薄幸の王女は隻眼皇太子の独占愛から逃れられない

宮永レン

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第十章

3.恩赦

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「な、何を仰っているのかわかりませんわ! 私は、道もわからず困っているところをパトリエール子爵に助けていただいただけで……」

「パトリエール子爵。真実を話す気があるなら、貴殿の身の上は保証してやろう」

「は……はい……申し訳ありません! すべてお話します。あの、ですが、ここではどうかご容赦ください――どうか……」
 床に額を擦りつけて子爵は詫び続けた。残念ながらそれだけで後ろめたい事情があることは明白で、場内の人々はその滑稽な様子に苦笑いを禁じえなかった。

「ふん。まったく面倒なものを持ちこんでくれた」
 フェザンは侮蔑を含んだ鋭利な眼差しで子爵を見下ろす。

「わ、私はサリアン王家の――」
 思い通りに事が進まないことに、デルフィーヌの顔に焦りの色が浮かんだ。

「いい加減にしてください。あなたは私の姉の名を騙っただけでなく、パトリエール子爵の好意も無下にするつもりなのですか?」

「な、何を言いだすのよ、アルエット。頭おかしくなった?」
 デルフィーヌは頬を引きつらせた。

「見た目は姉にそっくりですが、あなたはお姉さまではありません。私にはもう両親も姉弟もいないのです。私の家族はここにいるフェザン、それにディエルシカ王家の皆様だけです!」

 アルエットがきっぱりと言い切る様子に、ナルヴィクの近くにいたミレイユは兄と顔を見合わせ、「あんな嫌がらせしたのに家族って言った……」と戸惑い気味に頬を染める。

「全然気にしていないみたいだな」
 ナルヴィクが口端を上げると、ミレイユは肩を落として頷いた。

「どうして……? お人形みたいにニコニコしているだけの人だと思ったのに」
 何やら言い合っているアルエットの姉だかなんだか知らないが、不愉快極まりなく、一言文句を言ってやろうかと思ったのに、なぜかそこに口を挟めない。アルエットの放つ毅然とした空気に気圧されてしまうのだ。

「戦争で身内を亡くして困っているのなら、せめてエグマリンに帰してさしあげますから、みんなを困らせるのはおやめになって」
 アルエットは両手を胸の前で祈るように組み合わせ、天使のような微笑を浮かべた。

 今や天涯孤独となったのはデルフィーヌの方だった。

「ベミナー修道院などいかがでしょう?」
 アルエットの口から紡がれたその名を耳にした途端、デルフィーヌの目が見開かれた。

「ベミナー……ですって?」

「ご存知ですか? 厳重な鉄柵に囲まれているので不審者の侵入も心配ないそうです。生を全うするまで面倒を見てくださるとか」

 それは逆に言えば、一生そこから出られないことを意味する。

「い、いや……」
 デルフィーヌは呆然とした表情でゆるゆると首を横に振った。

「昔、お姉さまから教えていただいたのです。どこにも行く所がないならそこへ行くといいって。清貧を美とし、厳しい戒律の下で奉仕活動に励めば心も洗われるのだとか」

 つらい現実から逃げられるなら、そこへ行くのも選択肢の一つだと思った時期もあった。だがアルエットは、侍女が扉の向こうで事実を話しているのを聞いてしまったのだ。

 ベミナー修道院は厳格な場所で、罪を犯した貴族の娘などを隠したい貴族の親が放り込む人生の終着点のような場所だと。高い鉄柵で覆われ、逃げ出すことはできず、何日も食事を抜いたり、真冬に夜通し祈りを捧げ続けたり、そんな生活に耐え切れず精神を病む者も後を絶たないそうだ。

「冗談はやめなさい、アルエット……」
 デルフィーヌが青ざめる。

「せっかく助かった命ですから、エグマリンの国民には一日でも長く生きていてほしいのです」

「ねえ。あなた、本当にアルエットなの……?」
 愕然とした様子で恐怖の色を双眸に滲ませ、デルフィーヌは声を震わせた。

「あんなところへ行くくらいなら一思いに処刑された方が――」

「この女を連れていけ。アンディオ公には荷物になるだろうが、エグマリンへの送還の協力を要請する」
 壇上からフェザンが声をかけると、大広間にいたアンディオ公爵が叩頭した。

「姪の慈悲深い願いを尊重いたします。責任をもってベミナー修道院へお送りいたしましょう」

「やめて、離して! 私はエグマリンの太陽なの、王女なの! 誰か……助けなさいよぉっ! 私の命令を聞きなさい……!」
 衛兵に拘束され、引きずられていくデルフィーヌは髪を振り乱し、大広間を出るまでずっと叫び続けていた。

 狂ったように喚き散らす姿に、その場を静観していた貴族たちは失笑したり、見るに堪えないと扇子で顔を覆ったり、さまざまな反応を見せていた。だが同情する者はただ一人としていなかった。

「パトリエール子爵。事が片付くまで貴殿の身柄はこちらで預からせてもらう」
 フェザンはレオニートに目配せし、子爵を連行するよう指示する。パトリエール子爵は青い顔で項垂れ、抵抗することなくその場から連れていかれた。

「皆の者、どうやら品性に欠ける人間が混じっていたようだ」
 しんと静まり返ったところに、フェザンの律するような声が響く。

「本来であれば不敬罪で処するところだが、今宵の祝宴に免じて恩赦の対象とする」
 その発言に場内はどよめいた。

「……だが、世の中には死よりもつらい道もある、かもしれないな」
 白い悪魔のごとき心の臓まで凍てつくような声色は、静かながらも人々の身を震え上がらせた。

 恩赦と言いつつ、死よりも恐ろしい目に遭わせると暗に匂わせたのだから当然だ。

「つまらないことで時間を取らせた。演奏を再開してくれ」
 皇太子の一声で、再び王宮楽士たちが楽器を手に取り、さきほどの続きを奏で始める。

「結婚式は春に執り行う予定ですの。皆様、ぜひ若い二人の人生の門出を祝いにまたいらして」
 朗らかなニコールの呼びかけを受けて、演奏が始まっても立ち尽くす貴族たちの中に動きが生まれた。

 ニコールがギヨームと共に踊り出すと、再び大広間には色とりどりの花が開いた。

「怒らせてはいけないタイプだったのね、アルエットお義姉さま……。あの冷静さはフェザンお兄さまに引けを取らないわ」

「本人に怒っている自覚がなさそうなところがまた恐ろしい。これでわかっただろう? もう余計なことはするなよ」

「絶対しないわ。ある意味、最恐の二人の誕生よ」

 ミレイユとナルヴィクは壇上の二人を見上げ、決して逆らわないことを密かに誓った。


「アルエット」
 ぼうっとしていたアルエットは名前を呼ばれ、ずっとフェザンの上着の袖をずっと摘まんだままだったことに気づいた。

「フェザン。私……」
 本当はこわくて仕方なかった。でも愛する人は傷つけさせない。どんな恐ろしいものにも手を触れさせない。そう思ったら無我夢中だった。

「ずっと、そばにいたいから」
 澄んだ翡翠色の瞳が潤んで、後は声にならなかった。

「やはり俺の妃はアルエット以外に考えられない。絶対に手放すものか」
 フェザンの腕に強く抱きしめられ、その尊い温もりに心の奥から幸せが溢れてくる。

 彼にふさわしいかどうかではない、彼のことをどれだけ愛しているか、それだけだ。

「もう一度、踊れるか?」

「ええ。大丈夫」

 大広間に降りたアルエットは、再びフェザンと音楽に合わせてステップを踏んだ。彼女の滑らかな動きに合わせて、ドレスに縫いつけられた宝石がシャンデリアの明かりを弾き、まるで希望を叶える流星のようにきらめいていた。

 人々は二人の幸せに満ちた笑顔に、これからもクライノート帝国が安定した未来を築いていけることを確信したのだった。
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