこでしょう?」
「それでしたらお洗濯に出しましたのでご安心ください。それでは祝賀会に間に合うように急いでお支度いたしましょう」
エリダは大きなクローゼットを開き、中から一着のドレスを選んでベッドに広げる。深い青色のドレスだった。
「これを……着るの?」
リンネアは思わず後ずさってしまった。
パッと見ただけで、普段着ているものとは比べ物にならないほど上質だとわかる。
「はい。リンネア様の体型でしたら、こちらで大丈夫かと思います。これから毎日お召しになる物は、仕立て職人を呼んでちゃんとサイズを合わせますので、ご心配なさないでくださいね」
心配しているのはそこじゃない。
ドレスなんて似合わないに決まっているし、ここでずっと暮らすつもりもないから、新しい服を作ってもらう必要もない。
「着替える前に少し御髪を整えますね」
エリダはそう言ってリンネアをドレッサーの前の丸椅子に座らせると、伸ばしっぱなしの前髪に軽快に鋏を入れていく。
こういうのは理髪師に頼むのではないかと思ったが、侍女とはなんでもできないといけないらしい。
「できましたよ。お顔周りの髪を結いあげて耳飾りが見えるようにするとよさそうですね」
エリダは他の侍女たちとすでに次の準備の相談をしている。
鏡をのぞくと、なんだかいつもの自分ではないような印象を受けた。家にある小さな鏡は曇っていたし、ひび割れていて、そもそもちゃんと見たことがないのだけど。
眉の上あたりで綺麗に揃えられた前髪、胡桃みたいな丸い目、あまり日の当たらない生活をしているせいか不健康そうな白い肌、童顔……といえばそうなのかもしれない。
「では、早速こちらにお召し替えを」
そう言って、侍女たちが素早く下着やコルセットなどをリンネアの細い体に巻いていった。
「え……これ、もしかして、もう拷問が始まってる……の?」
あまりの窮屈さに息が止まりそうになり、涙すらせき止められる。
「だんだん慣れますから」
エリダはにっこりと笑いながら、非情にもさらにきゅっと締め上げてきた。
「ぐぇっ」
蛙が踏みつぶされたみたいな悲鳴が零れたが、エリダたちはおかまいなしにドレスを重ねていく。
――絶対、絶対、皇妃になんてなるものですか!
リンネアはふたたび強い決意を抱く。
「そうなのですか? わたくしどもは聖剣を抜いた方を未来の妃殿下として丁重にお迎えせよと仰せつかっておりますが」
エリダは上品に微笑む。
「私、聖剣を陛下にお返ししたらここから出ていきますので、どうぞおかまいなく」
「かしこまりました……? ですが、祝賀会にご出席する準備を進めよと皇太后陛下より命じられておりますので、そちらを進めてまいりますね」
疑問形で了承しつつ、エリダは己の使命を全うしようとしていた。どこの馬の骨ともわからないような娘の言い分より、皇帝の母親の命令の方が絶対なのだろう。
――あの『冷血皇帝』のお母さんかぁ、厳しい人なのかな。あんまり波風は立てないでおこう。
「湯浴みの準備ができたようでございますから、あちらへまいりましょう。それからお支度に取り掛かります」
エリダに促されて奥の続き間を進むと、浴室には大きな浴槽があり、すでに湯が張られている。浴槽の縁には金色の装飾が施されていて、細かいところまで贅が尽くされていた。
普段、川で水浴びをするか、布を濡らして体を拭くくらいしか経験のないリンネアにとって、溢れるほどの湯に浸かるのは贅沢すぎる。
「ところで祝賀会……ってなんのことですか?」
浴槽の中で彼女は首を傾げた。
湯浴みを終えてさっぱりしたリンネアの身を包んでくれたのは、シルクのローブである。蕩けるようになめらかで軽い。
「建国祭にいらっしゃった貴人、要人の方々を招いての夜会になります」
エリダがにこりと微笑みながらリンネアの髪を拭いてくれる。
「そこに出席させられるんですか……?」
不安になりながらエリダの後をついていくと、そこはさきほど説明のあった両陛下の寝室という部屋だ。
――結婚したら、ここであの冷血漢と……?
リンネアは何かを想像しかけて慌てて首を横振った。
――絶対、絶対、皇妃になんてなるものですか!
「あれ、私の服はどこでしょう?」
「それでしたらお洗濯に出しましたのでご安心ください。それでは祝賀会に間に合うように急いでお支度いたしましょう」
エリダは大きなクローゼットを開き、中から一着のドレスを選んでベッドに広げる。深い青色のドレスだった。
「これを……着るの?」
リンネアは思わず後ずさってしまった。
パッと見ただけで、普段着ているものとは比べ物にならないほど上質だとわかる。
「はい。リンネア様の体型でしたら、こちらで大丈夫かと思います。これから毎日お召しになる物は、仕立て職人を呼んでちゃんとサイズを合わせますので、ご心配なさないでくださいね」
心配しているのはそこじゃない。
ドレスなんて似合わないに決まっているし、ここでずっと暮らすつもりもないから、新しい服を作ってもらう必要もない。
「着替える前に少し御髪を整えますね」
エリダはそう言ってリンネアをドレッサーの前の丸椅子に座らせると、伸ばしっぱなしの前髪に軽快に鋏を入れていく。
こういうのは理髪師に頼むのではないかと思ったが、侍女とはなんでもできないといけないらしい。
「できましたよ。お顔周りの髪を結いあげて耳飾りが見えるようにするとよさそうですね」
エリダは他の侍女たちとすでに次の準備の相談をしている。
鏡をのぞくと、なんだかいつもの自分ではないような印象を受けた。家にある小さな鏡は曇っていたし、ひび割れていて、そもそもちゃんと見たことがないのだけど。
眉の上あたりで綺麗に揃えられた前髪、胡桃みたいな丸い目、あまり日の当たらない生活をしているせいか不健康そうな白い肌、童顔……といえばそうなのかもしれない。
「では、早速こちらにお召し替えを」
そう言って、侍女たちが素早く下着やコルセットなどをリンネアの細い体に巻いていった。
「え……これ、もしかして、もう拷問が始まってる……の?」
あまりの窮屈さに息が止まりそうになり、涙すらせき止められる。
「だんだん慣れますから」
エリダはにっこりと笑いながら、非情にもさらにきゅっと締め上げてきた。
「ぐぇっ」
蛙が踏みつぶされたみたいな悲鳴が零れたが、エリダたちはおかまいなしにドレスを重ねていく。
――絶対、絶対、皇妃になんてなるものですか!
リンネアはふたたび強い決意を抱く。
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