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8.封印の核
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リンネアは謁見の間から衛兵に連れられ、静かな廊下を進んでいた。彼女の心は、怒涛の展開についていけず、胸が苦しくなるほどの不安と混乱でいっぱいだ。
やがて彼らは大きな扉の前で立ち止まる。扉には繊細な模様が刻まれ、中央には帝国の紋章が描かれていた。
「こちらが皇妃殿下のお部屋でございます」
衛兵に案内されてリンネアが足を踏み入れた部屋は、今まで見たこともないような贅沢な空間だった。
高い天井からは繊細な装飾が施されたシャンデリアが下がり、壁には柔らかなクリーム色と金色の縁取りが施された上品なデザイン。窓から差し込む光が床の大理石を滑らかに輝かせている。
「はじめまして、侍女長のエリダと申します」
落ち着いた声で挨拶してきたのは、お仕着せに身を包んだ聡明な顔立ちの女性だ。年の頃は四、五十代といったところだろうか。少しだけ張りのある声が、自信に満ちた彼女の性格を表している。
「は、はじめまして、リンネアです」
黙ったままなのも失礼かと思い、こちらも頭を下げた。
「よろしくお願いいたします。それとこちらは、アメリ―とジゼルです。本日より、リンネア様の身の回りのお世話をさせていただきます」
エリダの隣に立っていた若い二人の侍女が揃って頭を下げた。
アメリ―は薄い栗色の髪をふんわりとまとめた、可愛らしい印象の女性で、ほんのり頬を染めて微笑んでいる。ジゼルはそれとは対照的に、きっちりと編み込まれた黒髪と涼しげな目元が印象的だ。彼女はリンネアに向けて少し堅苦しい笑みを浮かべていた。
「ただ今お茶を淹れてまいります。夜会のご準備はその後いたしましょう」
アメリ―が柔らかな声でそう言い、ジゼルも無言で頷く。
リンネアは戸惑いながらも「ありがとうございます」と小さな声で答えた。侍女たちが丁寧に一礼して部屋を出て行くと、彼女だけになった部屋には静かな空気が訪れる。
そっとソファにぬいぐるみを置くと、改めて部屋を見渡した。壁にかけられた絵画や、刺繍が施されたカーテンはどれも見事だ。けれどそれ以上に目を引いたのは、大きな窓の向こうに広がる景色だった。
窓辺に近づいてレースのカーテンを捲ると、緑の芝生に色とりどりの花が並ぶ庭園が広がっている。整然とした花壇の間を石畳の小道が走り、中央には噴水が水しぶきをあげていた。
「……別世界に来たみたい」
思わずぽつりとつぶやいたその瞬間、背後から聞き慣れない声がした。
「主はどこから来たの?」
その声にリンネアは驚いて振り返る。目を凝らしても部屋には誰もいない。だが、ふとソファの上を見て、彼女は息を飲んだ。
さきほどまで座らせておいたぬいぐるみが、立ち上がっていたのだ。
「え……? 嘘……っ」
目の錯覚かと思って目をこするが、ぬいぐるみ――深紅の焔獣は短い手足を使って器用にバランスを取りながら、彼女の方を向いて立っている。
「そんなに驚かないでよ。これでも僕は、元々動ける存在なんだから」
声の主は、まぎれもなくそのぬいぐるみだった。口は開かないが、そこから声が響いている。
「フランちゃんが……しゃ、しゃべったぁぁぁ……っ!?」
リンネアはびっくりして後ずさる。すると、ぬいぐるみ――フランも黒曜石のような瞳をまん丸にして(いや、もともとガラス玉のような大きな瞳だったが)、前足を万歳をするように上げた。
「わぁっ、そんな大きな声出さないでよ!」
フランはなおも腕を上げたまま。
「な、なにそのポーズ……?」
「これは相手を威嚇しているんだよ。穏便に生きたかったけど仕方ないね」
もう一度フランは両腕を上げるが、リンネアは目を輝かせるだけだった。
「か、かわいい……」
動いている所はかわいいだろうなと思っていたが、これほどとは。
「君は……僕のことを忘れちゃったんだね?」
「忘れたって……どういうこと?」
リンネアの目がさらに困惑に揺れる。
するとフランは、耳をぴくぴくと動かして、やや不満げに首を振った。
「僕はね、始まりの乙女とともに竜と戦った聖剣の化身さ。もっとも、今はこんなよくわからない生き物の姿だけど」
「せ、聖剣……? あなたが?」
信じられない、と言いたげに目を丸くするリンネアに、フランはすました口調で続けた。
「千年前に竜が封印されたのは知っているだろう? でも、その封印を維持しているのが何なのか、考えたことはある?」
「それは……知らないけど」
「その封印を作り上げたのが、始まりの乙女。そして封印の核となって竜の力を押さえ込んでいるのが僕だよ。だけど封印は永遠じゃない。それに今の僕の姿を見れば分かるだろうけど、状況はけっして良くないんだ」
フランは尻尾をふさふさと振りながら、しれっと言った。
その言葉に込められた意味を理解しようとするリンネアの頭は混乱していた。
「じゃあ、私が聖剣を手にしたことで、何かが変わったってこと?」
「その通り。君が僕に触れたことで、僕はこうして動けるようになった。でも、それは同時に――」
フランが言いかけたとき、扉が軽くノックされる音が響いた。
「リンネア様、お茶をお持ちいたしました」
侍女の声が扉越しに聞こえる。
「は、入っていいですよ」
リンネアが答えると、ぬいぐるみは床の上にころんと転がった。そこからはうんともすんとも言わない。
なんだかだまされたか、疲れているのかもしれない。
“封印の核”――その言葉だけが、心に妙に残ったまま。
やがて彼らは大きな扉の前で立ち止まる。扉には繊細な模様が刻まれ、中央には帝国の紋章が描かれていた。
「こちらが皇妃殿下のお部屋でございます」
衛兵に案内されてリンネアが足を踏み入れた部屋は、今まで見たこともないような贅沢な空間だった。
高い天井からは繊細な装飾が施されたシャンデリアが下がり、壁には柔らかなクリーム色と金色の縁取りが施された上品なデザイン。窓から差し込む光が床の大理石を滑らかに輝かせている。
「はじめまして、侍女長のエリダと申します」
落ち着いた声で挨拶してきたのは、お仕着せに身を包んだ聡明な顔立ちの女性だ。年の頃は四、五十代といったところだろうか。少しだけ張りのある声が、自信に満ちた彼女の性格を表している。
「は、はじめまして、リンネアです」
黙ったままなのも失礼かと思い、こちらも頭を下げた。
「よろしくお願いいたします。それとこちらは、アメリ―とジゼルです。本日より、リンネア様の身の回りのお世話をさせていただきます」
エリダの隣に立っていた若い二人の侍女が揃って頭を下げた。
アメリ―は薄い栗色の髪をふんわりとまとめた、可愛らしい印象の女性で、ほんのり頬を染めて微笑んでいる。ジゼルはそれとは対照的に、きっちりと編み込まれた黒髪と涼しげな目元が印象的だ。彼女はリンネアに向けて少し堅苦しい笑みを浮かべていた。
「ただ今お茶を淹れてまいります。夜会のご準備はその後いたしましょう」
アメリ―が柔らかな声でそう言い、ジゼルも無言で頷く。
リンネアは戸惑いながらも「ありがとうございます」と小さな声で答えた。侍女たちが丁寧に一礼して部屋を出て行くと、彼女だけになった部屋には静かな空気が訪れる。
そっとソファにぬいぐるみを置くと、改めて部屋を見渡した。壁にかけられた絵画や、刺繍が施されたカーテンはどれも見事だ。けれどそれ以上に目を引いたのは、大きな窓の向こうに広がる景色だった。
窓辺に近づいてレースのカーテンを捲ると、緑の芝生に色とりどりの花が並ぶ庭園が広がっている。整然とした花壇の間を石畳の小道が走り、中央には噴水が水しぶきをあげていた。
「……別世界に来たみたい」
思わずぽつりとつぶやいたその瞬間、背後から聞き慣れない声がした。
「主はどこから来たの?」
その声にリンネアは驚いて振り返る。目を凝らしても部屋には誰もいない。だが、ふとソファの上を見て、彼女は息を飲んだ。
さきほどまで座らせておいたぬいぐるみが、立ち上がっていたのだ。
「え……? 嘘……っ」
目の錯覚かと思って目をこするが、ぬいぐるみ――深紅の焔獣は短い手足を使って器用にバランスを取りながら、彼女の方を向いて立っている。
「そんなに驚かないでよ。これでも僕は、元々動ける存在なんだから」
声の主は、まぎれもなくそのぬいぐるみだった。口は開かないが、そこから声が響いている。
「フランちゃんが……しゃ、しゃべったぁぁぁ……っ!?」
リンネアはびっくりして後ずさる。すると、ぬいぐるみ――フランも黒曜石のような瞳をまん丸にして(いや、もともとガラス玉のような大きな瞳だったが)、前足を万歳をするように上げた。
「わぁっ、そんな大きな声出さないでよ!」
フランはなおも腕を上げたまま。
「な、なにそのポーズ……?」
「これは相手を威嚇しているんだよ。穏便に生きたかったけど仕方ないね」
もう一度フランは両腕を上げるが、リンネアは目を輝かせるだけだった。
「か、かわいい……」
動いている所はかわいいだろうなと思っていたが、これほどとは。
「君は……僕のことを忘れちゃったんだね?」
「忘れたって……どういうこと?」
リンネアの目がさらに困惑に揺れる。
するとフランは、耳をぴくぴくと動かして、やや不満げに首を振った。
「僕はね、始まりの乙女とともに竜と戦った聖剣の化身さ。もっとも、今はこんなよくわからない生き物の姿だけど」
「せ、聖剣……? あなたが?」
信じられない、と言いたげに目を丸くするリンネアに、フランはすました口調で続けた。
「千年前に竜が封印されたのは知っているだろう? でも、その封印を維持しているのが何なのか、考えたことはある?」
「それは……知らないけど」
「その封印を作り上げたのが、始まりの乙女。そして封印の核となって竜の力を押さえ込んでいるのが僕だよ。だけど封印は永遠じゃない。それに今の僕の姿を見れば分かるだろうけど、状況はけっして良くないんだ」
フランは尻尾をふさふさと振りながら、しれっと言った。
その言葉に込められた意味を理解しようとするリンネアの頭は混乱していた。
「じゃあ、私が聖剣を手にしたことで、何かが変わったってこと?」
「その通り。君が僕に触れたことで、僕はこうして動けるようになった。でも、それは同時に――」
フランが言いかけたとき、扉が軽くノックされる音が響いた。
「リンネア様、お茶をお持ちいたしました」
侍女の声が扉越しに聞こえる。
「は、入っていいですよ」
リンネアが答えると、ぬいぐるみは床の上にころんと転がった。そこからはうんともすんとも言わない。
なんだかだまされたか、疲れているのかもしれない。
“封印の核”――その言葉だけが、心に妙に残ったまま。
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