薄幸の王女は隻眼皇太子の独占愛から逃れられない

宮永レン

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第九章

3.功績

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「え?」



「あなた様が戦争を終わらせたと聞いております!」



「え?」

 アルエットの口からは同じ言葉しか出てこない。



 どう返していいのかわからず、フェザンに助けを求めるように視線を送るが、彼は微笑を浮かべているだけだった。



「自身が人質となる代わりに、国民の命だけは助けてほしいと交渉してくださったとか……」



「ひ、人質……?」

 開いた口が塞がらなくなる。



 自分は人質だったのだろうか、とアルエットは首をひねる。たしかに連行されたタイミングで戦争が終結したのだとしたら、国民の目にはそう映った可能性もある。



 一時的には囚われの身だったかもしれないが、フェザンがすぐに牢から出してくれたし、あの時は心が擦り切れていて記憶もあいまいだ。



「わたしどもは、アルエット様の幸せをいつでも祈っております。どうか、今後おつらい目に遭うことだけはご勘弁ください」

 農夫は地面に額を擦りつけて懇願した。それも一人や二人ではない。その場にいる全員が同じように頭を下げて一斉に願い出ているのだ。



「国民の気持ちは受け止めたか、アルエット?」

 フェザンが口端を上げて、瑠璃色の瞳を細める。



「わ、私……」

 パクパクと口が動くが言葉が出てこない。



「アルエットは俺の妃になる。お前たちは遠い祖国から彼女の幸せを祈り続けてほしい」

 フェザンがそう言うと、農夫たちは目を輝かせて顔を上げてから慌てて頭を下げた。



「顔を上げよ。土地が生きていくためにはお前たちの力が不可欠だ。国民の安定した生活あってこその国力とも言える。自信をもってこれからもよろしく頼む」



「あ……ありがとうございます!」

 農夫たちはフェザンに礼を言い、アルエットにも数え切れないほどの感謝の言葉を再び述べてから果樹園に戻っていき、籠いっぱいの林檎を手土産に持たせてくれた。



 父は今までこういう光景を見たことがあったのだろうか、とアルエットは寂しく思った。こうして国民一人一人の声を聞いたことがあったのだろうか。もちろん各地を治める領主の報告は聞いていたかもしれない。だが、近年は目を向ける方向が違っていた。



 もう少し早くこうした声を拾っていれば、無益な戦争は避けられたかもしれない。

 結果的にはクライノート帝国の管理下におかれたことで、再び生活を立て直す機会ができたわけだが。



 馬車に戻り、前に進み始めてからアルエットはフェザンの顔を見上げた。



「私、人質だと思われていたなんて知らなかった」



「これでわかっただろう? 君を非難する者など、どこにもいないんだ」



 もしかしたら、事前に彼らにそう話すように伝えていたのではないかと軽く疑ってみたが、別の町では「アルエット様万歳」と書かれた張り紙があったし、教会の前に「聖女アルエット様の幸福を祈る会」という看板を掲げた人々の姿も見かけた。ここまでくると、さすがに細工や打ち合わせという範疇は超えている。



 恨まれていないのはわかったが、あまり持ち上げられるのも戸惑ってしまう。



「なんだか不思議な気分……」



「これで安心したか?」



「まだあまり実感は湧かないのだけど、みんなが元気そうで……本当によかった」

 フェザンがいてくれるだけで幸せなことに違いはないのだが、これでようやく心置きなく皇太子妃としての道をまっすぐに前に進むことができるのだ。



 座席の上の林檎の籠から甘酸っぱい香りが漂ってきて、アルエットは自然と笑みを浮かべていた。





 数時間後、馬車はいよいよ王都のあった場所へ到着し、いやというほど見覚えのある城に辿り着く。城壁は焼け焦げていて、見れば数人がかりで修復作業が行われているようだった。



「エグマリンは国ではなく、ディエルシカ王家の所有する土地の一部となっている。現在は信頼のおける者にその領主を務めてもらっている状態だ」

 フェザンが馬車を降り、アルエットの手を取りながら教えてくれた。



「イブラント国の王弟で、クリステン・アンディオ公という」

 その国名を耳にした時、アルエットの足が止まった。



「それは――」



「一度も会ったことはないだろうが、君の伯父に当たる人だ」

 母親の旧姓はアンディオ、出身国はイブラント国。それ以上のことは何も知らなかった。



 イブラント国はエグマリンとも交流があったが、母が亡くなった後はどうだったのかはアルエットにはわからない。



「私の伯父……?」

 母はあまり故郷の話はしてくれなかったし、幼かったアルエットも目の前の遊びに夢中で国のことは気にしたこともなかった。



「今日アルエットが一緒に来ることを伝えてある。先方は顔が見たいと言っていた」



 ずっと天涯孤独だと思っていた。だから母の親族に頼ろうという考えはなかった。



「私も……会ってみたい」

 アルエットはぽつりとつぶやいた。



「それならよかった」

 フェザンはアルエットに腕を差し出し、華奢な手が添えられたのを確認して歩き出す。



 城の前で待機していた従者が、アルエットたちがやってくると恭しく頭を下げた。



「お待ちしておりました。道中有事に見舞われたと早馬の知らせを受けておりましたが、ご無事のご到着で何よりでございます」

 その声にアルエットは聞き覚えがあった。



「あなたは……」

 アルエットが口を開くと、その男はびくっと肩を揺らして、その場に突然膝をつき、叩頭した。



「アルエット王女殿下! サリアン王家の最後の一人として責任を果たされたこと、深く感銘を受けました。今まで無礼を働いてきた我らまでお救い下さり、本当になんと感謝の言葉を並べても足りないくらいです。今後は、帝国の命をあなたの命だと思い、全力で尽くしてまいる所存でございます!」



 間違いない、ミスダールにアルエットを迎えに来た父の側近だった男だ。



「あの……私は大丈夫ですから。顔を上げてください」

 そう声をかけると、男はハッとしたように立ち上がり、再び頭を下げた。



「申し訳ありません。すぐにお部屋に案内いたしますっ」

 急かしたつもりはないのだが、男は慌てたようにアルエットたちをアンディオ公爵の待つ部屋に案内してくれた。



 数か月前まで暮らしていた城に、今は客として訪問する。なんだか不思議な気分だった。見た目は特に変わった様子はないように見えるが、どことなく雰囲気が和らいでいるように思えた。



「こちらでお待ちください」

 用意された部屋は応接室の一つだった。大きなテーブルと、向かい合わせにどっしりとしたソファが置かれている。



 フェザンとアルエットがそこに腰かけ、レオニートとジゼルは入り口に控える。



 伯父がどんな人間なのか、少し緊張しながら奥の扉が開くのを待った。



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